日本民営鉄道協会が発行する「大手民鉄データブック」によると、「大手民鉄」と呼ばれる鉄道事業者は16社ある。最も営業キロの長い事業者は近畿日本鉄道で501.1km、第2位は東武鉄道で463.3km、第3位は名古屋鉄道の444.2km、第4位は東京メトロで195.1kmとなっている。郊外へ足を伸ばさない地下鉄会社が4位とは意外な結果だ。

東武鉄道は関東において広大な路線網を誇っている。ご存じの通り、伊勢崎線系統が生粋の東武鉄道で、東上線系統はもと東上鉄道という出自。両社は1920年に対等合併して、現在の路線網の基礎となった。463.3kmといえば、まっすぐつないで東海道本線に例えると東京~米原間を超える距離である。

しかし意外なことに、地下鉄区間を除き、トンネルは1カ所だけしかない。

  • 『徹底カラー図解 東武鉄道のしくみ』(マイナビ出版)

東武鉄道で唯一の山岳トンネルはどこか。オンライン地図で線路をたどって……、いや、参考資料が見つかった。マイナビ出版が2016年に発売した『徹底カラー図解 東武鉄道のしくみ』の16ページにこんな記述があった。

関東最大の営業距離を持つ東武鉄道ですが、路線は関東平野を走る区間が長く、山岳トンネルは1カ所しかありません。日光線の明神~下今市間にある、全長約40mの十石坂トンネルです。

十石坂トンネルとはどこか。下今市といえば「SL大樹」が発着する駅として広く知られるようになった駅だ。国土地理院発行の電子地図で探してみた。

  • 明神~下今市間の地図。この縮尺ではトンネルがわからない(国土地理院地図を加工)

  • 拡大したら、たしかにあった(国土地理院地図より)

たしかに十石坂トンネルはあった。しかし「東武鉄道でここだけ」と言うからには、他のトンネルがないか確認したい。結局、いくつかの電子地図と航空写真サービスを確認した。そういえば「SL大樹」のルートにはトンネルがなかった。もっと北の山奥はどうか……あ、あった! いや、そこは新藤原駅の北側。野岩鉄道の区間だった。

東武東上線はどうだろう。森林公園駅から終点に近づくにつれて険しい山岳区間があったはず。うむむ……。たしかに山はあるけれど、線路はカーブしながらすり抜けていた。寄居駅までトンネルはなかった。ついでに寄居駅に接続する秩父鉄道の線路も眺めてみたけれど、なんと秩父本線もトンネルがない。なるほど、だから「SLパレオエクスプレス」を走らせやすかったのかもしれない。SL列車にとってトンネル走行は過酷だ。

東武鉄道のトンネルの少なさも、同社の歴史が古く、蒸気機関車の運用を前提に路線がつくられたからかもしれない。もちろん建設費用がかさむし、長大トンネルの掘削技術も未発達だったかもしれない。なるべく線路をくねらせて勾配を緩やかにして、トンネルを避けているように見える。

そうなると新たな疑問が生まれる。なぜ、十石坂トンネルはたった40mの短いトンネルになっているのか。実際に乗ってみたときは短すぎて気が付かなかったし、動画サイトに上がっている前面展望動画を見ると、前後の区間は切通しになっている。東武鉄道は切り通しで山を越えている場所も多い。トンネルにせずに、すべて切り崩しても良かった。

  • 航空写真に切り替えてみた。例幣使街道の杉並木がわかる(国土地理院地図より)

ところが、そうはいかない事情があった。このトンネル部分の上は「例幣使街道」が通っている。江戸時代の街道で、朝廷から派遣された例幣使が日光東照宮へ捧げ物を届ける路である。その神聖なる道は江戸時代から杉並木が作られた。その下に線路を通すことすらはばかられたことだろう。まして切り崩して街道を橋にするなんて畏れ多かったはず。

そんな事情もあり、十石坂トンネルが作られたようだ。ちなみに十石坂の「十石」は米の量に由来する。城作りに長けた大名、黒田長政が幕府の命により東照宮を建立することになり、石工たちとともに例幣使街道で石を運んだ。しかし旧坂に苦慮し、力をつけるために十石の米を食べたそうだ。