ご覧頂いているチャートは、2000年以降のEUR/USDの月足チャートです。

(EUR/USD 月足)

このチャートから、今後のEUR/USDの方向性が見えるように思っています。

このチャートは、2008年9月に発生したリーマン・ショックの以前と以後で、大きく相場が変化していることが、お分かり頂けることと思います。

2008年を境に、それまでの2002年1月から2008年7月に掛けての上昇相場と、2008年8月以降は、上下動の激しい期間が長く続き、そして2014年5月から下落相場となりました。

前半部の上昇期のきっかけは、9.11米同時多発テロ

まず、前半部の上昇期のきっかけは、2001年9月11日に発生した、米同時多発テロがきっかけでした。

当時のブッシュ政権が、イスラムに対して強硬姿勢をとりました。

これに反発したのが、ビンラディン率いるテロ組織アルカイダでした。

彼らは、米旅客機をハイジャックし、ニューヨークのワールドトレードセンターやワシントンDCのペンタゴン(国防総省)に突入したという世界を震撼とさせる大事件を引き起こしました。

これによって、米国民もパニックに陥りましたが、ブッシュ政権自体がパニックとなりました。

これを見た、他の国は、お金を米国においておくのは危ないということになり、受け皿となるのに十分な、ドルに次いで規模の大きなユーロに資金を大挙して移動させました。

中でも、原油の輸入代金がドルで入って来る中東、ロシアは、大幅な貿易黒字となって、その大方をドルで持っていた中国が、ドルからユーロへせっせと、資金を移動させました。

これが、2002年から2008年までの6年間続き、その間にEUR/USDは約7500ポイントもの上昇を見ました。

2008年の9月に勃発したリーマン・ショックによって、相場は大きく変化

しかし、2008年の9月に勃発したリーマン・ショックによって、相場は大きく変化しました。

EUR/USD自体は、まずは、リスク回避のドル買いとなり、ユーロ安ドル買いとなりました。

しかし、一直線に下がる相場ではなく、1.2000近辺をベースにした、かなりダイナミックな上下動となりました。

これは、既に申し上げましたように、世界第1位の規模を誇るドルと世界第2位のユーロという2大通貨の間で、目まぐるしく資金が移動したためで、言い換えれば、米国もユーロ圏もどちらが良いか悪いか、判断しきれなかったための右往左往だったと思います。

上下動に決着をつけたのが、2014年5月のドラギECB総裁による予告

そして、この上下動に決着をつけたのが、2014年5月のドラギECB総裁による追加緩和を翌月にも実施で検討という予告でした。

折から、FRBは利上げを検討し始めているところで、ECBは追加緩和をするということになり、金利差拡大から、ユーロ売りドル買いが強まり、2015年1月には、強固なサポートである、1.2000を割り込むに至りました。

尚、上記チャートにも記載しました強いサポートである200カ月移動平均線でも、2010年、2012年に下方向に突破しようとして失敗しましたが、2014年12月に下方向に突破しています。

つまり、2008年から2014年まで続いた、ユーロとドルの綱引きは、2015年初頭には方向性がはっきりと下向きとなり、新しいステージに入ってきています。

ただし、2015年3月13日に1.0463の安値をつけた後、先月まで、相場はいったん踊り場に入っていました。

しかし、今月に入って下落を再開したものと見ています。

そうしますと、2000年から2008年までの前半部を改めて見て思うことは、確かに1.0000近辺は上がる過程でも揉み合ったところですので、今回の下げでも、多分1.0000近辺は引っかかるものと思われます。

しかし、底ではなさそうです。

0.9000も割り、さらに2000年には、0.82台すらあったことを忘れてはならないと思います。

ということで、目先、EUR/USDは、まだまだ下がるものと見ておくべきかと思います。

執筆者プロフィール : 水上 紀行(みずかみ のりゆき)

バーニャ マーケット フォーカスト代表。1978年三和銀行(現、三菱東京UFJ銀行)入行。1983年よりロンドン、東京、ニューヨークで為替ディーラーとして活躍。 東京外国為替市場で「三和の水上」の名を轟かす。1995年より在日外銀に於いて為替ディーラー及び外国為替部長として要職を経て、現在、外国為替ストラテジストとして広く活躍中。長年の経験と知識に基づく精度の高い相場予測には定評がある。