クリント・イーストウッドが監督と主演を務めた『許されざる者(原題:Unforgiven)』が、渡辺謙の主演で日本映画として再生され、9月13日に公開を迎える。舞台は1880年の北海道。釜田十兵衛(渡辺謙)は、幕府軍の残党でかつては"人斬り十兵衛"と恐れられていたが、妻亡き後、「2度と人は殺さない」という誓いのもと、2人の子どもと極貧生活を送っていた。ある日、昔の仲間である馬場金吾(柄本明)から、女郎(忽那汐里)の顔を切り刻んだ男に賞金が掛かっている話を持ちかけられ、十兵衛は子どもたちのためにと再び刀を取る。
『硫黄島からの手紙』(2006年)以来、クリント・イーストウッドと親交を深めてきた渡辺謙。愛してやまないイーストウッドの名作と彼はどのように向き合い、役者としてどのように魂を注ぎ込んでいったのか。大義は微塵もなく、千億の罪を背負いながら、幼い子どもたちの未来のために生きる男・釜田十兵衛。渡辺は、インタビューの時間だけでは語り尽くせず、写真撮影の最中もその役柄、作品への思いを語りつづけた。
――いよいよ公開ですね。
わりと男性と女性で受け止め方が違うみたいですね。時代劇が舞台で、こういうテイストのポスターだと男っぽい映画かなと思われるかもしれないんですけど、人はどう生きるのかみたいなところに帰結するので、男女問わず刺さるものは刺さるのかなと感じています…でも、割と分かりやすいというか受け入れやすい映画が全盛の中、こういう映画はどこまで届くんだろうというちょっとした危惧があります(笑)。
――クリンスト・イーストウッド監督作が日本映画として再生された作品に出演した理由をお聞かせください。
僕たちにとって、(オリジナル作『Unforgiven』は)記号のようなもの。今回は、オリジナルとは明らかに違う作品になっている。基本的に話もキャラクターも一緒なんですけど、人物背景がまるで違う。中にはオマージュしている部分もありますが、ちょっと誇らしく日本の映画が出きたなという感じはします。
――李相日監督との初タッグはいかがでしたか。
よく粘るとか執念深いとか言われますが(笑)。やっぱり、誠実なんですよね。僕らが変にかわしたりすかしたりすることなく、向き合えるというのは、彼が作品や、それぞれの登場人物にすごく誠実に向き合うからです。シーンの中での落としどころとなる、彼が腑に落ちるまで続ける。だからこそ粘っこいんですよ。
僕らだっていろいろなことを考えたり悩んだりしながら役と向き合ってるんですけど、そんなにすんなり何もかもが出てくるわけがない。そういう中で、僕たちが何かを伝えようとする時、こういうふうにやろうと最初からくくってしまうことを、監督は許さないんです。そんなに口数も多くなくて、「どうかな…」みたいな言い方で求めていく(笑)。
だから、僕らは計算だったり、理屈みたいなものを用意しては駄目なんです。そういう意味では、彼は相当丁寧に拾おうとしています。時間もかかるし、悩ましい現場ではあるんですよ。でも、僕らにとっては豊かな時間だと言えます。
――オリジナル版『Unforgiven』の魅力とは?
やっぱり、"あの時代"なんですよ。当時のハリウッドで"エンターテイメントなウエスタン"という風潮がある中で、一切それらを排除して実際はどうだったのよと投げかけるような…ドキュメンタリーといったら変だけど。とてつもない死闘を繰り広げるガンファイトみたいなところもないし。淡々と物語は進んでいきますが、最後はこれで終わり? みたいな感じですよね。でも、あの時代だったからこそ、それが非常に新鮮でしたし、驚いたわけです。今はDVDもありますし、作品は見ることができますが、やっぱりあの時代で作られたからこその『Uufogiven』だと僕は思います。
――あらためて本作に出演した心境は?
彼が黒澤明監督の『用心棒』を見て、『荒野の用心棒』を作り、そして今度は彼が作った『Unforgiven』を『許されざる者』に。作品というだけでなく、映画を志す者同士、魂のやりとりのようなものとして作品があるというのは、文化や価値観の違いを乗り越える感じがします。国も時代背景も全く違いますし、その違う者たちが作品をとおして往復書簡できるということをクリントがすごく喜んでくれて、僕も本当にうれしかった。単純に俳優とか制作する側とかを超えて、重いメダルのようなものをクリントがくれた気がしましたね。
――大自然の中での撮影でした。特に柄本明さん演じる金吾がつるされるシーンは…。
制作がストーブ持って、毛布かけに行くって言ってたんです。でも、あそこにいたら死ぬからって言ったんです(笑)。近くに暖を取れるセットが組んであったので、カットがかかるやいなや、レスキュー部隊のようにそこまで4人で抱えて運びました。
大自然は背中を押してくれましたけど、かなり綱渡りな現場でした。ふぶきすぎても駄目だし、降らなくても駄目だしみたいな瞬間もあったし。まぁ、もちろんそのきつさも狙いだったところも李監督にはあったでしょうけど。それをはるかに凌駕するというか、だって僕らが生きるのに必死でしたからね。……続きを読む。