「ウルビーノのヴィーナス」との出会いにすっかり満足して、本展を見終わった気分でさらに次の展示室へと足を進める。だが、実は展示はまだここで半ばだ。第4展示室では、「"ヴィーナスとアドニス"と"パリスの審判"」という、ヴィーナスを主人公にした2つのテーマを取り上げ、時代や地域によって、それがどのように描かれてきたかを見せてくれる。

オウィディウス『変身物語』に記されている「ヴィーナスとアドニス」は時代を超えて愛され続けた悲劇の物語。ヴィーナスはたまたまキューピッドの矢で傷を負ったことから、美少年アドニスに恋心を抱く。狩を好むアドニスを心配したヴィーナスは、彼を何とか思いとどまらせようとするが、その願いもむなしく結局彼はイノシシに突き殺されてしまう。そして「パリスの審判」は、ホメロスの『イリアス』に述べられているエピソード。神々の宴席にただ一人招かれなかった争いの女神エリスは復讐のために「もっとも美しい女性に」と記した黄金のリンゴを宴席に投げ落とした。このリンゴの持ち主たる権利を主張した3人の女神(ヴィーナス、ユノ、ミネルヴァ)の間で争いが勃発。トロイア王の息子であるパリスが審判役に選ばれ、パリスはスパルタ王の妻で絶世の美女であるヘレネの愛を約束したヴィーナスを選ぶ。この2つの主題は、物語としても充分に楽しめるが、同時にそこに含まれた奥深い教訓によって、芸術家たちは好んで美術品のテーマに取り上げてきた。その結果、ヴィーナスは絵画や彫刻だけでなく、結婚に用いられる長持ち(カッソーネ)や誕生盆(デスコ・ダ・パルト)、円形画(トンド)などに世界を広げ、それに応じて表現も変化した。

花嫁道具の長持ちに横たわるヴィーナスが好んで描かれた

最後の第5展示室では、「ヴィーナス像の展開─マニエリスムから初期バロックまで」と題し、ルネッサンス期に成立したヴィーナス像が、その後の芸術家たちによってどのように受け継がれ、表現を展開していったか、16世紀の美術の潮流を概観する。当時のイタリア美術界は、ミケランジェロに代表される素描重視のフィレンツェ派と、ティツィアーノに代表される色彩重視のヴェネツィア派に二分されていた。いずれも華やかな宮廷社会を舞台に、華麗な多様なヴィーナス像を生み出している。

この展示室でうれしいことは、古代彫刻を引用した作品に関して、古代彫刻も同時に展示されていることだ。2世紀の作である「恥じらいのヴィーナスの小像」と16世紀に作られたバッチョ・バンディネッリの「ヴィーナス」像、2世紀中頃の作である大理石彫刻「眠るエロス」とそれを引用して描かれた16世紀末の「眠るプットー」といった具合だ。当時の作家たちがいかに古代表現に魅せられていたかを、比較しながら一目で理解できる。

第5展示室「ヴィーナス像の展開─マニエリスムから初期バロックまで」

こうして前4世紀から17世紀まで2千年以上の時空を超えて様々なヴィーナスに巡り会うと、これまで抱いていた平均的なヴィーナス像が覆される。古代から人々が作りあげてきた様々なヴィーナスの姿こそ、まさに西洋文化の歴史そのものであり、人類の至宝であることをあらためて思い知らされる。「ウルビーノのヴィーナス」の美しさもさることながら、ヴィーナスへの認識が一変する展覧会である。

1世紀に作られたうずくまるアフロディテ像。ルネッサンスに大きな影響を与えた

フィレンツェだけでなく、イタリア各地の美術館の作品が集められた