――そうして様々な番組に携わるようになって、ご自身の中で特に印象深い番組は何でしょうか?

やっぱり初めてゴールデンのレギュラーでチーフ作家をやらせてもらった『1周回って知らない話』(日本テレビ)ですね。当時32歳で、その年齢でゴールデンのチーフ作家というのはそんなにいなかったので、やりがいがありました。力不足で、レギュラーとしては2年半で終わっちゃいましたが…。

――『1周回って知らない話』は、どのように立ち上がったのですか?

「上の年齢層には当たり前だけど、今どきの若者は知らないことを、改めてイチから説明したら面白い」という番組をやりたいとずっと思っていて、いろんな企画打ちで10か所くらいに出していたんですけど、誰も食いついてくれなくて。そんな中で、日テレの演出の内田(秀実)さんに「今度企画募集があるんだけど、何かない?」と言われた時に話したら「面白そうじゃん」と乗ってもらって、「企画書ありますよ」と出したら通ったんです。

――番組タイトルはどのように決めたのですか?

企画書の段階では『10年ぶりに聞く話』っていうタイトルだったんです。10年ぐらい話してない話を改めて聞く、みたいな感じで。でも企画が通った後、編成の人に「タイトルがちょっと分かりづらいから直してほしい」と言われて、「最近、若い子が“1周回って”ってよく言うな~」と思って、そのタイトルを提案して決まりました。

――『1周回って―』で特に思い入れのある回を挙げるとすると何ですか?

やっぱり高嶋ちさ子さんのご家族(父と姉)に初めて出ていただいた回ですね。ただ家族旅行に密着してるだけなのに、VTRチェックで腹ちぎれるくらい笑いましたから(笑)。面白い上に「家族とは?」を考えさせられる深さもあって。しかも結果もスゴくて。当時、世帯視聴率で12~13%とらないと終わるという状況で10%ぐらいの数字が続いていたときに、いきなり15.2%(18年10月3日放送/世帯、ビデオリサーチ調べ・関東地区)という異例の高視聴率で。放送の翌朝9時に知らない番号から電話かかってきて、それが番組のチーフプロデューサーで「ありがとうございます!」って言われたり、日テレの廊下でプロデューサーに会ってお互い無言で握手したり、“結果が出た時しか味わえない空気”がありました。

視聴率至上主義がいい・悪いは置いといて、間違いなく多くの人が見ていて、スポンサーの方もこの指標にお金を出しているという意味では、やっぱり視聴率をとるということは大事だなと思いました。

――林田さんは『月曜から夜ふかし』も担当されていますが、人間を掘っていくというところで通じるところがあるのではないかと思ったのですが…

『夜ふかし』では僕は大したことやってないですし、人間を掘ってるのは現場で汗かいてるディレクターさんなんで、何も言えませんが…。たしかに自分が出す企画は、芸能人の人生を掘るというのが多いかもしれないです。この業界に入って15年以上たちますけど、三重県の山奥で育ったので、芸能人へのミーハー心みたいなものを田舎者の視聴者目線で持ち続けていて、無意識のうちにそういう企画を考えているのかもしれません。

  • 高嶋ちさ子

夢がかなったジャイアンツ&地元局の仕事

――そのほかで印象に残る仕事は何でしょうか?

この仕事を始めてからずっとやりたかった2大目標があって、それがたまたま去年、同時にかなったんです。一つは大ファンの読売ジャイアンツの仕事をしたいと思っていたんですけど、安島さんが編成からスポーツに異動されて『news zero』のスポーツコーナーの作家に呼んでいただき、この連載にも登場した生山(太智)くんと、阿部(慎之助)監督と高橋由伸さんの対談などジャイアンツ企画をやることができました。

もう一つかなったのは、地元の三重テレビで仕事をすること。そもそも作家を雇う文化がない独立局なので「まあ無理だろうな」と思ってたんですけど、たまたま去年、普段は顔を出さない東京の三重県人会の集まりに行ってみたら、そこで三重テレビの東京支社の方と知り合って、「大みそかにゴールデンで特番をやるので、相談乗ってもらえませんか?」みたいな感じでお声がけいただき、実現しました。

――スポーツの番組を担当するのは初めてだったのですか?

たまにスポーツバラエティみたいのはやっていたんですけど、ガッツリスポーツ番組というのは初めてでした。僕が偉そうに語るのも違うと思うんですけど、『news zero』のスポーツってめちゃくちゃ難しいんですよ。そこまで政治や社会のニュースを見てたスポーツに興味のない人に、スポーツコーナーになっても見続けてもらわなきゃいけないので。スポーツ好き目線で作っちゃうとダメだから難しい、でもそれが今楽しいんです。

本当はマニアックな野球企画とかやりたいけど、「野球選手は大谷翔平しか知らない」みたいな人も見ることを考えて作らなきゃいけない。なので、去年は「巨人軍新人監督日記」という企画で、1年目の阿部監督を通してプロ野球の監督がどれだけ大変な仕事かを伝える内容にしたら、わりと結果も良くて手応えを感じましたね。

――生山さんは『クイズタイムリープ』がギャラクシー賞の月間賞に選ばれるなど注目の若手制作者ですが、彼の印象はいかがですか?

大学までプロ目指して野球をやってきた人ならではのまっすぐさがありますよね。それに、スポーツ番組や中継だけをやってきたので、「バラエティのことはまだまだです」っていうスタンスでやってるのが素晴らしいと思います。若いテレビマンってやっぱり尖りたがって、おじさんが意見しても「そんなのじゃ普通じゃないっすか」ってよく突っぱねられるんですけど、生山くんは「これは聞いておいたほうがいいな」っていうことをちゃんと聞いてくれるんです。あの年代で素直にそれができているのは、大きな武器だと思いますね。

――三重テレビの大みそかの番組は、どのような内容だったのですか?

『Aマッソのゴミ旅アート』っていう、Aマッソの2人が三重の学生たちとゴミを拾って、それでアートを作ろうという番組です。三重テレビはタレントさんを使った番組の経験があまりないので、ギャラの相場から全部相談されて、知り合いのプロデューサーに入ってもらったり、もちろん構成の話をしたりして、一応ロケの現場にも行きました。