今回の件で「最大の問題はネットメディアであること」に気づいている人が多いのではないか。

事実、番組の放送中から終了後にかけて、「スタジオが騒然」「スタジオメンバーもあ然」「高嶋ちさ子の制止を振り切り」「サバンナ高橋が涙目」「放送事故級の雰囲気に」「SNSに批判殺到」「加藤浩次大慌て」などのフレーズを含むタイトルの記事が量産されていた。

番組を見ていた人にはこれらのタイトルを見て違和感しか覚えないだろう。さらに言えば「番組を見ていない人をミスリードする」という点では嘘に近いレベルであり、批判の声が広がる要因になっていた。少なくとも、「そのタレントをあまり良く思っていない人々を集めて叩くきっかけになった」という感は否めないだろう。実際、長嶋には「さっさと降板しろ」「不愉快」「パワハラに見える」「もう長嶋一茂の番組は見ない」などの批判が浴びせられていたが、これらを書いた人々が番組を見ていたかはあやしい。

今回のネット記事がテレビのアンチを中心に、批判ありきの人々を集めていたのは明白。「見ればわかる」というレベルの内容を批判する人々にとって「本当に退席しようとしたのか」は重要ではなく、叩くための材料があればいいだけなのだろう。多くのネットメディアはそんな批判ありきの人々の行動パターンを把握していて、PVを稼ぐために番組から炎上のきっかけになりそうなシーンを探して記事化しているところが罪深い。

最後にもう1つその他のケースもあげると、7月13日放送の『Golden SiXTONES』(日本テレビ系)で「松村北斗が強制退場」という記事が多数アップされたことが記憶に新しい。しかしこれは「スタッフが片付ける台にふざけて乗った松村をそのまま連れていった」というだけのシーン。「どこが強制退場なのか」と思わせるレベルであり、批判の声こそ少なかったものの、そのフレーズ選びにネットメディアの悪癖がうかがえた。

今回の件は、制作サイドにも、見ていないのに批判ありきの人にも問題はあるものの、ネットメディアがきっかけを与えなければ騒動はこれほど広がらなかっただろう。いずれもテレビを見て書くだけのこたつ記事であり、日ごろ非難されながらもそれを量産しなければいけないところに問題の本質が見える。

ネットメディアの収益構造を変え、モラルのガイドラインを作るなどの自浄作業を求めたいところだが、その兆しは見えないだけに、「退出」に限らずまだまだこのような騒動は続くのではないか。