3月16日、東急東横線渋谷~代官山間がついに地下化され、東京メトロ副都心線との相互直通運転が始まりました。副都心線を経て西武池袋線・西武有楽町線や東武東上線とも1本で結ばれ、横浜から都心を抜けて埼玉方面へ、新たなる広域ルートの出現です。東急線においても、「史上最大の大変革」といえるでしょう。

ところで、今回の相互直通運転開始に限らず、東急線といえば過去にいくつかの大変革がもたらされてきました。勝手ながら筆者が考える過去の「3大・東急線の大変革」を挙げると、「新玉川線(現在の田園都市線渋谷~二子玉川間)開通」(1977年)、「緑色の旧型車、完全引退」(1989年)、「東横線横浜~桜木町間廃止、みなとみらい線へ直通運転開始」(2004年)といったところでしょうか。

新玉川線開通を前に試運転中のデハ8624ほか6連

クハ8006ほか6連。当時の東横線は渋谷~日吉間の折返し運転もあった

東急目蒲線(現在の東急目黒線・東急多摩川線)沿線で生まれ育った筆者にとって、とくに印象に残っているのが、「緑色の旧型車、完全引退」です。

緑色の旧型車。デハ3495ほかオールMの3連

1970年代、東横線や田園都市線(現在の大井町線と田園都市線二子玉川以西の区間)へ次々にステンレス車が増備されてゆくと、旧型車の活躍の場は狭まり、目蒲線と池上線だけになっていました。その後、しばらくは両路線で活躍を続けてきましたが、やがてその「牙城」が崩れるときがやって来ます。それは1980年の目蒲線新性能化です。ただし、目蒲線においてはステンレス車を新製投入するのではなく、東横線や田園都市線を追われた旧5000系を転属させた上での新性能化でした。

その「牙城」が崩れる寸前、検車区がある目蒲線奥沢駅で撮影した、最後の輝きを放つ緑色の旧型車たちの姿をご覧いただきましょう。

3450形同士が並ぶ。写真左が蒲田行デハ3483、右が目黒行デハ3474

3450形で唯一、ナンバーがセンターにあったデハ3461ほかオールMの3連

目蒲線の主力車両、3500形デハ3515

3500形唯一の貫通扉付の電車デハ3508

なぜ奥沢駅かといえば、朝ラッシュ時に予備車など数本を除き、ほとんどの編成がこの駅を走行していたからです。当時の目蒲線では、奥沢検車区に3両編成の電車が24本配置され、データイム8本、朝ラッシュ時21本が運行されるというダイヤになっていました。

8時半を過ぎて朝ラッシュがひと段落すると、目黒発奥沢行の下り電車で続々と入庫が始まります。奥沢駅では、蒲田行の電車と奥沢止まりの電車が交互に下りホームに到着。ピーク時には5分おきに奥沢止まりの電車が下り線から上り線を横切り、いったん引上げ線へ入ってから入庫するという状態でした(写真12・写真13が引上げ中の電車)。

だから朝の奥沢駅に1時間ちょっといただけで、目蒲線の運行に入っているほぼすべての車両を効率よく、じっくりと撮影できたのです。

名鉄に譲渡された運輸省規格型電車デハ3709

異形式の電動車で組成された3連。デハ3715・デハ3607・クハ3672

東急最後の旧型車として製造された3801。更新され、平滑な車体となった

戦災復旧車クハ3671。更新後の姿

3700形の制御車クハ3755。珍しいセンターナンバーのこの車両も名鉄で活躍した

デハ3711・デハ3712・デハ3499。現在、デハ3499は関東某所で静態保存されている

当時の目蒲線の電車は2M1T(動力車2両・付随車1両)の編成が基本で、「Mc+T+Mc」「Mc+Mc+Tc」(「c」は運転台を有する車両)の2種類あり、クハは全車下り方(蒲田方面)に連結されていました。ただし、ときどきクハの代用でデハが連結されることがあり、その際に3450形両運転台車も使用されていました。

東急線の緑色の旧型車は、今回紹介した写真を撮影した後、元号が昭和から平成に変わる頃まで活躍しましたが、1989(平成元)年3月11日、池上線から引退。1週間後の3月18日に目蒲線からも引退し、全車引退となりました。

「鉄道懐古写真」撮影時期と撮影場所

  撮影時期 撮影場所
写真1 1977年3月 新玉川線 二子玉川園駅(当時)
写真2 1974年10月 東横線 多摩川園前駅(当時)
写真3 1980年12月11日 目蒲線(当時) 西小山駅
写真4 1980年4月11日 目蒲線(当時) 奥沢駅
写真5
写真6
写真7
写真8
写真9
写真10
写真11
写真12
写真13
※写真は当時の許可を取って撮影されたものです
松尾かずと
1962年東京都生まれ。
1985年大学卒業後、映像関連の仕事に就き現在に至る。東急目蒲線(現在の目黒線)沿線で生まれ育つ。当時走っていた緑色の旧型電車に興味を持ったのが、鉄道趣味の始まり。その後、旧型つながりで、旧型国電や旧型電機を追う"撮り鉄"に。とくに73形が大好きで、南武線や鶴見線の撮影に足しげく通った