二股をかけてたらその相手同士が鉢合わせ、修羅場に立ち会ったという人って、どれだけいるだろう。残念ながら自分はない。今思えば、そんな漫画やドラマみたいなシーンを経験しておいてもよかったかもなあとは思うけれど。人生のネタとして。

さて、花房が女と楽しんでいるところに、突然やってきた周。「どうして僕以外の人と寝たり出来るの?」と責める。花房が「周にだって…出来るでしょ?」と言うと、周は戸惑って言い訳をする。しかし花房はこう言うのだ。「いいの。責めてるんじゃないの」。周は、自分が花房の浮気(?)を責めたのだから、自分も仕返しされたと思い込んだのだ。こうやって人ってすれ違っていくんだな。花房は言う。「私は愛することを契約や約束のようには考えられないの」「考えられないから…いきなり来たりしちゃいけないって言ってるのよ」。

誰と付き合っても、相手を思いやっても、自分を押し殺す必要はない。だからといって、相手を無駄に傷つける必要もない。周のことは好きだけれども、だからといって花房はほかの人を愛することをやめるつもりはない。ひとりに決めなければいけないとも思わない。愛しいものを愛しいと思うだけ。でも、周に独占欲が湧いて嫉妬する気持ちになることは尊重する。だから「いきなり来たら、あなたが傷つくような場面を見ることになるかもしれない。だからしないで。あなたを傷つけたいとは思ってないから」と言っていたのだ。

「連絡もなしにいきなり家に来ないで」と恋人に言われたら、どう思うだろう。「何かヒミツがあるに違いない」と思う人もいるだろうし、「気むずかしい人なのかな」と思うかもしれない。でも本当は「予定を狂わされるのがイヤなの」かもしれない。人がその言葉をどんな意味で使っているのかは、安易に他人にはわからないはずだ。なのに、現実にはそれを自分の思う意味で勝手に解釈する人がどれほど多いか。

花房は普段、それはそれは優しくて、弱っている人がいれば助けてあげるし、樹里のウソだって丁寧に聞いてその気持ちを推し量ってあげる。花房は、どの人間にとっても癒しの存在だった。優しさは弱さではないのだ。周に間違いを指摘されれば、素直に認める潔さもある。だけど自分の存在を誇示したいために浮気をするのではないから、この台詞が奥深いのだと思う。

まー個人的には、愛することは契約で約束だと思ってるから、花房さんみたいな人を好きになったら辛いだろうし、理解ができないと思うけれども、自分のしていることに言い訳したり隠したりせず、でも起こりうる問題を想定して対処しているところが、大人だよねえ。樹里としたことを胸を張って言えない周とは大違いだ。

そして花房はこう続ける。「このまま帰って。明日はまたあなたのこと愛せるかもしれないのだから」。女のように泣いて逃げ帰る周。そりゃ、ちょっと前まで好きだ好きだとお互い盛り上がっていたのに、浮気(?)現場を見て責めた途端にこう言われたら、びっくりして泣くでしょうね。周にとって、それは当然の権利だと思っていたのに。

でも、これも間違ってないと思うのだ。相手を好きだ、大事だと思う気持ちは、自分を尊重して、理解してくれて初めて生まれるものだ。約束を破って、勝手に傷ついて、責めて、言い訳をする相手をなおも「好きだ」と言うほど、花房はロマンチストじゃないのだ。人間関係は、お互いのルールの上に成り立ってるのだから。それを踏み外したのなら、気持ちがなくなるのは当然。でも間違いは誰にでもあるから、人にはいいところもあるのだから、「明日にはまた愛せるかもしれない」のだろう。

恋愛ってさ、始まるときはかなり非理論的なことが多いけど、それを続けていくときになると、もっと形に見える理由や原因が通用するようになるのかもしれないな。
<つづく>