「古いと汚いは違う」。これは、津軽鉄道取締役社長・澤田長二郎さんの言葉だ。津軽鉄道の個性を見事に表現している。1930年の開業当時から使われている津軽鉄道の施設や車両は確かに古いが、愛されている。それを象徴するのが、手書きの看板、木造の駅舎、博物館のような留置車両だ。多くの人々が心の故郷とする本州最北の民鉄で、車窓からも楽しめる留置車両と駅舎を紹介する。

乗車前からローカル線ムードを満喫

本州最北の民鉄、津軽鉄道は、津軽半島の付け根にあたる津軽五所川原と十三湖に近い津軽中里間20.7kmを結ぶ非電化の路線である。開業は1930年(昭和5)。津軽五所川原駅は、JR五能線の五所川原駅からの連絡跨線橋で乗り換えができるが、是非とも一旦改札を出て、津軽鉄道の駅舎と改札から入場したい。列車は1日15本ほど(変動あり)。出札口では現役の硬券が売られている。

手作り感あふれる待合室、改札口の様子

次の列車までは1時間ほど時間があったので、少し周囲を歩いた。駅の西側には、ホームの裏側へ行ける踏切がある。踏切の手書きの看板類が、抜けるような津軽の青い空によく似合う。津軽五所川原駅の留置線を遠目に見ると、とても空が広い。さらに駅の裏側に近づくと、草や建物の間から古い車両たちがちらっと見えた。車両というのは、車両基地の公開で間近に見る喜びもあるが、こうやってほんの少しだけ垣間みるのが旅っぽい。

30分ほどあれば十分に散策できる。列車待ちの合間におすすめ

津軽五所川原駅はまるで車両博物館

駅に戻ると、もう乗車する列車が入線していた。津軽鉄道の普通列車は、現在すべて津軽21形式、通称「走れメロス号」。1996年(平成8)と2000年(平成12)に新造された軽快ディーゼル動車である。それまでの津軽鉄道の車両に比べると画期的に新しいスタイルで、デビュー時には「新幹線が来た! 」と言ったおばあさんもいたとのこと。そんなメロスも、使いこまれてよい感じに古びてきた。むき出しの床下機器からは、ダイレクトに機械の音がする。「この大音響、都会じゃ走れないだろうなあ」と思う。

主力列車の「走れメロス号」こと津軽21

キハ22形

先ほど駅の裏から見た列車が、ホームからは間近に見える。冬にはストーブ列車の機関車は車庫の中に、ストーブの付いた客車は留置線に。掲示板のように見えた黒い壁は、木製の貨車だ。真っ黒い車体の除雪機関車キ101は、旧鉄道省の大宮工場製。銘版の文字「鐡道省 大宮工場 昭和8年」が、ホームからも読み取れる。

冬場はストーブ列車の機関車として活躍するDD350形式ディーゼル機関車。昭和30年代の製造

掲示板(?)として余生を過ごす貨車のワム5

タム501は昭和31年製

オハ46。冬場はストーブ列車の客車として活躍する。屋根には小さな煙突が付いている

左は除雪機関車のキ101。1933年(昭和8)製。右はオハ46

発車時刻が近づいてきたので乗車して一息ついていると、JRの車両が来た! JR五能線のキハ40、そしてリゾートしらかみ号のくまげら編成だ。慌ててカメラのズームで追いかける。

JR五能線を走るキハ40、48

JR五能線からのの乗り換え客を乗せて、メロス号は発車した。津軽鉄道の線路は、先ほどの踏切を過ぎJR五能線と別れると、大きく右にカーブして市街地を抜ける。待っているのは、広大な田んぼが広がる津軽平野だ。十川、五農校前と、メロスはのんびり単線の線路を進む。