制作サイドにしてみれば、本当に描きたいものが他にあるため、違法薬物やホストクラブが悪い意味でフィーチャーされるのは避けたいところ。さらに、制作サイドへの過剰な批判やスポンサーに悪影響が及ばないために“お断りテロップという予防策が必要になる。

『DOPE』は真っ先に「近未来を舞台にしたSF作品」と予防線を張った。これは「SFなのだから現実社会に置き換えて批判するなよ」というけん制だろう。さらに、「違法薬物の危険性を訴えるための演出」「決して現実の薬物の使用・濫用を容認するものではありません」と重ねて強調することで、批判の数を減らそうという狙いがうかがえる。

一方、『愛の、がっこう。』は最初に「令和7年6月28日に改正風営法が施行されました」という一文を選んだ。これは「変わったばかりであり、ドラマの企画・制作はそれ以前から行われていた」という釈明にほかならない。また、「違反となりうる営業行為が含まれています。改正風営法については、番組公式ホームページをご覧ください」というコメントからは、一部のシーンを切り取って批判するのではなく、ホームページを見た上で建設的な意見を促すようなニュアンスがうかがえた。

ちなみに『愛の、がっこう。』のホームページトップには、「悪質ホストクラブにご注意ください」とアンダーライン付きで注意を促し、違法な接客例を多数挙げている。

これらは、「いかに制作サイドが批判を恐れているか」のように思われがちだが、必ずしもそうとは言えないのではないか。今回の対応を見る限り、逆にこの手の批判が続いた時期があったことで、「事前に制作サイドからテロップを入れておけば乗り切れるだろう」という教訓を得たニュアンスもうかがえる。昨年1月期放送の『不適切にもほどがある!』(TBS系)で“お断りテロップ”が受け入れられて以降、制作サイドの意識が変わり始めたのではないか。

その結果、日ごろ人々の批判をあおるような記事でPVを稼ぐネットメディアも今回はほぼ不発。記事のコメント欄やSNSの反応も、むしろ批判より肯定や許容の声が多くを占め、あおり記事をたたみかけられずにいる。制作サイドによる早期の“お断りテロップ”が奏功したと言っていいだろう。

「日常に潜む刺激」をどう描くか

ただ、制作サイドにとっての問題点はまだ残されている。

あらためて考えると、『DOPE』が本当に人間ドラマを描きたいのなら違法薬物でない設定でもいいのではないか。同作は小説のドラマ化だけに、わざわざこの作品を選んだところに、「原作ありきの制作姿勢」「原作が気に入ったから」というニュアンスがうかがえる。

『愛の、がっこう。』は脚本家・井上由美子から高校教師とホストのラブストーリーという企画を提案されたとき、それに代わる案はなかったのか。“どこまでも切なく澄んだ不器用な愛の物語”を描く際に社会問題となっているホストでなければいけなかったのか。「“格差”や“禁断”を描きたいときにホストを選ぶ」という制作サイドの判断には安直さを感じてしまう。

また、『DOPE』には「未来予知」「超視力」「腕力」「聴力」「嗅覚」などの異能力という見どころもあり、同じ金曜ドラマで2010年から放送された『SPEC』シリーズと比べる声が散見されるが、令和の今なお同時間帯にこのニーズはあるのか。

一方の『愛の、がっこう。』も、ホストのラブストーリーは令和の今ニーズがあると判断したのか。ちなみに植田博樹プロデューサー、堤幸彦監督らが手がけ、2002年に金曜ドラマで放送された『愛なんていらねえよ、夏』(TBS系)は、「知る人ぞ知る名作」と言われながらも支持されず低視聴率に終わっていた。それ以降、ホストクラブを舞台にしたドラマはあっても、ストレートなラブストーリーはほとんど見当たらない。

両作とも一定のクオリティがある反面、「これで視聴率がとれるのか?」というマーケティング面の疑問を感じさせられる。もし制作サイドが「違法薬物」や「異能力」、「ホストクラブ」という刺激で視聴者を集めようとしたところがあるとしたら、その発想は危ういと言わざるを得ないのではないか。

ここ数年、「話題性ありきのものが多く、共感できるドラマが減った」という声が上がり続ける中、刺激を前面に出した設定ではなく、日常の中に潜む刺激をどう描くのか。視聴者の感情移入を促すために、制作サイドにはその姿勢が求められているように見えてならない。