今回は少し趣向を変えて「鉄道珍百景」と題し、鉄道に関する変わったモノや珍場面を紹介します。横浜線・東神奈川電車区(撮影当時。現在は留置線のみ存在)で見つけた"珍エコロジー"です。それは、1979(昭和54)年9月30日の「サヨナラ運転」をもって横浜線から73型旧型国電が引退したにもかかわらず、何故か1年もの間、電車区の片隅に留置されていた5両の73型を撮りに行った時、偶然発見したあるモノです。
横浜線(通称: ハマ線)は、東神奈川と八王子を結ぶ通勤路線です。もともとは、八王子周辺で生産された生糸を横浜へ輸送を目的に、1908(明治41)年9月に全線開通しました。戦後の高度経済成長期には沿線の開発が進み、首都圏の重要な通勤路線へと変貌を遂げていきます。そんな中73型は、1952(昭和27)年に横浜線で初めて導入され、それまで運行されていた戦前型旧型国電に混じり活躍を始めます。1971(昭和46)年、全車73型に統一され、配置は約90両を記録。しかし、その翌年には73型を追い出すことになる新性能通勤電車103系が早くも登場します。その後、103系が追加導入され、最末期には約40両までに減少。1979年9月に全車が引退し、27年間という活躍の歴史に幕を閉じました。
まずは、東神奈川駅寄りで、103系との並びを撮影。そして、73型が留置された横の犬走り(通路)を通り、反対側のクモハ73の撮影を始めました。
その時、ふと足元の(留置線の)番線が書かれた表示板の裏が見えました。それは、なんと! 行先板だったのです!!
行先板とは、列車の前面や側面に掲げられた列車の行き先を示す鉄板のこと。通称「サボ」と呼ばれ、「サインボード」を略したものといわれています。発見した行先板は、京浜東北線「南浦和行」。これが使用されていたのは、京浜東北線から73型が引退した1971(昭和46)年まで。それ以来、本来の役目を終えて留置線の終端部でひっそりと再利用されていたのです。正に、電車区ならではの珍エコロジー!
この行先板、実は首都圏の旧型国電が走った線区で、デザインが違いました。京浜東北線は、写真のような白に縦線が左右3本ずつ。山手線は、オレンジに白い大きな丸。横浜線は、紺に白の縦線が左右1本ずつ(末期は紺色のみ)など線区ごとに変えることで、誤乗防止につなげたのではないかと考えられます。
さらにもう一枚発見、横浜線「八王子行」の行先板。行先板も時代とともに大きく変化、最近では「LED」が主流になっている。行先板を使ったリサイクルはもう出来ない……(笑)。横浜線東神奈川電車区にて。1980(昭和55)年8月30日 |
撮影当時のネガを見て、ある事実に気がつきました。それは……行先板の裏側だけ撮影。表側(番線表示)は、ひとコマも無し(笑)。最後に、行先板の「正しい使い方」を……。
写真は当時の許可を取って撮影されたものです
松尾かずと
1962年東京都生まれ
1985年大学卒業後、映像関連の仕事に就き現在に至る。東急目蒲線(現: 目黒線)沿線で生まれ育つ。当時走っていた緑色の旧型電車に興味を持ったのが、鉄道趣味の始まり。その後、旧型つながりで、旧型国電や旧型電機を追う撮り鉄に。特に、73形が大好きで南武線や鶴見線の撮影に足繁く通った。