今、注目を集めるテレビ番組のディレクター、プロデューサー、放送作家、脚本家たちを、プロフェッショナルとしての尊敬の念を込めて"テレビ屋"と呼び、作り手の素顔を通して、番組の面白さを探っていく連載インタビュー「テレビ屋の声」。
第3回の"テレビ屋"は、当連載初の放送作家である大井洋一氏。テレビ東京で放送されたおぎやはぎ、オードリーらのオールロケコント番組『SICKS~みんながみんな、何かの病気~』で脚本を担当し、TBS『水曜日のダウンタウン』では松本人志が覆面レスラーになって会場でバレるか?という説を企画した人物だ。番組の企画をきっかけに格闘技の大会にも出場してしまう"ノリ重視"の大井氏に、人気番組の裏側を語ってもらった――。
――まずは放送作家としてのご経歴を教えてください。
大学に入って1年くらいして、渋谷にあった吉本興業の公園通り劇場に、放送作家になりたいと言いに行ったんです。そこから劇場の手伝いをしていて、1~2年たったくらいのときに、ガレッジセールのゴリさんと一緒に、飲み屋でマッコイ斎藤さん(テレビディレクター)に会いました。そこでゴリさんがマッコイさんに「こいつ作家見習いなんです」って紹介してくれてお話ししていたら、ただで良いならということで、『極楽とんぼのとび蹴りゴッデス』(テレビ朝日系)という番組の会議を見学させてもらったり、ネタ出しをしに行くようになりました。大学も途中でやめちゃって、それをきっかけに、放送作家の世界に、半歩足を踏み入れたという感じですね。
――最初から放送作家志望だったのですか?
はい。でも、そこの劇場は芸人しか募集していなかったので、芸人として受けて受かりました。当時、公園通り劇場は、学校(=NSC、吉本興業の養成所)を通らなくても、オーディションで入れたんですよ。
――『ゴッデス』に入って、作家としてのキャリアが始まったんですね。
『ゴッデス』の会議には、一番端っこに座ってたんですけど、たまに加藤浩次さんが、ふらっと来るんですよ。僕からしたら本当にスターで、極楽とんぼが大好きだったんで、紹介されて加藤さんに「いくつなんだ? 大学行ってんのか?」と聞かれたときに「やめました。作家になりたいんで」と、"男気"として答えたんです。そしたら加藤さんに「大学もまともに出れねぇやつが仕事なんでできるわけねぇだろ!」って切り捨てられて(笑)。十数年たっても、それがずっと心の中に残ってるんです(笑)。
――その後、このエピソードを加藤さんに確認されたのですか?
はい。加藤さんに「あの話覚えてます?」と聞いたら、「俺全然覚えてない。ひでぇこと言ったな」と言われてしまいましたが(笑)。
――加藤さんらしいですね(笑)
それから吉本のマネージャーさんと付き合うようになって、ロバートとかインパルスとかと、ライブのネタ作りをしてたんですよ。で、フジテレビで『新しい波8』というネタ番組が始まるときに、出演する彼らの近くにいたので呼ばれたんです。そのメンバーから『はねるのトびら』が始まってそこにも呼ばれて…わりと運が良かったですね。生活は苦しかったですけど、ステップとしては良かった。初めてフジテレビに入った時は感動しましたから。ここがフジテレビか!って(笑)。
――そこから『笑っていいとも!』や『SMAP×SMAP』もやるようになったんですね。
ディレクターさんが違う番組を担当するときに呼ばれて『いいとも!』をやるようになりました。『スマスマ』に関しては、鈴木おさむさん(放送作家)が誘ってくれたんです。当時、ダイノジの大地洋輔とネタを書いたりしてたんですけど、大地とおさむさんが仲良くて、そこで僕の話をしてくれたんです。