テレビの映画番組の解説者として人気だった水野晴郎氏が、自らメガホンを取った作品が『シベリア超特急』シリーズだ。今回紹介する作品は、その第1作にあたる。

映画を批評する立場の水野氏が、自分の納得のいく映画を撮ろうと立ち上がり、どんなすごい作品を作るか……と思ったら、これが拍子抜けのB級作品。映画評論家の仲間たちは、酷評と賛美で真っ二つに別れたという。

しかし、B級映画ファンの間でじわじわと人気が高まり、賛否どちらの立場からも愛された。その結果、『シベリア超特急』シリーズは映画5本と舞台作品2本の全7作まで制作された。シリーズ集大成として、『シベリア超特急・ファイナル』というべき作品も準備されていたようだ。しかし水野氏の死去(2008年)で立ち消えになった。

ところが最近になって、同シリーズにレギュラー出演し、水野氏の一番弟子という西田和昭氏が続編を手がけると報じられた。賛否両派とも待望の新作であろう。まだ『シベ超』を知らないなら、この機会に第1作から観ておきたい。

たった1両の客車で、乗客が次々に消える怪事件

満州鉄道「あじあ号」のような列車が登場する(写真はイメージ)

陸軍大将の山下奉文(水野晴郎)は、戦争を回避し、多くの命を救うために軍人になったという。第二次大戦の前夜、山下はヒトラーとの会談を終えて帰国の途へ。モスクワから満州へ向かうシベリア鉄道の列車に乗った。1等客車には山下に随行する佐伯大尉(西田和晃)、青山一等書記官(菊池孝典)のほか、契丹(きったん)民族の李蘭(かたせ梨乃)、ウィグル民族のカノンバートル(アガタ・モレシャン)、オランダ人女優、ドイツ軍中佐、ソ連軍大佐、ポーランド人の商人が乗っていた。

事件はその車中で起きる。ソ連軍大佐が失踪し、李蘭は別人にすり替わっている。青山は異変に気づき山下に進言、事態を調べ始めた。山下は座ったまま目を閉じ、部下の話を聞きつつ、真相に迫っていく。事件の背景には帝国主義による少数民族迫害の悲劇があった。山下は反戦への思いをいっそう強めるのであった……。

低予算映画であり、物語も強引ながら、社会派反戦映画として強いメッセージ性を持っている。その青臭いまでの反戦メッセージを、B級テイストのエンターテインメント性でくるんだ。「笑われてもいい、映画を使って言いたいことを言ってやった」という意味で、この映画は大成功といえる。

一流の美術監督が作った客車は一見の価値あり

鉄道ファン的な視点で見ても、低予算のB級作品であると明らか。客車はスタジオセットだし、動いていないし、タイトルバックに登場する客車の外観は絵だ(笑)。物語を寝台車だけで完結させるためか、舞台は大陸横断列車の最終行路、7日目の食後から始まり、「終着駅まで食事サービスはない」と車掌が言う。都合が良すぎる展開だ。ときどきインサートされる列車の走行シーンも、どこかのニュース映像を使っているらしい。満州鉄道かと思われるが、「あじあ号」ではないようだ。

しかし、この作品を最後まで見れば、ロケや合成ではなく、スタジオセットの客車で撮影した理由がちゃんとあることに気づく。ただし、「最後のクレジットの後については話さないでください」というお約束があり、ほぼすべての観客がこの約束を守ってきた。だからここでも、「理由」は書かない。最後まで見て、笑って、感心して、水野監督の映画に対する思いを読み取ってほしい。

なお、同作品で使われた客車のセットは、1988年に公開された映画『敦煌』の美術監督が手がけたという。『敦煌』は井上靖原作の小説を映画化した作品で、翌年に日本アカデミー賞を受賞した作品。一流の美術監督が作った「大道具」としての客車は、なんと釘を1本も使わず、あらゆるところが取外し可能で、カメラアングルを自在に設定できたという。

低予算映画として、最も予算を注ぎ込んだと思われる客車。その内装はじつに見事だ。鉄道ファンならこれだけでも観る価値があると思う。もしかしたら、自宅の部屋もこんな客車のように改造できるかもしれないと、妙な希望を持てそうである。

映画『シベリア超特急』に登場する鉄道風景

客車 スタジオセット。低予算映画にしては精巧な作り
蒸気機関車が牽引する列車 当時のニュース映画か、中国またはロシアの列車の映像素材を古く見せている