声優としてアニメ「ドラえもん」でジャイアンの声を務めているほか、ナレーションや舞台など幅広く活躍している木村昴さん。

最近では、声優によるラップソングプロジェクト「ヒプノシスマイク」の山田一郎のCVとしても話題を呼んでいる。実はプライベートでもラップやヒップホップが大好きだという木村さん。そんな彼のこれまでの人生について、お話を伺った内容を前編後編の2本立てで紹介していきたいと思う。

まず前編の本稿では、彼の軸となっている家族や“ラップの存在”について、詳しくお話を聞いていこう。
また後編では、14歳のジャイアン誕生秘話やヒプノシスマイクとの出会い、そして、Spotifyで木村さんオリジナルプレイリストも作ってもらったのでそちらにも注目だ。

  • 【木村 昴(Subaru Kimura)・Profile】
    誕生日:6月29日、出身地:ドイツ、血液型:O型、趣味/特技:英語、ドイツ語。アトミックモンキー所属。代表作は「ドラえもん」ジャイアン/剛田武役、ラップバトル「ヒプノシスマイク」山田一郎役等。

    ■公式Twitter:@GiantSUBAru

友達や女の子を楽しませるサービス精神が旺盛な子ども

――木村さんのお生まれはドイツだそうですね。

父がドイツ人だったので、7歳までドイツで暮らしていました。そのため、日本語をしっかりと学んだのは日本に来てからですね。今思うと、7歳から日本語を勉強し始めて、6~7年でジャイアンになったんですよね(笑)

――そう考えると衝撃ですね! 小さい頃はどんな子どもでしたか?

今もですけど、お調子者でしたね(笑)。ただ、母にいわせると、よく言うことも聞くし、素直で本当に手のかからない子だったそうです。

ただ、誤解を恐れずにいいますけど、女の子が本当に大好きだったようで(笑)。要は友達や女の子を楽しませるサービス精神が旺盛だったみたいなのですが……。

母が家の庭でサクランボの木を育てていて、長らく世話をしてようやく初めての実をつけたんです。そのたった1個の実を、僕が「ウチにサクランボの木があるからおいでよ!」なんて、女の子に声をかけて食べさせちゃって。

自分が食べるでも、母にとっておくでもなく、女の子にあげちゃう。「昴はそういう子よね……」と母は思ったそうです(笑)。あと、母曰く反抗期もなかったみたいで。

――自分としても反抗期の記憶はない?

そうですね。母のことは厳しかったですが尊敬していたので、反抗することはなかったですね。お母ちゃんは大好きです(笑)。

お話するのはちょっと恥ずかしいんですけど……1度だけ、母が学校に呼び出されたことがあって。それで先生が「昴くんが教科書におっぱいの絵ばかり描くんです。家庭でも教育してください」っていったんですよ。確かにめっちゃ描いていて(笑)。

そしたら母は「どれ、見せてごらんなさい」と教科書を見て、「大したもんじゃないの、上手に描けるのね~」って返して、「何か問題でも?」みたいな感じで(笑)。

当時は母に見られて非常に恥ずかしかったですけど、子どものことをしっかり考えて守ってくれる母でしたね。

――頭ごなしに叱るんじゃなく、まずは認めてくれるのは子どもとして嬉しいですよね。でもかなりユニークなお母さんだと思います。

母はドイツで声楽家をしていたのですが、その当時では結構有名だったようで。昔、母と銀座を歩いていたら話しかけてきた外国人がいたのですが、あとから聞いたらそれが、3大テノールのホセ・カレーラスだったり(笑)。

これは僕の持論なのですが、クラシックをやっている人は独特な世界観を持っている人が多いなと感じます。というのも、僕が小学校6年生の時、突然母から3万円渡されて「使い切るまで帰ってこなくていいよ」っていわれたこともありまして。

そういう、試すというか、やってみてどうだったか? みたいなことを大切にするスタイルでしたね、母は。もちろん、ダメなことはダメでしたけど。

結局そのお金は、電車で三浦半島に行ってユースホステルに2泊3日してどうにか使い切りましたね。本当は1泊で別のところにいくつもりでしたが、大学生のチアリーディング部が宿泊していたので、もう1泊しました(笑)

平和を歌ったアーティストよりも、「ラップが一番平和」

――小学生にそれをやってごらんといえるのは、本当にすごいお母さまですし、木村さんの女の子大好き加減もすごいです(笑)。当時好きだった音楽はなんでしたか?

小学校3年生くらいから、とにかくラップミュージックにハマっていましたね。うちは基本的にテレビやマンガのない家だったので、アニメもほぼ観たことがなくて。僕が声優デビューするにあたって、初めて読んでみたくらいで。

当時、レンタルアップCDをすごく安く売ってくれるお店が地元にあって、小学生だったら普通は駄菓子屋にいくところを、僕はそのお店でCDを買っていました。そこで、ジャケ買いしていたものにラップが多かったんです。

KING GIDDRA、RIP SLYME、SOUL’d OUT、RHYMESTARとか……。もちろん、長渕剛さんとか、松田聖子さんとかも買っていたんですけど、ラップとかヒップホップ、ファンク、ソウルが特に多かったです。

――小3としてはなかなかのラインナップですね。当時、どんなところに惹かれたんでしょうか。

何なんでしょう(笑)。僕が生まれた当時のドイツは、ベルリンの壁が崩壊した直後くらいの、まだ政治的に難しい時期で。いわゆる人種問題もあったようです。

母はドイツの白人社会の中で、アジア人としてどう振る舞うべきか奮闘した人でした。そんな母から「人種なんて関係ないんだよ」と言われて育ったんですが、僕はドイツにいるときはアジア人と言われてしまうし、日本では白人と言われてしまう。

そういう中で育っていたので、「世界にはこんな人たちもいるんだ!」と衝撃を受けたのかな? 今振り返ってみると、ですけれど。当時、そこまで考えていたわけではないですが(笑)、感覚的にそういう部分があったかもしれないです。

――アイデンティティの部分で、少なからずシンパシーを感じたのかもしれないですね。

そうかもしれません。ラップにより興味を持つようになって、図書館で本を読んだりして背景を調べてみたんです。そしたら、黒人差別がラップの生まれた背景にあって、差別されている自分たちを解放するために生まれたカルチャーだった。

貧困を抜け出すために、暴力ではなく、技術で戦う。平和を歌ったアーティストはたくさんいましたけど、僕は「ラップが一番平和じゃないか!」と思って、衝撃を受けました。この人たちのメッセージをもっと知りたくなったんです。

その黒人カルチャーの中で一番セールスしたのがEminemだったんですよ! もう、それも凄いことだな、と。彼も超戦っているんですよ。黒人とは違うところで。それで、最終的にラップミュージックを通して言えば、その世界は非常に平等なんです。

――そう考えると確かにかなりピースフルですね。

一般的なイメージだと、ラップは攻撃的な音楽という印象があるかもしれませんが、根源は平和を求めた人たちの声だというところにシビれたんですよね。攻撃的なワードもまた、刺さったんです。

同級生がアイドルとかを聴いている中で、ラップを聴いて超アガってました(笑)。友達はポカーンとしてましたけど。性格上、人と同じが好きじゃない、というところもありますけどね(笑)。

そういう部分でよりハマっていくエンジンになったと思います。ラップが好きになった理由についてこんなに深く考えたことなかったけど(笑)、そんな気がしますね。

ジャイアンのオーディションを受けるまでが“ミッション”

――声優や芸能のお仕事に興味を持ったきっかけは何だったんでしょうか?

日本語を覚える際に母がせっかくなら楽しみながらできればと、家の近所の児童劇団に入れてくれたんです。そこでお芝居や日舞、タップダンス、楽器などたくさんのレッスンがあったんですが、特別お芝居のレッスンにハマって。

それで劇団の発表会のミュージカルのアンサンブルをやったりして、ミュージカル俳優になりたいと思うようになりました。12歳の時にはアニーのオーディションにも受かり、もう「これだ!」と思っていましたね。両親もすごく応援してくれていました。

――そこから、声優のお仕事に興味を持ったきっかけは?

ミュージカル俳優をやるにあたって、ミュージカルだけよりも色々なことを経験する方が得られることが多いと考えていて。

それで中学2年の時にドラえもんの声優が変わると聞いて、その“オーディション”がいいエネルギーになると思ったんです。家にテレビがない僕でもドラえもんはもちろん知っていましたし「ドラえもんのオーディションを受けた」って、割とクラスでもヒーローになれるでしょ?っていう気持ちもあって。

正直なところ、クラスの友達に自慢したくて、受けました(笑)。でもそこからポジティブな意味で、僕の人生が狂い始めるんです。


この続きは後編にて紹介してまいります。
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