書店に行って新刊チェックをしていたら、こんな雑誌を見つけた。「嫁姑 もう我慢も限界です」。思わず吹いてしまった。これ、雑誌のタイトルだよ? そんなものを、わざわざ漫画にして読まなくても……。とはいえ、「結婚生活ああ大変」的な女性漫画雑誌って、不定期でよく出てるんだよね。人生大変だ。

しかし嫁と姑、まあ普通に考えれば面倒くさい。世代が違えば、感覚も違う。だけどこの問題って、夫の態度で8割方解決すると思うんですけど……。昔、自分が結婚していた時分に、夫の実家に行ったときのことだ。夫はさっさと自分の2階の自室に行くので、何となく私もついていった。そしたら後で姑は、「香菜子さんは、うちに来たくないのかしら、来てもすぐに2階に上がっちゃうし」と不満を言っていたそうだ。ていうかその不満っていうのを、私は夫から聞いたのだった。

まーまだ私も若かったですから、そう言う夫に「てめえの家のことはてめえで処理しろよ」的なこと言っちゃってケンカを売ったわけですが、同じ言い方はしないにしろ、当時と気持ちは変わらない。問題は、「何故、母親の言ったことをそのまま私に伝えるのか」ってことだ。私の態度が気に入らないと母親から聞いて、「なるほど確かに」と思うのなら、自分の言葉で「僕はこう思うから気をつけてほしい」と言えばいいのだ。「誰々がこう言っていた」と言うのは、自分は責任を負わない卑怯な言い方なんである。もしも母親の意見が間違っていると思うなら、私に言わなければいい。ただ他人の言葉をオウム返ししただけで、そこに自分の意見が全く感じられないのである。

で、結局どうなるかというと、私の姑に対するイメージは悪くなり、夫は頼りにならないと思い、夫の実家に行くのがたいそう面倒になるのである。ついでに言えば、私の印象もことのほか悪かったことでしょう。「あれは僕がさっさと部屋に行くから悪いんだ」と言ってくれれば、誰も悪者にならないのに。自分の実家は、自分にとっては自宅だけど、自分の伴侶にとっては他人の家なのだ。連れて行くなら相応のケアをしてくれなければ、連れて行かれたほうは辛いのだ。間に立つ人間の気遣いひとつで、人間関係ってのは大きく変わるのである。

と、気づけば前振りが異様に長くなってしまった。今回取り上げる『坂道のアポロン』は、瞳キラキラのキュンキュン少女マンガではない。登場人物全員、『あさきゆめみし』の女三宮っていうか。でも「ああ少女マンガだな」と思う。なぜなら、でかい事件が何も起こらないから。ドガシャーンとかギューンとか、耳をつんざくような擬音は登場せず、目前に立ちはだかる敵もいない。音楽だって、画面の空気感で表現。曇り空の下で(なんとなく漫画から読み取れる空のイメージが曇天なんだよな)、地味に青春する話なのだ。でもこの話を「面白い」なんていう男子がいたら、ちょっといいなと思う。逆に「どこが面白いの?」とか聞かれたら、そいつにはその後、お笑い芸人の話しか振らないだろうなあ。

時代は1960年代。戦後の傷もまだまだ癒えないころ。携帯も、ネットも、ギャルもいなかった素朴な時代。ノスタルジックだ。横須賀から長崎県へやってきた男子高生の西見薫は、ガリ勉でチビでメガネで、他人が怖い。クラスメイトとなって知り合ったのが、豪快でケンカの強い千太郎だ。これに淡い恋愛模様を交えながら、二人の友情を描いていく。

余談だけど、先日夜中に「男女の性のとらえ方」について男性と話をしていて、BLの話になった。少女漫画で描かれる男同士の友情は、ソフトなBLなんだと言おうとして、その人は「ソフトエス……ビーエルなんですよ」と言い直していた。今、なんて言おうとした? エス? エスって言ったよね? とはつっこめなかったが、ソフトときたらエス、という頭の回路になってんだろうなあと思ったら、なんだかおかしかった。

というわけで、『坂道のアポロン』も、軽くBLなのかもな、と思う。濡れ場はないですけども。それにしてもこの話、女の弱いところをキュンキュン刺してくれるよ。次回はそんな話を。
<つづく>