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初恋、初体験、結婚、就職、出産、閉経、死別……。
人生のなかで重要な「節目」ほど、意外とさらりとやってきます。
そこに芽生える、悩み、葛藤、自信、その他の感情について
気鋭の文筆家、岡田育さんがみずからの体験をもとに綴ります。
「女の節目」は、みな同じ。「女の人生」は、人それぞれ。
誕生から死に至るまでの暮らしの中での「わたくしごと」、
女性にとっての「節目」を、時系列で追う連載です。
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エレキギターは不良の楽器

母校の中高一貫女子校は、校則らしい校則もない自由な校風だったが、ところどころ謎の禁則があった。その一つが、「中学一年生からクラブ活動は必須、ただし軽音部は中学三年生以上のみ入部を許可する」というもの。文化祭でバンドを組むのに憧れていた私は、出鼻を挫かれる想いだった。納得できない、吹奏楽部とか聖歌隊とかじゃないんだよ、中一から軽音部に入りたいんだ、ギター振り回して壊したりキーボードに乗って暴れたり、屋上か歩行者天国でゲリラでギグしてポリ公と流血沙汰になりながら武道館そして東京ドームへ駆け上がり失神するファンにダイブしながら脳内麻薬にラリッて30歳で死ぬような部活がしたいんだ!……と当時の心情を書いてみて、「なるほど、中二病の諸症状が落ち着く年齢までみだりにエレキを許可しない学校は正しい」とわかった。今わかった。

1994年に14歳の中学三年生になってみると、私は音楽を「聴く」ほうに忙しく、「演る」軽音部を志望する気持ちはだいぶ萎えていた。前年末にD-projectのラストアルバムが出た感傷に浸る間もなく、4月にTMNの終了宣言、trfがアルバムを二枚出してEUROGROOVEがデビュー、スカパラは『FANTASIA』、坂本龍一は『sweet revenge』で井上陽水は『永遠のシュール』、LUNA SEA「ROSIER」大ヒットからのLSB、L'Arc-en-Cielがついにメジャーデビュー、ORIGINAL LOVE『風の歌を聴け』と小沢健二『LIFE』とTHE BOOM『極東サンバ』、年末に出たのがNOKKO『colored』、「尾崎家の祖母」がCD化したのも、テレビ番組で鈴木祥子に一目惚れしたのも、この年だ。

同じ学年のオシャレで社交性の高いロック少女たちが軽音部に入るとの情報も耳にして、昼の弁当を食う仲間も探せずにやおい同人誌の貸し借りと執筆に明け暮れる自分が、彼女たちと一緒に肩組んでステージに立つ姿が到底想像できなかったのもある。NHK『土曜ソリトンSIDE-B』が始まるのはもう1年ほど後のことだが、「イエモンのコピーバンドとかじゃなく、宅録系の部活動があればいいのになぁ」なんて思っていた。

少し気が多い私なりに

タワーレコード渋谷店がまだ東急ハンズの向かいにあった頃で、最初はavex traxの無料配布冊子『beatfreak』が欲しくて通っていた。ジュリアナ死せどもディスコは死せず、行ったこともないクラブの名を冠したコンピレーション盤を聴きあさる毎日だ。あるとき奥のほうのこぢんまりした一角に立ち寄ると、煌びやかなダンスミュージックと違って手作り感満載、おそろしく地味でどことなくフレンチで見るからに喧嘩の弱そうなジャケットばかり並んだコーナーがあった。その試聴機で聴いたカヒミ・カリィのマキシシングルが、私と「渋谷系」との出会い。

あの街が渋谷系ムーブメント一色に染まっていたなんて、あまりにも美化されすぎた思い出ではなかろうか。現実にはWANDSとZARDにtrfが加わる三国無双を、夏はTUBEが抱きしめて、定期券で途中下車する門限20時の中学生は、同じ街のいつどこでブギーバックがシェキラッているのか皆目見当もつかなかった。音楽雑誌の解説を頼りにサンプリングの元ネタを学び、好きなミュージシャンが私淑するミュージシャンを辿って聴き、国境も時代も越えて、ただ無料試聴機の前で毎日毎日、空想地球一周旅行をしては19時台の地下鉄で帰っていたよ。

人生において「しないこと」を積極的に決めるようになったのは、この頃だ。たとえば、どのバンドのファンクラブにも入会しない。理由は、お小遣いが限られているから。あるいは、ファッションを自己表現に用いない。理由は、セントジェームスのボーダーを着てボンテージパンツにレペットのバレエシューズを履いて、生写真でデコった黒いミニトランク持ってテクノカットの頭にポークパイハットを被る、わけにはいかないから。

中二病の初期症状が抜けたこの時期、同時並行で雑食的に音楽を聴くことで気づいたのは、「私のような人間は、どうやら、周囲に私しかいないようだ」ということだった。教室の級友たちは大抵、好きなバンドを一つ二つに絞り込み、全身全霊でそのバンドを追いかけ、肌身離さずグッズを身につけていたが、私はどうしてもそうなれない。だからどんなにヴィジュアル系を愛しても「奴隷」を名乗ったりはできないし、どんな服装を纏ってもちぐはぐに感じる。しかしながら、その曲がりくねった垢抜けない分裂気味な道筋こそが、私が私である所以だろうとも思った。

「何者かのレプリカになりきろうとして、それが無理だと諦める」年頃だったのかもしれない。そういえば、コスプレも早々に「しないこと」リストに入れた。この世のものではない別次元の誰かに完璧になりきったその後、さて自分の手元に何が残るのかと考えると、空洞を覗き込むような恐怖があった。

もしあのとき、勇気を出して空気を読まず、軽音部に入部して不良の音楽を始めていたら。手を差し伸べる側(最近は「咲く」って言うんですってね)でなく、スポットライトを浴びる側に立っていたら。机上でペンネームを名乗るだけでなく、公衆の面前で自分ではない誰かを演じる快感をおぼえていたら。それはそれで人生が大きく変わっていたに違いない。けれど、私にとって14歳は、何かを「始める」節目ではなく、さまざまなことを「しなくなる」節目だった。

継続は力、断絶は便所飯

「する」「やってみる」「続ける」も勇気の要ることだが、「しない」「断る」「やめる」というのも、それはそれで大変だった。本当はしたかった、でも、やらない。本当は続けたった、でも、終わらせる。それでいいんだ。それがいいんだ。自分の中で何か辻褄が合わなくなると、理論武装に必死だった。

購買で買う昼食のパン代をこっそりケチってCD代にあてる、みんなが教室で弁当を囲む昼休みを空腹に耐えて一人で適当にやり過ごす。放課後も誘いを断って一人で帰ってヘッドフォンを耳に当てる。生活から無駄を省いて合理化すると、真っ先に消えていくのは最も非効率なもの、すなわち友達と過ごす時間だ。私のような人間は、どうやら、私しかいないようだ。「ボーカル以外全部募集」しても、誰ともバンドが組めないようだ。それぞれと少しずつは話が通じるが、すべてを完璧に分かり合える相手は見つからない。それでいいんだ。それがいいんだ。わかりあえやしないってことだけをわかりあうのさ。あっという間に、夢に見たバンド結成やメンバーとの連帯とはずいぶん遠いところまで到達してしまっていたが、時すでに遅し。

購買で一番安かったのは小ぶりのミルクパンで一個40円くらい、昼食代わりにしたときの腹持ちも値段も、だいたいビスコと同程度。たまにレストランで似たものを供されると、今もスカスカと孤独な制服の味がする。 ちょうどその頃、たまたま帝国劇場で鹿賀丈史主演のミュージカル『レ・ミゼラブル』を観て、「こんな芝居を作りたい」と感動に打ち震えた。同じ芝居を観て、私も舞台に立ちたい、パフォーマーになりたい、と志す少年少女も大勢いただろうけれど、私はジョン・ケアード演出の回り盆とバリケード、そしてまばゆい光のカーテン、あのすべてを客席からいつまでも観ていたいと思った。

本音を申せば、子供の頃から極度のアガリ症なのである。とにかく本番に弱く、いくら練習しても人前で実力を発揮できたためしがない。学芸会ではたった一つの台詞をトチるし、ピアノの発表会ではうっかり押さえた不協和音に硬直するし、そのことにいちいち凹んで今なお立ち直れていない。自分を実物以上によく見せようという邪心が強すぎるのだろう。つねに人の目が気になって、無心で役を演じきるとか、観客に身を委ねて心を裸にするとか、そんなことがうまくできないのだった。

誰の目も及ばないところでなら、アガらずに物事に没頭できる。表舞台がうまく運んで熱狂に包まれるその裏で、スーッと冷静な俯瞰視点をもって全体を把握する瞬間が訪れる、その感覚が好きだった。演出スタッフならまだしも、ロックバンドとか、舞台役者とか、明らかに向いてないよね。と、自分自身をスーッと俯瞰できるようになった。

選ばなかった、選べなかった、その「節目」の先はわからないが、英雄に自己を同一化させるような感覚を、中一で抱いて、中三で捨てたのだ、というふうにも解釈できる。同じものになりたくてステージへ手を伸ばすんじゃないんだな。自分とは違うものだから、違うものとして、さらに憧れが強くなるし、もっと欲しくなるんだ。自分から一番遠くにある存在が、一番パワーをくれるんだ。

サーチライトのつもりで

2014年12月17日、日本武道館でTHE BOOM最後のライブを見届けた。13歳のとき夢中になって約20年追いかけてきたロックバンドが、デビュー25年の歴史に幕を下ろす。最後のMCでは、ちょうど光と闇について触れられていた。「最初はプロの音楽家になりたくて、でもその方法がわからずに、真っ暗闇の中を必死でもがいていた。ひとたび光の中へ引き上げてもらうと、今度は自分たちの浴びるスポットライトがあまりにも眩しくて、何も見えない中を走って突き抜けるしかなかった」と。

大人になった今、約20年前のことを思い出すと、とても重要な年だったのだなぁと感じる。1994年は今も大好きで聴いているいろいろな音楽がリリースされた年で、子供が大人に切り替わる14歳という年齢の私は、そのすべてを満遍なく愛そうと努めた、分裂気味な日々だった。

「青春」という言葉の意味や長さの解釈はさまざまだが、「したこと」より「しなかったこと」のほうを多く思い出したりする。全然オシャレしなかったな、恋愛もまったくしていなかった。親に許されずライブにも行けなかったし、いきなり光を当てられるような晴れがましい体験もなかった。陽の当たる場所を歩く思い出がまったくない、根暗で地味な毎日だった。

自分はスポットライトを浴びる人間にはならないのだろうと諦めていた。でも、絶望もしなかった。今はただ時間が足りないだけ、ミルクパンとビスコで飢えをしのぐだけ、でも大人になれば、もっといいことが待っていると信じていた。私には到底手が届きそうにない、光の中をがむしゃらに突き抜けていくような音楽が、それを約束してくれていた。好きなバンドを一つか二つに絞り込んで、他への浮気は「しない」と決めていた友達の心境だって、きっと似たようなものだったろう。

20年経った今も、アガリ症はまったく治せていない。でも、与えられた場所でこちらに向かって照らされた光には、全力で応えたいと思う。仕事を持つようになって、誰も見ていないところでおそろしく地味な裏方作業をするときでも、まるでステージに上がっているような高揚をおぼえることが幾度かあった。昔の自分に教えてあげたい。選べなかったチャンスも、選ばなかった道もあるけれど、自分ではない誰かからもたらされたパワーやタイミングには迷わず乗って行こう、「闇に隠れる」こと、「光から逃げる」ことは、絶対に「しない」ぞと、そんなふうに思っている。

<今回の住まい>
思春期になっても個室が持てなかったので、姉妹共同の子供部屋にバリケードを築いていた。低めの本棚をぐるりと並べてプライベートスペースを作るのに熱中していた。ミュージカル部に入部し、スカート丈をどんどん短く、眉をどんどん細くして、安室奈美恵と同じ厚底ブーツを履くようになった二歳下の妹が、『レ・ミゼラブル』の貧乏学生よろしく砦に立てこもって出てこない姉の私につけた渾名は「穴熊」。今ならさしずめ「雪の女王」だろう。

<著者プロフィール>
岡田育
1980年東京生まれ。編集者、文筆家。老舗出版社で婦人雑誌や文芸書の編集に携わり、退社後はWEB媒体を中心にエッセイの執筆を始める。著作に『ハジの多い人生』『嫁へ行くつもりじゃなかった』、連載に「天国飯と地獄耳」ほか。紙媒体とインターネットをこよなく愛する文化系WEB女子。CX系の情報番組『とくダネ!』コメンテーターも務める。

イラスト: 安海