「世界最高級の腕時計を作り出したい」――。その想いが実を結び、機械式時計の常識を超えた腕時計「グランドセイコー」が誕生したのが1960年。今年、50周年という節目を迎えたグランドセイコーのレセプションが24日、都内にて開催された。

世界に羽ばたくブランドに

会場となった智美術館(東京・虎ノ門)では、セイコーウオッチ 服部真二代表取締役社長が登壇。グランドセイコーの生まれた年は「私が小学2年生の頃。ちょうどローマオリンピックが開催されていた年でもあります。当時は"スイス時計に追いつけ、追い越せの時代"でしたね」と"50年"という同ブランドの歴史を振り返った。

1956年に登場、高精度を実現し大ヒットした機械式時計「マーベル」の生みの親でもある諏訪精工舎(当時)の中村恒也氏が陣頭指揮を取り、「狂わない」「止まらない」「美しい」時計を目指して開発したグランドセイコー。SEIKOの持つ最高の技術、技能の粋を結集し、品格ある最高のSEIKOを作るという願いから"偉大なる"セイコー、「グランドセイコー」と名付けられた自信作は、1960年12月18日に投入された。ケースは80マイクロメートルの総金張り仕上げ、大卒の初任給の平均が1万4,000円だった当時、2万5,000円という高額ながら初代グランドセイコーは多くのファンを獲得したという。

24日に発表した「グランドセイコー」50周年記念スプリングドライブ プラチナ製限定モデルを披露するセイコーウオッチ 服部真二代表取締役社長

初代モデルで既に、当時の機械式時計の世界最高精度規格「スイス・クロノメーター検定」を上回っていたグランドセイコーだが、1966年には、同検定より厳格な基準を設定した「グランドセイコー」規格を制定(1998年には、さらに高いハードルを用意した「新グランドセイコー規格」を制定)。さらに1968年には国産初の自動巻き10振動モデル、1969年には精度月差±1分以内の超高精度モデル「V.F.A」が誕生。翌年に発売され、より厳格な精度基準を課した「スペシャル」は、大阪万博にて"1970年の人類の記録を5,000年後に残そう"と制作された「タイムカプセル」にも収めれているというから驚きだ。

「50th Anniversary」の文字が施された50周年限定モデル。左より、自動巻スプリングドライブ「9R15」搭載の「SBGA055」(限定300本/発売中)、新しいスペシャル規格検定に合格した「SBGH015」(限定300本/7月9日発売)。初代グランドセイコーの裏ぶたに刻まれた、「時計の王者」を目指す意志を象徴する獅子の紋章をダイヤルに採用している

その後も進化を続けたグランドセイコーはクオーツモデルの登場、スプリングドライブムーブメントの搭載など幾多の変遷をとげ、今年は約3日間の持続と基本性能を進化させた新メカニカルモデルを発売するに至った。

さらに今年はアニバーサリーイヤーにふさわしいグランドセイコー50周年記念モデルを、「機械式」、「クオーツ」、そして機械式とクオーツ式を融合したセイコー独自の機構である「スプリングドライブ」の各ムーブメントごとに用意した。

プラチナ製ケースの50周年記念スプリングドライブ限定モデル「SBGA065」(限定30本/11月19日発売)。実用時計を目指す、グランドセイコーでは機能面だけではなく視認性や装着感にも配慮

同社では、3月にスイスで開催された世界時計博「BASELWORLD 2010」にて、日本とアジアの一部のみで展開していたグランドセイコーを世界展開すると発表しており、「世界に羽ばたくグランドセイコーにしていきたい」と服部社長は意気込む。1960年、誕生時の広告メッセージは「日本の時計から 世界の時計へ」――。その熱い想いは、50年間を経た今でも変わらない。

「使い続けてわかる良さがある」

50周年記念レセプションには多数のゲストも登場し花を添えた。にこやかに乾杯の発声を務めたのは、「(グランドセイコーは)つけ続けると本当の良さがわかる」と話す俳優・辰巳琢郎。さらに、俳優の石田純一、音楽プロデューサーの松任谷正隆らグランドセイコー愛好家たちが次々に登場。中でも、テリー伊藤は「生まれてからセイコーの時計しかしたことがない」と名言し、愛用のグランドセイコーを披露。「肌ざわりが本当にいいですよね。頬にあてても痛くない!」と職人の手により磨きぬかれた製品の使い心地を語っていた。

グランドセイコーに赤いベルトを組み合わせたテリーは、「この時計がモテるんですよ。赤いベルトをすることで魔法の力がつくんです!」と力説。「ブルーやピンクなど好きな色で試してみて!」