もうすぐゴールデンウィークも終わり。連休を使って列車の旅を楽しんだ人の中には、旅の出発点や終着点、あるいは東京への旅の拠点として、東京駅や上野駅、新宿駅といった首都圏のターミナル駅を利用された人も多いのではないでしょうか?

今回はこれら首都圏のターミナル駅で撮影した、昭和の風景を紹介しましょう。まずは北の玄関口、上野駅です。1970年代(昭和50年前後)の上野駅は、東北本線や常磐線をはじめ、高崎線から信越本線または上越線など、各路線の始発・終着駅として、特急列車から普通列車まで多数の列車が発着していました。

いまはなき地上ホームの20番線へ、青森から到着した寝台特急「ゆうづる」。最後尾は座席車ナハフ21から改造されたナハネフ21

高架ホーム8番線に到着した寝台特急「北陸」の最後尾ナハネフ22。休日になると、早朝からカメラを持った鉄道ファンであふれていた

EF80形牽引の常磐線客車列車が20番線に到着。EF80形はライトが埋込み式の1次形

常磐線の急行「ときわ」。水戸駅から水郡線に乗り入れる「奥久慈」を併結するため、DCで運転されていた

常磐線急行「ときわ」(写真4)は当時、おもに451・453系急行形電車で運転されていましたが、水郡線直通の急行「奥久慈」を併結する2往復のみ、キハ28・58系を使用していました。上野駅高架ホームに乗り入れるディーゼルカーの姿が珍しく、鉄道ファンが集まってシャッターを切っていたようです。

続いて、「東京の表玄関」ともいうべき東京駅の写真を紹介しましょう。

7番線(当時)に停車中の東海道線113系

写真5の反対側にカメラを向けると、クモユニ74形が停車していた

当時、東京駅7・8番線ホームの有楽町寄りには、荷電用の切欠きホームがあり、荷扱いを行っていました。写真6はその切欠きホームに停車中のクモユニ74形です。このホームの先、有楽町寄りに短い留置線があり、つねに数両の荷電が停車していたのを覚えています。

クモユニ74形は、東海道線での荷物輸送のため、旧型国電モハ72形を改造して生まれた郵便荷物合造車で、足回りをそのまま流用し、車体のみを新製して乗せ替えています。新性能電車の113系と併結運転ができるように、特殊な制御回路を積んでいました。現在、このクモユニ74形をイメージした郵便ポストが、JR品川駅改札内に設置されています。

東京駅地下ホームに停車中の総武線快速113系

写真7・8はともに、東京駅地下ホームにて、折返しのために停車中の総武線快速113系です。撮影した当時、総武線快速はまだ横須賀線との直通運転をスタートさせておらず、東京駅発着となっていました。

総武線快速の東京駅乗入れは、1972年の錦糸町~津田沼間複々線化完成とともに開始。それと同時に、両国駅や新宿駅から運行されていた房総方面への急行列車の一部が特急に格上げされ、東京駅発着での運行が始まりました。

165系の両国発銚子行急行「水郷」

急行「水郷」のサボ。「成田回り」と入っている

安房鴨川発新宿行の急行「外房」が総武緩行線を通過し、新宿へ向かう。左側にいるのは101系

写真9~11は、特急列車の運転が開始された後も残った、房総方面への「房総急行」。撮影した日付から、ディーゼルカーが電車へ置き換えられた直後と推測されます。

この置換えは、1974年の総武本線・成田線・鹿島線の電化完成を受け、翌1975年3月のダイヤ改正で行われました。以降、「房総急行」は特急を補完する形で細々と走っていましたが、1982年のダイヤ改正で特急に統一され、全廃となりました。

「鉄道懐古写真」撮影時期と撮影場所

  撮影時期 撮影場所
写真1 1976年9月 上野駅
写真2 1976年9月
写真3 1975年2月
写真4 1974年10月
写真5 1975年7月 東京駅
写真6
写真7 1975年3月 東京駅地下ホーム
写真8
写真9 総武本線 両国駅
写真10
写真11
※写真は当時の許可を取って撮影されたものです
松尾かずと
1962年東京都生まれ。
1985年大学卒業後、映像関連の仕事に就き現在に至る。東急目蒲線(現在の目黒線)沿線で生まれ育つ。当時走っていた緑色の旧型電車に興味を持ったのが、鉄道趣味の始まり。その後、旧型つながりで、旧型国電や旧型電機を追う"撮り鉄"に。とくに73形が大好きで、南武線や鶴見線の撮影に足しげく通った