新しいキャリア、新しい場所…。新しいことにトライするには、苦難や苦労がつきものです。ただ、その先には希望があります。本連載は、あなたの街の0123でおなじみの「アート引越センター」の提供でお送りする、新天地で活躍する人に密着した企画「NewLife - 新しい、スタート -」。第5回目は、元モデルの芦村幸香さんにお話をうかがいました。
華やかなモデルから、水上で戦うボートレーサーへ
「子どもの頃からボートが大好きだったんです」
そう話すのは、ボートレーサーの芦村幸香さん。現在は厳しい勝負の世界に身を置く彼女ですが、元モデルという異色の経歴を持っています。
雑誌やテレビで輝く華やかなモデルから、水上で戦うボートレーサーへ。この驚きの転身を成し遂げた背景には、自分の人生をあきらめない芦村さんの執念がありました。
心に引っかかっていたボートレーサーの夢
山口県下関市生まれの芦村さんにとって、ボートレース場は身近な遊び場だったそうです。
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おじいちゃんによく連れて来てもらったんですよね。場内の公園で遊んだり、大人たちが捨てた舟券を集めて“ままごと”をしたりしていました。 |
しぶきを上げて水上を疾走するボートレーサーたちに憧れる気持ちは、ボートレース場に足を運ぶたび、年齢とともに大きくなっていったといいます。そんな中、同じくボートレース好きの友人からかけられた何気ない一言で、芦村さんの心は揺れ動くことに。
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『ボートレーサーを目指してみたら?』って言われて。それまでは職業にするなんて考えもしていなかったのですが、挑戦してみたいと思いました。 |
しかし、このときは募集要項に満たない項目があり、あえなく断念。その後、芦村さんは原宿でのスカウトをきっかけにモデルの道を歩み始めます。それでも、ボートレーサーになる夢は捨てきれませんでした。
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高校を卒業後、モデルの活動を続けながら一度は就職もしたのですが、その仕事を一生続けると思うとどうしても納得できなくて、結局すぐに辞めてしまったんです。 |
モデル業に専念し雑誌やファッションショー、テレビのバラエティ番組と活躍の場を広げる一方で、心のモヤモヤはなかなか晴れませんでした。
「やっぱりボートレーサーに挑戦したい――」
そんな芦村さんの強い気持ちが通じたのか、あるとき、奇跡が起こりました。満たせなかった募集要項の条件が変更され、応募のチャンスが巡ってきたのです。
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やるなら今しかない、と決意した瞬間でした。 |
それから芦村さんは、モデルの仕事もしながら1日10時間の猛勉強を開始。当時30kg台だった体重を下限体重の42kgにまで増やすため、プロテインを片手に苦しい増量にも取り組み始めます。努力の甲斐あって、実に4回目の受験で見事合格。2010年、モデル業を引退し、ボートレーサー養成所に入学することになりました。
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頑張れたのは、尊敬する今村豊選手の言葉のおかげです。いつかの優勝インタビューで『あきらめなければ夢はかなう。前進してください』といったようなことを仰っていて。当時は高校を卒業したばかりだったのですが、そのときに聞いたメッセージが、ずっと心に残っていました。 |
1年間の養成所生活は、その過酷さからドロップアウトしてしまう人さえいます。芦村さんは「帰る場所はない」と自らに言い聞かせ、歯を食いしばって毎日の訓練に勤しみました。その結果、ついにボートレーサーになる夢を勝ち取ったのです。
なかなか勝てず、焦りを感じる日々。モデルだった過去を悔やんだことも
プロデビュー戦は、上々の2着。「ボートレーサーとしてやっていけるんじゃないか」と淡い期待を抱いたそうですが、勝負の世界は甘くはありませんでした。
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最初の2着が幻だったんじゃないかと錯覚するくらい、長らく勝てませんでした。勝つことの難しさや負けたときの悔しさを改めて実感しました。 |
次々に初勝利を挙げる同期を横目に焦りを感じる芦村さんには、さらなるプレッシャーが追い打ちとなり重くのしかかっていました。それは「元モデル」という自身の経歴でした。
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モデルをしていたことは隠していたのですが、養成所を卒業する間近に『恋のから騒ぎ』に出演していたことが報じられて…… |
元モデルとしてではなく、ひとりのボートレーサーとして自分を見てほしい。芦村さんの願いとは裏腹に、色眼鏡で見られたことが少なくなかったのは容易に想像できます。
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これまでの生き方が間違っていたのかなって不安にもなりましたが、関係者から『これは宿命だ』と言われて吹っ切れました。『モデルをしていたからこそ、自分を知ってくれている人たちがいる。だから、もっとがんばらないと』とプラスに考えられるようになりましたね。 |
周囲の雑音をはねのけ、がむしゃらにレースに挑むようになった芦村さんは、デビューから1年後、161レース目にして念願の初勝利を飾りました。
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ただただ一生懸命で、勝った実感は全くありませんでした。 |
苦しみ抜き、初勝利を挙げた2012年11月19日。この日こそ、ボートレーサー・芦村幸香が真に生まれた日だったのかもしれません。
次に進むためにも挑戦し続ける。目指すはカッコいい母親になること
今や結婚し、一児の母として子育てにも奮闘している芦村さん。
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主人もボートレーサーなので、お互いにスケジュールを調整して、どちらかが家にいるようにしています。子どもと二人でいる時間が長く、主人とは月に2日しか会えないこともあります(笑) |
また、出産を経て復帰した今の方が冷静にレースに臨めるようになったと言います。
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緊張のせいか、練習で出来ていることが本番になると出来なくなるケースが特に出産前は多くありました。例えば、ターンするときにはターンマークを見るのが基本なのに、本番になるとお客さんに目がいってしまっていたりして。そういう課題を客観視できるようになったので、改善に向けて意識を高められるようになっています。 |
芦村さんいわく、ボートレースの醍醐味は小さな目標を立てられることなのだとか。
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一度うまくいかなくても、すぐに次の勝負の機会が訪れます。『次のレースは、この課題をクリアしよう』『次のレースに勝ったら、子どもにおもちゃを買ってあげよう』『明日のレースに勝ったら、夜はお寿司を食べよう』。そんなささやかな目標を達成していくのが楽しくて、頑張れています。 |
掲げる目標のひとつが親孝行。女手一つで育ててくれたお母さんを食事やエステに連れて行ってあげるのが習慣になっているようです。そんな芦村さんにこれからの目標を尋ねてみると、こんな答えが返ってきました。
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子どもにとって自慢のカッコいい母親になりたいです。やっと母親というスタートラインに立てたので。 |
挑戦する人の姿はカッコいいもの。そんな母親の背中を見て育った子どもは、そこから何かを感じ取ることでしょう。「失敗を恐れずにチャレンジし続けることで、まだ見ぬ自分の可能性に気づけることがある」と話す芦村さんは、まさにそのことを体現しました。そして、「ボートレーサーになる夢を捨てていたら、きっと今でも後悔していると思います」と断言します。
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結果はどうであれ、挑戦しないことには次に進めません。迷うなら勝負をかけた方が絶対いいですよ。 |
夢をかなえられたのは、あきらめずに貫き通したチャレンジスピリットの賜物。子育ての傍らトレーニングに励み、母になった今なお挑戦をやめない芦村さん。今後どんなレースを魅せてくれるのか楽しみでなりません。
アート引越センターは、一件一件のお引越に思いをこめて、心のこもったサービスで新生活のスタートをサポート。お客さまの「あったらいいな」の気持ちを大切に、お客さまの視点に立ったサービスを提供していきます。
取材協力
nino cafe
山口県下関市秋根西町2-3-7 吉富ビル1F
営業時間:11:30~15:30(L.O15:00)
18:00~2:00(L.Oフード0:30 ドリンク1:30)
定休日:月曜日
interview photo:photographer_eringi
写真提供:日本レジャーチャンネル
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