注目を集めるテレビ番組のディレクター、プロデューサー、放送作家、脚本家たちを、プロフェッショナルとしての尊敬の念を込めて“テレビ屋”と呼び、作り手の素顔を通して、番組の面白さを探っていく連載インタビュー「テレビ屋の声」。今回の“テレビ屋”は、日本テレビ系バラエティ番組『ザ!世界仰天ニュース』(毎週火曜21:00~)の総合演出を務める石田昌浩氏(厨子王社長)だ。

96年に特番としてスタートしてから、世界各国で実施に起きた事件や事故などの真相を再現ドラマで紹介し続けてきたが、近年は「赤木ファイル」「統一教会」など“今の問題”に切り込んだテーマを積極的に扱っている。その狙いや、バラエティで取り上げることの意義なども含め、話を聞いた――。

  • 『ザ!世界仰天ニュース』総合演出の石田昌浩氏

    石田昌浩
    1964年生まれ、北海道出身。大学中退後、アイドルのマネージャーを経て、IVSテレビ制作に入社し、『世界食べちゃうぞ!!』(日本テレビ)でディレクターデビュー。その後フリーになり、『モグモグGOMBO』(日本テレビ)、『世界の遊園地全部見せます』(TBS)、『奇跡の生還! 九死に一生スペシャル』(日本テレビ)、『ほこ×たて』(フジテレビ)などを企画。95年に安寿、11年に厨子王を設立し、代表取締役社長。現在は『ザ!世界仰天ニュース』の総合演出を務める。

アイドルのマネージャーから制作会社へ

――当連載に前回登場した『上田と女が吠える夜』の前川瞳美さんが、石田さんについて、「番組作りに関しても働き方に関しても昔の常識にとらわれず、今の感覚にアップデートされていて、本当にすごいなと思っています。いろんな番組の演出が集まってご飯を食べたときに、“次集まるときまでに誰が一番自分の番組で高視聴率とれるか争おうぜ!”って呼びかけられたり(笑)」とおっしゃっていました。

私のような還暦の演出もいれば、まだ30代の演出もいるので、何か番組作りに関して話しておいたほうがいいかなと思って。前川さんのほかにも、水嶋(陽『THE突破ファイル』『沸騰ワード10』『カズレーザーと学ぶ。』)さん、増田(雄太『超無敵クラス』『ワールドドキドキビデオ』)さん、有田(駿介『世界頂グルメ』)さんとか、日テレの若手演出に知っていることは伝え、知らないことは聞くみたいな会をやって、楽しませていただいてます(笑)

――この業界には、どのような経緯で入られたのでしょうか。

実はテレビはあんまり見てなくて、バンドやろうと思って上京して、レコード会社をウロウロしていたときに芸能プロダクションの人に「うちおいで」って呼ばれて、アイドルのマネージャーをやってたんですよ。そしたらその会社が潰れちゃって、(制作会社の)IVSテレビ制作が当時『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ)を始める前でアルバイトを大量に採っていて、そのドサクサで入りました。その時の同期に、今、日テレアックスオンの社長をやってる加藤幸二郎さんがいます。

――最初に担当された番組は何ですか?

関口宏さんの『世界食べちゃうぞ!!』(日本テレビ、84~87年)という番組です。当時の日本人は海外の人が何を食べているか?なんて全然知らなくて、スペインで真っ黒いご飯(イカスミのパエリア)を食べているのを見て、びっくりしていたくらいですから。僕は先にロケハンに行って、1日5~6回朝から晩まで食べ続けるという地獄のような仕事でした。月に1回6日間くらい、関口宏さんと世界中ロケに行って1か月分の放送のまとめ撮りをしていました。

IVSにいたので、『元気が出るテレビ』とか『ねるとん紅鯨団』(関西テレビ)とか、伊藤輝夫(テリー伊藤)さんの激しい番組を手伝うこともあって(笑)、IVSを辞めた後はフリーになって、『モグモグGOMBO』(日本テレビ)という番組を作りました。その頃『元気が出るテレビ』で浪越徳治郎さん(指圧師)がジェットコースターに乗る企画が面白かったので、いろんな芸能人を海外のジェットコースターに乗せてそのリアクションを楽しむ『世界の遊園地全部見せます』(TBS)なんていうのもやってましたね。当時はお金もあって海外ロケだといろんなタレントさんをブッキングできたんで、片っ端から乗っけてその顔を撮って遊んでました(笑)

当初からネタ切れの心配されるも「これ全部できますけど」

――そして96年に『ザ!世界仰天ニュース』の前身の特番が始まります。

『仰天』を作るきっかけになったのは、『奇跡の生還! 九死に一生スペシャル』(日本テレビ)という特番なんです。当時、テレビの再現ドラマって、簡単なイメージビデオみたいなものばっかりだったんですけど、それを本格的に作ってみようというのが、『九死に一生スペシャル』で、本当に土砂崩れを再現したり、家を壊したり検証してみると、「こういうことで生死が分かれるんだ!」という発見がある。ある程度作り込まないと気づかないことがあるので、安全対策をしながら、時には自分も激流に流されてみたり、今じゃできないような検証もやって、その発見のために必死にリアリティを求めていました。

この番組で再現ドラマというものに初めて触れて、その魅力を知って、「テレビの手法としてまだこういうものがあるんだ」と思ったので、これをもっと笑いにできる番組はないかと思って作った企画書が『世界B級ニュース大賞』。ただ、このタイトルが編成に「いまいちだね」と言われて、『超アンビリーバブル!!世界仰天ニュース大賞~すべて実話です~』というタイトルで始まりました。

――よく比較される『奇跡体験!アンビリバボー』(フジテレビ、97年~)よりも先にスタートしていたんですね。特番として回数を重ねてレギュラー化に至るわけですが、ネタが尽きてしまう心配はなかったのですか?

当時は編成の人にも「毎週はできないでしょ」「こんな変な面白い事件、いっぱいないでしょ」って言われました。だから、リサーチして集めた千数百件の事件をファイルにして、「これだけ事件があって、これ全部できますけど」と言って、レギュラーになったんです。