私の父は、結構な知識人だと思う。父の書斎には天まで届くような本棚があり、ギッシリと本が詰まっている。会社では知的美人なキャリアウーマンたちを従えており、頭のよい人間が好きなようだ。その父は、娘たちに源氏物語に由来する名前をつけたのだそうな。なんだかどこを取ってもハイソである。
そんな父が、にこやかに私に声をかけた。「ねえ、明石源氏って知ってる?」。わからないと言うと、「源氏物語を読もうとしても、大抵は明石の帖で終わっちゃうんだよ。だから、明石源氏」と嬉しそうに言う。続けて、「英和辞書を丸暗記しようとしてね、aから暗記を始めても、abandonで、"あきらめ"ちゃうんだ! あははは」(abandon=あきらめる)。
自分は努力家の知識人で、周りもそんな人ばかり置いてるくせに、どうして娘にはそんなこらえ性のない話ばかり説いて聞かせるのか……。とはいえ、源氏物語、明石の帖って、そんな序盤(abandonほど)じゃないぞ。そこまで読めれば、たいしたものだと思うがなあ。というわけで、源氏物語を完全漫画化した『あさきゆめみし』。受験生の必須参考書だ。
源氏物語は2008年、一千年紀を迎えたそうな。千年もの間、女にこよなく愛され、読み継がれるというのは、尋常じゃない。しかし、男子に源氏物語について聞いてみると、予想以上に認知度が低いので驚いた。源氏以外の登場人物について名前を出せる人が、まずいないのだ。「源氏の登場人物」で山手線ゲームをやったら、一撃で終了じゃないか。その上、「なぜ源氏物語はこれほど女に愛されたのか」と聞いてみると、「世界最古の、ひとりの著者による長編小説だから」だと。そんな理由で、おもしろおかしく読み継がれるわけがあるかっ! 男のデータ好きにもほどがある。
今回からは『あさきゆめみし』にて、なぜ源氏物語がこれほど女の心を捉えたのかを、半分怒りを込めつつ語ってみよう。
時は平安。時代の天皇、桐壺帝は、桐壺の更衣にベタ惚れし、ひとり息子を産ませた。光る君<ひかるきみ>である。桐壺帝は、病弱な桐壺の更衣が亡くなると、彼女にうり二つな女性、藤壺の宮をめとる。幼い光る君は、この美しい継母に、憧れにも似た恋心を抱くようになる。しかし彼女は自分の父親、しかも天皇の妻だ。叶う恋ではない。こうした光る君の藤壺への想いが、源氏物語のベースである。
叶うはずのない恋のつらさから、光る君(源氏)は藤壺に代わる女性を求めて、六条の御息所、夕顔、末摘花、朧月夜、花散里、空蝉、明石と、せっせと女を渡り歩く。藤壺の血縁・紫の上のことなどは、子どものころからさらってきて、自分好みに育て上げて嫁にしてしまう。それでも女通いはやめられない。こいつのすごいところは、女と相対しているときは、本気でその女のことが好きなところだ。そして一度関わった女は生涯忘れず、しっかりと面倒を見てやる。ちょっと間違っちゃってやっちゃった末摘花でさえ、生涯世話をしているのだから、偉いもんだ。
そう、確かに源氏は、よく気がつくし、容貌も優れているようだし、イイ男だ。が、そんな理由で女が『源氏物語』に千年も夢中になるわけがないのだ。女たちは源氏に絡んで登場する、あまたの女性たち……悩み、苦しみ、そうやって自分の道を見つけていく、生き生きとした女性たちに深く共感する。これだけ登場人物のすべてに魅力があるのは、ただごとではない。そしてこの物語を通して、改めて女が生きるのは楽ではないのだと思い知らされる。
それに加えて、ストーリー自体のおもしろさ。恋愛あり、政治ありの起伏に富んだ構成で、飽きさせない。特に漫画の場合、作者の大和和紀の作品は、衣装がことのほか美しい。アシスタントさんたち、ご苦労。改めて読み返してみて、質の高い漫画だなと感心した。
では次回からは、この『あさきゆめみし』に登場する女性たちについて述べさせていただこうかな。
<つづく>