トヨタ自動車といえば日本が誇る世界有数の自動車メーカーだ。しかし、トヨタ自動車の事業は自動車だけではなかった。戦前は航空機製造の計画もあり、1956年には僅かながらガソリンエンジンを搭載した機関車も製造したという。そんなトヨタ自動車が鉄道システムを開発した時期がある。短期間ではあるが、なんと営業運転も行われたという。

トヨタが開発したのは、IMTSという新交通システムだ。IMTSはIntelligent Multimode Transit Systemの略で、外観はバス。軌道はアスファルト、車輪はタイヤだった。つまり、トヨタとしては「未来のバス」として開発したと思われるシステムである。

IMTSの車両「IMTS-00系」

隊列を組んで「列車」として運行できた

IMTSはトヨタが1999年から開発したシステムだ。営業運転が実施された時期は2005年3月~9月までの半年間。場所は2005年日本国際博覧会の会場である。北ゲート駅 - EXPOドーム駅と、途中の西ゲートから分岐してメッセ前までの区間を運行した。このうち、北ゲート駅 - EXPOドーム駅が鉄道として届け出された。

鉄道事業法として届け出た「愛・地球博線」

開発はトヨタ自動車グループで、トヨタの展示の1つのように見えていたが、鉄道事業としての運営会社は「2005年日本国際博覧会協会」だった。IMTSの北ゲート駅 - EXPOドーム駅間は専用の道路で、無線による誘導で無人運転を実施した。そして、乗客から運賃を徴収していた。したがって、鉄道事業法の「専用の軌道を持ち、他者のために運輸事業を営む」となった。

長久手会場の敷地内のため、遊具としての運行もできたと思われる。しかし、大量輸送を行うことから「愛・地球博線」として鉄道事業の届け出を行ったようだ。無線誘導方式という全く新しい方式だったことと、期間限定の特殊な目的の営業であることから、IMTSのために鉄道事業法やその他関連法令の改正も行われたという。

IMTSの軌道には磁気マーカーがある

「駅」にはホームドアも設置されていた

IMTSの車両はトヨタ自動車と日野自動車が共同開発。専用区間では軌道上に埋め込んだ磁気マーカーを辿って走り、無線による自動運転を行う。車間距離を維持し、他の同型車と隊列を組んで運転する機能もあった。「愛・地球博線」では、乗降場を「駅」と呼び、「列車がまいります」「次の列車は○時○分発です」など「列車」として紹介されていた。しかし筆者が乗ったときは、利用者たちはどうも納得していない様子のように見えた。法律でどう解釈されようと、外観はやはりバスである。

(左)ガラス面の多い車体で室内は明るい。(上)無人運転区間ではモリゾーが運転席に。ガイド氏が「ここからはモリゾーが運転します」に乗客は納得した!?

「愛・地球博線」は2005年に半年だけ運行された「幻の鉄道路線」だった。鉄道事業法の認可を受けたために、筆者のような「日本の鉄道路線完全踏破」を目指す鉄道ファンも多数訪れた。IMTSはその後、廃止された桃花台新交通(愛知・小牧市)の軌道で再開するという構想があったものの、その計画は実現しなかった。現在はトヨタ博物館(愛知・長久手町)で「IMTS-00系」の7号車が保存されているという。