負けるが勝ち

オランダの投資会社社長ヤンが、事もあろうにニコニコしながら、こんな風に切り出してきた。

「Tadashi、君に運用してもらっている資産だけどね。アメリカの非常に優秀そうなシステム運用者を見つけたので、君との契約を解除して彼に預けようかとも思うんだ。ついてはこの運用マニュアルについて君の率直な意見を伺いたいのだが? なんと言ってもシステム運用のことを良く知っているのは君のほうだからね。」彼とはオランダ・テクニカル・アナリシス協会で知り合った仲である。

要するに「あなたを首にしたいのだが、自分と競争者を比較してちゃんと研究した結果を教えてくれ」と真面目な顔して聞かれているわけだ。こんな場面で臆面も無くニコニコ笑っていられるのは、世界中でオランダ人しかいないだろう。実質と合理性を重んじるオランダでは、相互の面子とかプライドに対しては日本ほどにこだわることが無い。事実と本質がどうであるか、それが大切なので、それを問う限りでは相手や自分が傷つくということは基本的には無いと言える。奇妙なほどにスムーズな社会なのである。

「米国運用者のシステム運用マニュアルを預けておくので数日後に返事をください。よろしく。」

実は内心すっかり気分を害されたのだが、それは顔に出さず、対抗上むりやり笑顔で軽く答えた。

「ああいいですよ、それにしても、このピーター何がしとかいう運用者、名前も聞いたことが無いですねえ」。

運用マニュアルは40ミリの厚さがあった。今でも私の書庫でそれより厚いと言えばグローブの音楽辞典くらいだろう。システム運用のマニュアルとしては異例の情報量といえる。それを読んで驚愕のあまり息が止まりそうになった。なんと私が当時15年間捜し求めて未だ見つかっていなかった、どうしても知りたい難問の答えがそこに書いてあったのだ。

81年にシカゴ先物市場に手を染め、93年にはシカゴの二つの著名運用競技会で準優勝と第3位同時入賞。幸運に恵まれてきた私だが、1995年当時それでも分からないことがあった。理想的なストップ注文(逆指値)とはどのようなものなのだろう。いったいどうすればそれが見つかるのだろうか?

そのマニュアルには、いかにして答えをゼロから探し正解を発見するのか、詳細に22章に渡って調査と検証のプロセス全てが書かれていたのである。

数日後、私はヤンに言い渡した。「僕自身に対する判決なんだがね、決まった。僕は首だよ。彼は間違いなく凄い運用者だと思う。僕との契約を解除して彼に運用を任すべきだ。ところでこの運用マニュアルをしばらく貸してくれないか? 勉強してみたいんだ。」何事も無いかのように軽く頼んでいるふりをした。断られたらどうしようと恐れつつ。ヤンは事も無げに「もちろん良いよ。そんなに面白いかな? 僕には良く分からないし、それに如何に儲けるよりか、幾ら儲けるかにしか興味は無いからね。」と答えてくれた。

其の1週間後である。米国西海岸から電話が掛かってきたのは。

■ピーターからの電話

その電話はいきなり「Hi, Tadashi! My name is Peter. How are you doing?」で始まった。全く米国人というのは、どうして知りもしない人間にいきなりこう親しげに声を掛けられるのだろう。そのPeterってあの運用者のことじゃないか。

驚きのあまり返答に詰まっていると、「君が、オランダの投資会社を首になったTadashi TANAKAかね? ちょっと教えてほしいことがあるんだが、今いいかな?」

「Tadashi、君は本当の所、自分で自分を首にしたらしいね。そして僕のところに移るように薦めたらしいね。君が薦めたから移ったのだと投資家本人が言っていた。それは本当かい? どうしてそんなことをしたんだ? 君はシカゴのシステム運用競技会で入賞したとも聞いたし、今はロンドンの著名金融機関の運用もやっていると聞いたのだが?」

私は、正直に敬語混じりに丁寧語で答えた。「どうしてって、あなたの方が優秀だと言うことは直ぐに分かったからですよ。僕が対抗して勝てるような相手ではないですよ、あなたは凄い人です。」

「オウ。それはありがとう。しかしいま少し分からないのだが、一体僕のどこが優秀だと思うのかな? 良かったら少し詳しく教えてもらえないか? 」

「ずばり思うのだが、あなたが手がけている事はたぶん世界一だと思う。だれもここまでやった人はいないですよ。つまりこういうことです。あなたのやったことは。。。。」

最初は微かに屈辱感を感じてもいたのだが、徐々に私は話に熱中してしまい、まるで自分のシステムを自慢しているかのごとく、ピーターを説得する宣教師であるかのごとく、一生懸命演説した。如何にこのシステムが世界最先端を行く素晴らしいものであるのか。

あっけに取られたピーターは、今度は大人しくなってしまい、しばらく黙っていた。「そうか、そんなに良いものだと分かるか??? Tadashi、ひょっとしてこのシステムを使ってみたいとは思わないか?」

えっ、これは何かの営業電話なのかな?「まさか、私にはこれ程の凄いシステムに払う大金はありません。」

「あ、そうじゃない。僕のシステムを差し上げるから使ってみたいかと聞いているんだ」 え? これは何かトンでもない企みか、それとも冗談なのか? あっけに取られていると、ピーターもその自分の考えがすっかり気に入ったらしく「じゃ、CDに全て入れて送るから。中身は自分で勝手に研究してほしい。まあ何か意見でもあれば教えてくれれば歓迎だよ。」

(画像:ピーターが送ってきた創成期の黄金色CDロムと4cm厚のシステム運用マニュアル。筆者近年撮影)

それから1週間もしないうちに裸のCDが1枚送られてきた。それは私がうまれて始めて見たRecordable CDの実物だった。CDROMレコーダーは当時10万円近くしたのではないだろうか? タイトルは何も書いて無く、まるで天使が誤って天国から取り落とした後光の輪ごとく黄金色に光輝いていた。

中身は単なるソフトウエアのインストール・ディスクではなく、驚いたことにDOSベースのコンピュータのCドライブを全てコピーしたものだった。システム取り引き関連フォルダーが全て含まれている。その中に全ての取り引きシステムと、わけの分からない複雑な補助プログラム群と、100はあると思われるこれまた訳の分からないバッチ・プログラムと、そしてシカゴ先物市場全ての日足とティックデータが入っていた。

DOSにはレジストリが存在しない。Cドライブを丸ごとコピーするだけで、全てが稼動するのである。彼のシステム環境を丸ごと手に入れたのである。

こんな話が本当にあり得るのだろうか。

■ピーターのシステム

このシステムが開発されたのは90年代の前半ではないかと思われる。ピーターが構想を立てて青写真を描き、彼の弁によると当時米国で最高の取り引きシステム構築・プログラマーがコードを書いたと言う。事実天才で無いと思いつかないような驚くべきアイデアに満ち溢れていた。プログラミングが単なる技術ではなく高度な芸術作品であることを知ったのはこれが初めてである。

それは一言で言うと、ありとあらゆるボラティリティ・ブレークアウトの素材となるアイデアを網羅して、その中から究極の理想的なストップを発見する為の研究プラットフォームになっていた。その仕様を簡単に箇条書きすると、誰も見たことも聞いたことも無いような最先端機能が既に盛り込まれていた。

  1. 8ビットから16ビットに移行する過渡期にあったWindows3.1のDOS環境で走るように設計されていたが、仮想32ビットエンジンのようなものを備え、物理メモリーの全てに日足データと膨大なティックデータを読み込むことが出来た。
  2. 古臭いDOS環境ソフトであるにもかかわらずその計算速度は今日でも最先端システム構築ソフトよりも早い。DOSはプロセッサーのほぼ全計算能力がフルにアプリケーションに振り当てられる。裸の土人が全力疾走しているような原始環境なので、土人に服装を着せたり、土人の生活環境全てを設計管理するような現代的Windows特有のグラフィカル・ユーザー・インタフェース(=OS)部分の計算が全く必要ない。DOSが走る最後のプロセッサーだった最速のPentium 4を使用すると、1秒間に50年分くらいのデータを計算することが出来る。Pentium 4プロセッサーの振動数は単体では現代のプロセッサーよりも早いのである。
  3. 全幅検索はもちろんのこと、ひまわり証券のトレードシグナルのような最新鋭のシステムにやっと搭載されるようになった遺伝子的アルゴリズム(ジェネティック・アルゴリズム)に似た「超高速間引き探索モード」を既に備えていた。
  4. 最近やっと話題になり始めたウォーク・フォワード探索機能を備えていた。それだけでなくバックワード、穴あき検索等の、現代マシン顔負けの未知データ仮想運用再現機能を既に備えていた。
  5. 当時も今も誰も語ったことの無いような奇抜なボラティリティ計算のほぼ全ての素材がそろっていた。それらのイメージの一部は第III部第4章ボラティリティ計算手法に紹介してある。
  6. 使用者はプログラミングする必要が無く、検索エンジンを稼動させる命令書を書くだけである。この命令書はDOSインタフェースによってメニュー対話式で自動的に書かれる。命令書はテキストファイルなので、それを操作するバッチ・ファイル群を自分で構築すれば、全ての金融商品を全てのアイデアで探索し自分の答えを探し出すような膨大な仕掛けを、私のようなプログラミングの知識があまり無い人間でも構築できる。それを超高速でやってくれるのである。

ユニバーサル・ストップを捜し求めて

それからである。私のライフワークが始まったのは。探すのはユニバーサル・ストップ。ありとあらゆる金融市場で有効だと思われる万能型基本型の順張りストップは何なのか、それがどうしても知りたい。この検索エンジンを使えばそれが見つかりそうだ。必要なお膳立ては全て揃っている。

一年もしないうちにその答えは見つかった。しかしあまりに単純で見慣れぬその答えが異様に思えて、どうしても信じることが出来ず破棄。5年くらいたってもっと精緻な大規模な調査をやって見た。すると又同じ答えだった。

しかし今度は以前とは違っていた。最初は意味が分からなかったその計算式の意味がはっきりと理解できたのである。それが最初から私が捜していた問いの答えだったのだ。

■究極のストップ計算

今日の売買ストップは次のように計算する。

  1. 昨日高値-引け値=A。
  2. 昨日引け値-安値=B。
  3. AとBの大きい方を採用し、ボラティリティと決める。
  4. ボラティリティに適当な係数を掛け(通常は100%前後)、調整ボラティリティとする。
  5. 昨日引け値+調整ボラティリティ=今日の買いストップ。
  6. 昨日引け値-調整ボラティリティ=今日の売りストップ。

私は音楽もやっていたのでフルタイムで取り引きをすることが出来ない。それで日足を使って一日一度だけ注文を入れると言う前提の基に、24時間有効な売買ストップを探した。

単純化するためにリバーサル取り引きで常時ひっくり返す。即ち利食いも損切りも設定しない。フィルターや指数も取り入れない。たったこれだけで、最小のリスクでどこまで最大収益を伸ばすことが出来るのか、それを評価基準とする。いわばストップの原型、ユニバーサル・ストップを探し当てようとした。

(画像:ドル円ユニバーサル・ストップ1981年~今日。筆者作成)

全ての市場で、全ての時間枠で、広範囲で使えるようなボラティリティ・ブレークアウトの基本コンセプトは何か、それを求める。最高の探索テクノロジーを使った結果がこれだった。

上図は私が市場取り引きした1981から2000年までの期間、このストップが最もうまく適用できたドル円の例である。その後の経過を見て見ると2000年に引退した私は運が良かったと言える。 全金融市場のボラティリティが激減した魔の2003年から以降は、明らかにそれほどうまくは機能しなくなっている。2003年に恐らくトレンドフォローの古典主義の時代が終焉したものだと考えられる。

時代はロマン主義をあっという間に通り越して2010年現在は破壊と模索のアバンギャルド時代を猛スピードで突っ走っているように思われる。この先には何があるのだろうか?

■究極の単純性

さて、まず異様なのは、今日のストップを計算するのに昨日のデータしか使わないと言う点である。ほしければ100日間でも1000日間でもデータはある。検索では全てのアイデアを1から99日くらいまでの時間枠に渡って調査してある。その調査結果はたった1日、昨日のデータしか使わないというものだった。

しかも寄り付きは全く使っていないので4本足の4情報(寄り付き、高値、安値、引け値)のうち3情報しか使っていないである。後はたった一つの係数を探索する。つまり計算データが3つ、パラメータは一つしかない。20日移動平均線でさえ20のデータを使用している。

単純な引き算と足し算を4回やれば今日のストップが出てくるのである。こんな子供騙しのようなやり方が、私が長年捜し求めて見つからなかった理想形だったなど信じられるだろうか?

再び対称形パターンが浮上

ではもう一度このストップの計算方法を図形に書き直して検討して見ることにしよう。 まず下図と次の計算式を照らし合わせて頂きたい。よく見ると昨日のレンジ幅を引け値(Close)で分割している。そこでこれを「C分割」ストップと名付けた。

  1. 昨日高値-引け値=A。
  2. 昨日引け値-安値=B。
  3. AとBの大きい方を採用し、ボラティリティと決める。
  4. ボラティリティに適当な係数を掛け(通常は100%前後)、調整ボラティリティとする。
  5. 昨日引け値+調整ボラティリティ=今日の買いストップ。
  6. 昨日引け値-調整ボラティリティ=今日の売りストップ。

(画像:C分割ストップ図形。筆者作成)

「第Ⅳ部第3章:対称点を探り当てる」に興味を持ち熟読してくださった読者には直ぐにお分かりになるだろう。驚いたことに、買いストップは昨日の姿の点対称(回転対称)である。さらに売りストップは同じようにして描いた鏡対象(線対称)である。

上図を次のように書き換えるとそれが良く分かる。

(画像:C分割による回転対称形と鏡対称形。筆者作成)

一見、馬鹿馬鹿しく荒唐無稽と思われたC分割ストップの中には、人類が最も美しいと感じる二つの対称性が隠されていたのである。これはピーターでさえ気がつかなかった価格変動の秘密だった。私がそれを知りえたのは、やはり「ワイルダーのアダムセオリー(パンローリング社刊)」とハーストの著作を読んで対称形に目を付けていたからだった。興味を持たなければ15年後の今日でも気づかなかっただろう。

人は無意識のうちに価格変動に対称性を捜し当て、取り引きの根拠とする。これが市場ルネッサンスと古典時代の取り引き者の、最大公約数的共有意識だったのだ。ピーターの探索エンジンの凄いところは、これを見つけ出すだけの全てのITテクノロジーと材料を揃えていたことにあった。彼は世界をリードするシステム構築のパイオニアだったし、ワイルダーもハーストも同じように先見の明を持っていたのである。

反復という概念

私の全幅検索プロジェクトは対称性に留まらず、新しいコンセプトも見つけ出した。それはO分割(オー分割)と言うパターンだった。Oというからには寄り付きで分割した対称形のようなものに違いないと想像が付く。

  1. 昨日寄り付き-引け値=A。
  2. 昨日寄り付き-安値=B。
  3. AとBの大きい方を採用し、ボラティリティと決める。

以下は、C分割と同じ計算をする。

(画像:O分割による売買ストップ。筆者作成)

たったこれだけで明日のストップはがらり変わってしまう。穴あきギャップが大きい日経225のような市場には寄り付きに過度の重要性とストレスが掛かる。あるいはクロス円は寄り付きのアジア時間が円のマザー市場である 東京市場と一致するために寄り付きの重要度が高まる。恐らくはそのような理由で、対称形ではないこの独特のパターンがクロス円などに有効となる。

このパターンは何を捕らえているのだろう。これは「反復」である。反復は明らかに対称と似てはいるが、双生児ではない。しかしこれもまた価格変動の本質の何かを捉えている事には間違いない。

この対称形C分割と反復形O分割を組み合わせてB分割を作ることも出来る。この様にして私はC、O、B、 Cmin、Ominなどの分割バリエーションを自動生成し、次から次へと探索していった。これは本当に面白いプロジェクトで、今も数年おきには取り出して、半ば自分の楽しみのために調査の旅に出る。

次の課題

それに加えてATR(Average True Range)のような平均概念を取り入れたバリエーション、その他ありとあらゆる素材を探索していくのだが、この様な環境ではジェネティック・アルゴリズムのようなまぐれ当り探索が最適だ。「間奏曲(2):市場のパズルを解く」を参照していただきたい。

ピーターの探索システムには似たような超高速探索アルゴリズムが装備されていたが、これは選択検索の一種で、まぐれで最高の答えを見つけると言う仕組みにはなっていなかった。純粋のジェネティック・アルゴリズムではなかったのだ。

それと遭遇したのは僅か3~4年前、ひまわり証券よりトレードシグナルの提供を受けたのが初めてだった。それ以来、DOS環境で走るピーターのシステムをトレードシステムに移し変えるのが私のライフワークになった。

私は知りたい。市場価格変動の古典期が終わったのなら、今どのような時代になっているのだろうか? この先どのようになっていくのだろうか。現代市場の価格を動かしている力は何なのだろうか。それは計測しえるのだろうか? 手持ちのPCを使って私にも探索できるのだろうか?

以上。

田中雅氏のプロフィールはこちら

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