――十兵衛が馬になかなか乗れないコミカルなシーンは、オリジナル版でもありましたね。

"おかず"みたいなものですね(笑)。ちょっとだけ入れようか、みたいなところはありましたよ。でも、結局人物背景を変えたことによって、互いの絡み方がオリジナルと変わっちゃったんです。金吾もオリジナルでは十兵衛の近所に住んでいるようなイメージでしたが、今回は別々の道を歩んでいた中、この事件をきっかけに戻ってきたという背景があります。

五郎もアイヌとの混血という人物背景にしたことによって、十兵衛の息子と娘は五郎の延長線上にいて同じ宿命を背負っているようになってしまったわけです。そういう部分が、それぞれの人物に深く乗っかっていける要素になったんじゃないかと思います。

――かなり過激な暴力シーンもありますが、どのように受け止めて撮影に臨んだのでしょうか。

この物語は19世紀で今は21世紀。こんなに文明は発達して人は進化しているように見えますが、エジプトだったりシリアだったりめちゃくちゃなことが行われている。どっちが被害者でどっちが加害者か分からないような事件が日本でも頻繁に起こっています。いじめ問題にしてもあんな子どもたちがこんな残酷なことをするのかと。われわれは、そんな心の闇を抱えて生きています。

ルールやモラルで抑えているから一般社会として成立しているかもしれないんですけど、こういう時代にルールとモラルを外してしまうと、人間の本質は19世紀も21世紀も何も変わってないんじゃないのかと。李相日は今感じていることとして、描きたかったんだと思います。バイオレンスがいいか悪いかと言われれば、悪いに決まっているわけですよ。だけど、われわれの中にあるというのを彼は常に感じているんじゃないでしょうか。

――十兵衛は、刀を構える一蔵に対して銃口を向けます。なぜ、刀ではなかったのでしょうか。

小道具選びの時、最初に特徴のある大刀を用意してくれたんですよ。でも、僕はどうもそうじゃない気がしたんです。というのは彼の中で大義とか、侍としての志などがなく、人を殺すことでしか生き残る術がない状態に陥ってたわけでしょう。刀も折れ、投降しなければならない。そんな中で奪い取ったのか、たまたま見つけたのか、身を守る武器として手に取り、その小刀を血が付いたまま封印したのが最初に登場する刀。

侍として刀を封印したわけではなくて、人殺しの武器として封印したというふうに僕は思ったんですよ。人をあやめる行為の封印。最後も弾が込められていれば、一蔵を殺して終わりだったわけですが、それは刀であろうが銃であろうがなんでもいい。自分が殺すべき相手はこいつだと。もっと言うとあれは金吾の銃なんですよね。だから復讐という意味もあると思うんですけど、彼にとっての刀はそれぐらいの意味しかないと思います。

――十兵衛は、たった一人の父親でありながら子どもを人に託して出て行ってしまいます。彼の心境をどのように捉えていますか。

受け止め方は千差万別だからいいと思いますが、例えばこういう時代に逃げおおせた男が、アイヌの女性を拉致して、僕らが今感じる"愛"があったのかは分からないわけですよ。ただ、支え合わないと生きていけない。生活をし、営みの結果として子どもが生まれた。それは今の僕らが置かれている状況とは全く違うと思うんです。現代人が見て共感するのは構わないと思うんだけど、今僕らが思っているような愛ではないんじゃないかと僕は感じた。

もっと言うと、女性だったら、何があっても戻ってますよね。けど男って、なんかそんな動物なんですよ。だからこそ、五郎となつめにたくしてしまうわけです。それが男の切なさであり、孤独。今僕たちが考えている愛とか結婚観とかだけでは語れない。そして人生は一筋縄ではいかないんだなと思います。

――劇中の肌の質感がとてもリアルでした。

すごく塗っているわけではないんですが、老いの部分や季節の移り変わりなどが映し出せる程度にメイクはしました。日よけのないところで撮影したりするので、シーンをつなげるという意味でメイクはしていましたが、基本的には素。そこにどうやって存在させるかを試されているような現場でした。きれいに作り上げるほうがもしかしたら楽かもしれないです。1つの世界にいればいいわけですから。

――沢田五郎を演じた柳楽優弥さんの演技がとても印象深かったです。今回の現場で彼はどのように臨んでいましたか?

いい役なんですよ、ありゃあ(笑)。彼自身がまだ、子供の時に、とてつもないキャリアをいきなり背負わされちゃった。そういう相当なジレンマを抱えている中の、今だったと思うんです。今やるべき役に当たったし、そういう中で十分、李相日が鍛えたので、最初、これは大丈夫かなぁと心配する部分も正直ありました。内向的でおとなしい役が多い中、今回は全く逆で、心を開いていくことが求められました。俳優として経験してないやり方を要求されたので、それは役作り以上に大変な作業だったと思います。

――ベネチア国際映画祭をはじめ、海外映画祭への出品も決定していますね。

行ってきましたベネチア。武士道だったり侍の精神となると向こうはお手上げ。武士道を掲げると、自分たちと精神構造が違うから、理解よりも納得するしかない。この映画はそういうところに甘んじていないように思うんです。武士道という特殊な世界観を外国に訴えるわけではなくて、1人の人間が、こういう状況の中で追い詰められた時、どのような行動に出るのかは、言葉を超えて共有できるんじゃないか。そういう部分ではよくできたんじゃないかなと思います。

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