『戦場のメリークリスマス』『愛のコリーダ』などを手掛けた映画監督の大島渚さんが15日15:25、肺炎のため神奈川県藤沢市内の病院で死去したことが大島渚プロダクションの発表で明らかになった。80歳。告別式の詳細は決まり次第、ホームページにて発表される。

死去した大島渚監督(1999年撮影)

1932年3月31日、京都府生まれ。松竹大船撮影所の助監督試験に合格し、1954年4月に松竹に入社。大庭秀雄、野村芳太郎ら名匠たちの助監督をつとめながら脚本を書きため、1959年に新人スターを紹介する短編『明日の太陽』で初めて演出を手掛けた。同年9月、自作シナリオ『鳩を売る少年』で本格的に監督デビューを果たした。

1960年10月、女優・小山明子と結婚し、翌年6月に松竹を退社。小山明子、石堂淑朗、田村孟、渡辺文雄らと独立プロ・創造社を設立し、不振が続くも数々の問題作、異色作を精力的に発表してく。その後、1968年に発表した『絞死刑』がカンヌ映画祭に出品され、これが彼の評価のきっかけとなった。

1973年7月、創造社を解散すると、製作の機会を海外に求める。日仏合作『愛のコリーダ』が海外で高い評価を得ると、1978年に発表した『愛の亡霊』はカンヌ映画祭の最優秀監督賞を受賞した。その後、デヴィッド・ボウイ、坂本龍一、ビートたけしというキャストが話題となった『戦場のメリークリスマス』を発表。

1996年、『御法度』の製作発表を行うも、直後脳出血のため倒れる。治療とリハビリを経て、99年についに同作を完成させる。2000年、文部大臣芸術選奨、紫綬褒章を受章。2001年6月、これまでの功績がたたえられフランス政府よりフランス芸術文化勲章を受賞した。