今年の10月1日で放送開始45周年を迎える『ウルトラセブン』でウルトラ警備隊のアマギ隊員を、『ウルトラマン』では主人公ウルトラマンのスーツ・アクターを、さらにさかのぼって『ウルトラQ』ではケムール人とラゴンを演じた俳優の古谷敏に、ご本人ならではのエピソードやウルトラの夢などについて伺った。

古谷敏、映画俳優になる

――小さい頃から映画がお好きで、よく観てらしたとか

古谷敏のピタリと決まったスペシウム光線のポーズ。放送終了から45年を経た今日でも、その美しさに変わりはない。ファンは海外にも

古谷敏「映画しかなかったんですよ、僕らの時代は(笑)。テレビもないし、ラジオは子どもが聴いておもしろいものではないし。近所に遊ぶ子どももそんなにいなくてね、今の西麻布の辺りなんですけれども。一人で映画を観ることが多くて」

――その中でも特にお好きでらしたのは……

古谷「最初はね、大河内傳次郎さんとか嵐寛寿郎さんとかね。『丹下左膳』や『鞍馬天狗』ですよ。小学生になって、東映の『紅孔雀』。時代劇ばかりでしたね、当時は。中でも、嵐寛寿郎さんの『鞍馬天狗』が好きで。家に帰ってきて何時間経っても、その画面が頭の中にある。そういった”夢”みたいなものが、僕にとっての映画だった。だから、"俳優になりたいなあ"って、その頃から、そういう夢がありましたね」

――それで、中学校を卒業されて、東宝芸能学校に進まれる……

古谷「すばらしい学校でね、3つの核がありましてね。東宝という映画会社が、一つは映画、これは東宝の撮影所に行ける。一つは、日劇のダンシングチームに行ける。もう一つは舞台、東宝現代劇。それを専門に勉強できて、スターを育てるという学校を作ったんですよ」

――東宝には、そういう学校があったけれども、当時のほかの大手の映画会社、松竹、大映、東映、日活にはなかったと。入るのに、当然試験があったわけですよね

古谷「好きな俳優は誰かとか、好きな映画は何かとか、なぜこの学校を選んだのかとか聞かれる。習ってきた人は、舞踊やったり、タップダンスやったり。だから、年齢はまちまちなんです。同期でも年齢に差がある。かなり落とされるんですけど、そこに受かって。東宝に入るには2年間勉強して、1年目は、あらゆる芸能をやって、2年目に自分の進路を決めて」

――お書きになった本(『ウルトラマンになった男』小学館)を読ませていただくと、日舞やタップダンス、空手を習ってらしたと書かれていますが……

古谷「日舞とタップダンスは東宝芸能学校でですね。空手は、小さい頃兄がやってましたんで、それで僕も」

――大きくなったら、俳優として空手を使ってやろうと思ってらしたわけでは……

古谷「そういうわけではないです(笑)」

――で、東宝芸能学校の進路として、もちろん映画の道を選ばれるわけですね

古谷「十数人卒業した中から東宝の撮影所に俳優として受かったのが、4、5人でしたね。僕とか(『ウルトラマン』で科学特捜隊のイデ隊員を演じられた)二瓶(正也さん)とか。彼は歳は上なんですけど同期で。あと、同期の女の子が4、5人。さらに、全国から東宝の映画に出たいという人が集まってくるわけですね、自薦他薦を問わず。そういう人たちの中から4、5人。全部で12、3名しかいなかった。そういう厳しい……」

――その年は、東宝の第15期"ニューフェース"ということで……

古谷「第1期は三船敏郎さん(三船美佳さんの父君)、第6期は(『ゴジラ』の主演俳優の)宝田明さんとか、いろんなスターの方がいらして、で、映画が斜陽になって、15期が最後なんです。翌年からはテレビタレント向けの"ニュータレント"ということで(科特隊のフジアキコ隊員を演じられた)桜井浩子とか(ハヤタ隊員を演じられた)黒部進がいた」

――そして念願かなって、ついに映画俳優になられるわけですね

古谷「東宝の映画俳優の中で(上から)Aクラス、B1、B2っていうクラスがあって、僕はB2というクラスで」

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