毒ガス兵器の製造を行っていたために、一時、地図から消された島がある。瀬戸内海に浮かぶ大久野島(おおくのしま・広島県竹原市)だ。今もなおその遺構が廃墟として残されており、見学することができる。

リゾート地として整備された大久野島

隠蔽され続けた毒ガス製造

瀬戸内海に浮かぶ周囲約4.3km、面積70haの美しい小島が大久野島だ。広島県竹原市にある忠海港から船で約15分。瀬戸内海国立公園内にあるこの島を訪れると、大量のウサギが歓迎してくれる。"ウサギ島"との異名を持つほどで、約300匹も生息しているという。国民休暇村や海水浴場、キャンプ場もあり、自然あふれる国立公園内のリゾート地といった雰囲気で、家族連れが多く訪れる場所となっているのだが、戦時中この島は毒ガス製造拠点だったのである。

島内最大の貯蔵庫だった長浦毒ガス貯蔵庫跡

島にある大久野島毒ガス資料館にはその歴史が詳しく紹介されている。1927年、旧日本陸軍は毒ガス製造工場を建設するため、この島を管理下においた。工場が稼働した1929年から1945年まで、猛毒で皮膚がただれる「イペリット」など数種類の毒ガスが製造された。このことは軍事機密だったため、地図からは「大久野島」の文字が消された。

島の歴史を知ることができる大久野島毒ガス資料館

当時、世界恐慌による不況の時代だったために、多くの人が新たに建設されたこの毒ガス製造工場での勤務を希望したそうだ。しかも毒ガス製造工場だったと知らなかったといい、後に従業員の健康被害が大きな問題となったが、終戦後も日本軍による毒ガス製造を隠蔽するために、1984年に報道されるまで公にはされなかったとのことだ。

第二次世界大戦敗戦と同時に、日本は毒ガス製造の事実をアメリカに知られないよう、島にある工場などを破壊した。しかし今もなお、島には当時を知る遺構がいくつか残されている。

島内にいくつか残っている砲台跡

中でも長浦毒ガス貯蔵庫跡は島内最大の貯蔵庫だった場所で、約100tの毒ガスタンクが6基も置かれていたという。その他、工場のための発電場跡や、砲台跡などが点在している。過去の歴史を知り、島に残された廃墟を巡ると、戦争の恐ろしさや痛ましさを実感できるだろう。いずれの遺構も自由に見学できる。

廃墟と化した発電場跡

著者紹介

かさこ
1975年生まれ。執筆と撮影もこなすカメライター(カメラ+ライター)。トラベル系、金融分野を特意とする。

25歳から編集・ライターの仕事をはじめ、27歳からカメラマンの仕事も担当。世界各国、日本各地を飛び回り、取材・撮影したストックを生かし、記事の提供、執筆、写真貸出などを行う。これまでの渡航回数は42回で渡航先は29カ国。合計滞在日数は455日に及ぶ(2011年2月現在)。著書は、写真集10冊、一般書籍5冊、合計15冊(2011年2月現在)。オフィシャルサイト「かさこワールド」も立ち上げている。