スペインに短期留学していたとき、驚いたのは、彼らの日本に対する知識の低さだった。アメリカ人は、それでも日本人や日本文化に対してよく知っているのだな。クラスメイトたちに「寿司の作り方を教えろ」と言われたとき、あわあわしている私に代わって説明してくれたのはアメリカ人だった(いきなり「海苔」を英語で言えといわれても浮かぶもんか!)。

ヨーロッパ人は、中国、日本、韓国あたりの区別がまったくつかない人が多い。チャイナドレスの柄が平安時代の女性だったり、「香港東京大阪北京」と書いてあるドレスが売られていたり、割としっちゃかめっちゃかであった。

しかし、噂には聞いていたが、日本のアニメの浸透っぷりは凄かった。ハイジなど現役でCMに出演していたし、クレヨンしんちゃんが進出したばかりとかで、子どもたちは皆、彼のキャラクター衣装を着ていた。テレビをつけてアニメが流れていれば、それは間違いなく日本のものだ。ある日、ふとテレビを見てみると、男女が駅のホームで劇的になにかやらかしているシーンのアニメだった。この絵柄からして間違いなく日本のだろうなと思って少し見てみたら、最後に『ママレード・ボーイ』というタイトルが表示された。フーンと思っていたが、帰国後、それが少女漫画であることを知ったのであった。

というわけで、遠くスペインで放送されていた『ママレード・ボーイ』。これにも少女漫画の王道がぎっしり詰まっている。それは「イケメンと同居」「薄幸の美少女はお友達」「イケメンはテニス部」「別れの理由は自分以外」というところ。

それではまず「イケメンと同居」からいってみよう。イケメンと偶然同居するハメに!……という展開は、ほんっとーに少女漫画ではよくある。『イタズラなKiss』『悪魔で候』などは、親の事情で連れ子と同居というパターンで、そこだけ取れば同じ話である。『ママレード・ボーイ』では、光希(みき)と遊の両親が、相手をすげ替え離婚・結婚、つまりスワッピング結婚したいと言いだし、2家族6人での生活が始まるというもの。昨日今日出会った男女高校生がいきなり同居を始めるのである。いたしちゃいけない相手と、プライベートに深く関わる、同居をしなければいけないというのは、女にとって最高の萌えのようである。

何より、女は「男のプライベート全部を自分のものにしたい」という願望があるのだ。付き合っている男の休日はもちろん自分のもの、寝顔を見るのは自分だけ、彼が心を開くのは自分だけ。プライベートをがっちり押さえておけば、浮気の心配がこよなく減るからだ。自分が相手の男で頭がいっぱいになる分(女は物事にキックオフしやすい脳みそなんだとか)、相手にもそれを望むのである。

事実、複雑な生い立ちを持つイケメン高校生・遊は、「あまり人に心を開かないシャイなイケメン」である。ところが、天真爛漫な主人公・光希に惹かれているようである(いきなり保健室でチューしたりしてるし)。人に心を開かないけれど、天真爛漫な主人公にはついつい惹かれる……これも少女漫画の国道である。うじゃうじゃあるわあるわ、この手の話が。もちろんそれなら浮気の心配がないからな。自分に対して絶対無二感が持てるのだ。こういうのに憧れちゃって、男子の前で「明るい女子」を演じる女も多かろう。

そしてふたつ目、「薄幸の美少女はお友達」。これは『I LOVE HER』にもあったが、大人びた美少女は、家は金持ちだが愛に飢えてて不幸、というやつ。茗子(めいこ)は光希の親友らしいが、両親の仲は冷えていて、薄幸そうである。これにはいろんな要素があるのだが、まず「金持ちで愛情タップリの家庭に育った美少女」では、読者の共感が得られない。美人には何かしら不幸の要素がなければ、凡人の読者は世の中の不公平感を感じて、納得しないのだ。

けれども、主人公には「美少女を友達にする優越感」が欲しい。学生のころは、稼ぎがあるわけでもなく、人の評価が外見によりがちだ。美人を友達にするのは、何となく誇らしいもの。かくして茗子は、美人であるが故に不幸な設定で、主人公の親友にさせられているわけである。

と、何となくイヤな感じになったところで、次回は「イケメンはテニス部」「別れの理由は自分以外」について。
<つづく>