――現在は制作現場を離れている立場ですが、若い制作者の皆さんが作る番組を見て、どのように感じてらっしゃいますか?

うちの若手は頑張ってると思いますよ。今深夜でやってる「バラバラ大作戦」というコンテンツ群は、僕が20代とか30代の頃に考え得るようなものではないものがいっぱい入ってますし、2年前に僕が制作の部長時代に新入社員だった若手がバリバリディレクションをやっていたりするので、いい流れだなと思いますね。

僕が中堅からベテランになっていくくらいのときって、企画がとても実現しやすくて、本当に数え切れないくらいの番組をやってきたんですよ。「バラバラ大作戦」にはそんな感じがあるので、期待しています。

――YouTubeや、Netflixなどの動画配信も出てきた中で、テレビの果たす役割というのはどのように考えていますか?

これだけいろいろコンテンツが増えてきた中で、「YouTubeはこういう分野で、SVOD(サブスク)はこういう分野で、地上波はこういう分野になっていきましょう」という考え方もあると思うのですが、やっぱり「ここにしかないよね」という面白いコンテンツをいかに持てるかというのが、そのプラットフォームのポイントになってくるような気がするんです。

最近の地上波って、「あそこでヒットしたものをやってみよう」という発想の番組がちょっと増えてきてるんじゃないかなと思っていて。僕らが若い頃は、会議で作家さんが「それ、あの番組でやってましたよ」とか、「それは今度あそこでやりますよ」という話が出たら、基本は「じゃあやめよう」となったんですね。だからこそ、コンテンツのオリジナリティもあるし、そこに対する自負もあったので、面白いものを作って「やっぱりテレビって面白いよね」と思ってもらえるメディアじゃないといけない。すごく青臭いことを言ってますが(笑)、YouTubeだろうがNetflixだろうがTikTokだろうが地上波だろうが、そこは変わらないような気がします。

■いとうせいこうに出演オファーする意味

――ご自身が影響を受けた番組を1本挙げるとすると、何ですか?

やっぱり僕は『オレたちひょうきん族』(フジテレビ)なんですよ。あの頃、『8時だョ!全員集合』(TBS)というすごいお化け番組があって、若手の人たちが一気に集まって、それと全く似てないお笑いの番組を作って……あの番組の面白さとか、カッコよさというのが僕の原体験としてあって、「他にはない面白いものを作りたい」と思ったきっかけですね。

――テレ朝に入社されて、『TVタックル』などでビートたけしさんと仕事をされることになるんですね。

いやぁ、初めてたけしさんにカンペを出したときはすごくうれしかったですよ。「じゃあVTR行くか」くらいのことだったと思いますけど、「カンペを読んでくれた!」って(笑)。それで言うと、志村さんもそうですし、鶴瓶さんもそうですし、そういう方々と一緒にお仕事をさせていただけたのは、本当にありがたいですね。

テレビを目指そうと思った番組はもう1つありまして、1985~86年に読売テレビで制作していた『なげやり倶楽部』という番組です。正直、具体的に何やってたか思い出せないんですが、(劇団・笑殺軍団)リリパットアーミーの中島らもさんが司会で、シティボーイズやいとうせいこうさんが出ていた、完全に頭のおかしい番組です。ちなみに半年くらいで終わってます(笑)。でも、岡山の田舎の高校生だった僕にとって「サブカル」の強烈な原体験になって、こんなカッコいい人たちと何か作ってみたいと思ったんです。僕の番組にはよく、いとうせいこうさんにご出演いただくのですが、それは「番組がカッコ悪くなってないか」「どメジャーになり過ぎていないか」のバランスを取っていただいてる気がします。せいこうさんが笑っていれば間違いないって思うんです。

――いろいろお話を聞かせていただき、ありがとうございました。最後に、気になっている“テレビ屋”をお伺いしたいのですが…

作家の樅野太紀くんです。彼は芸人だった頃、『虎ノ門』に出ていたんですよ。「作家になれば?」と言ったうちの1人が僕だと思います。それで、「藤井さん、作家になりました!」と言ってきたんで、いくつか番組をお願いしたんですけど、芸人時代にバンドをやってたんですよね。それもあったので、『ミュージックステーション』に引っ張って、たぶん彼にとってレギュラー番組の作家は『Mステ』が最初じゃないかなと思います。それからお笑いや音楽だけじゃなくて、いろんな分野でいろんなことをやっているので、「すごいなあ」「売れたなあ」と思って見ています。

  • 次回の“テレビ屋”は…
  • 放送作家・樅野太紀氏