富士山の世界文化遺産登録が確実視される中、国内では他にも世界遺産登録をめざす動きがある。たとえば、熊本県人吉市は「肥薩線世界遺産推進室」を設置した。世界遺産に登録されるには、まず日本の文化庁がまとめる「世界遺産暫定リスト」に採用される必要がある。取組みが始まったばかりの肥薩線は、まだこのリストに入っていない。
しかし、仮に肥薩線の世界遺産登録が実現すれば、鉄道分野では世界で4番目になるという。ちなみに鉄道分野の世界遺産は、オーストリアのゼメリング鉄道、インドの山岳鉄道群、スイスとイタリアにまたがるレーティッシュ鉄道の3つ。歴史的な文化価値、建築様式、技術、景観保持などが評価されたようだ。ゼメリング鉄道は世界初の山岳鉄道でもある。
肥薩線は熊本県の八代駅を起点とし、人吉駅、吉松駅を経由して鹿児島県の隼人駅に至る路線だ。全長124.2km。途中の真幸駅付近では宮崎県も経由する。南九州を縦断する路線である。1909(明治42)年の開通からしばらくの間、福岡と鹿児島を結ぶルートはこの線路のみ。隼人~鹿児島間の線路(現在の日豊本線)を含め、こちらが鹿児島本線だった。山間部に鹿児島本線を建設した理由は、海岸沿いの線路だと異国からの砲撃を受けるおそれがあると考えたからだという。明治政府にとって、1862年の薩英戦争はまだ記憶に新しかった。
ところで、現在の肥薩線、当時の鹿児島本線の歴史的な価値とは何だろうか?
そのひとつに、人吉から雑木を輸送していたことが挙げられる。人吉の雑木が日本の近代化において重要な役割を持っていた。立派な材木ではなく、雑木が日本を支えたとは妙な話だ。じつは、雑木は細くて頑丈なため、坑木として筑豊の炭鉱に使われていた。筑豊をはじめ、石炭は日本の近代化・工業化を支え、世界と渡り合う力の源となった。その石炭の産出に、人吉から輸送された坑木が役立っていたのだ。
ただし、山間部の鉄道は大量輸送に向かず、速度も遅い。そこで1927(昭和2)年までに、海側に線路が敷かれた。現在の鹿児島本線(川内~鹿児島間)と肥薩おれんじ鉄道(八代~川内間)だ。海側のルートが開通したため、人吉ルートは肥薩線の名称に改められた。その後、隼人~鹿児島間が日豊本線となり、現在の姿になっている。鹿児島と八代を結ぶ主要ルートは変わったが、坑木は人吉産であることから、肥薩線となった後も重要な路線といえた。
日本の近代化を影で支えた人吉の雑木、そして雑木から作り出される坑木を運んだ肥薩線は、当時の日本にとって、まさに「縁の下の力持ち」といえただろう。世界遺産への道のりは始まったばかり。しかし日本国内ではきちんと評価されており、2007年に経済産業省によって近代化産業遺産に指定されている。