※この原稿は2018年に執筆されたものです。

御年96歳の現役ベストセラー作家、瀬戸内寂聴センセイ。原稿のためなら、未だに徹夜もいとわず活動を続ける超人ぶりですが、センセイの小説と同じくらい面白いのはその人生ではないでしょうか。

超簡単に振り返る、瀬戸内寂聴センセイの人生

超簡単にセンセイの人生を振り返ってみますと、中国文学を研究する学者と結婚をし、娘をもうけ、良妻賢母として暮らしていましたが、しかし、夫の教え子である4歳年下の男性に恋をしてしまいます。

結婚しても誰かに恋心を抱くことはあるでしょう。しかし、寂聴センセイはこともあろうに夫に恋心を打ち明け、ボコボコにされます。反対されたことで余計に恋心が募り、センセイは駆け落ちを決意。幼い娘と別れ、コートすらおいて、待ち合わせ場所に向かいますが、相手は現れず。置いてけぼりを食らって、一人で食べて行かなくてはならなくなったセンセイは、少女小説を書いて生活費を稼ぎながら、一人前の小説家になるために歩き出します。

1955年「女子大生・曲愛玲(チュイアイリン)」で新潮同人作家賞を受賞。受賞後第一作の「花芯」(講談社)がポルノ小説だと批判され、文壇を干されてしまいます。人妻の不倫の話で、現在の感覚で読めば性描写もそう過激だとは思えないのですが、今から60年も前にこのような話は、特に男性から評判が悪かったようです。しかし、この逆境をバネとし、田村俊子賞、女流文学賞を受賞します。小説家として絶頂だった51歳で出家して、尼僧となります。原稿を書く傍ら、寂庵で法話を行っています。法話は大人気で、チケットの倍率は10倍以上だそうです。

瀬戸内寂聴センセイの名言「大きな椿の花を咲かせるには、どうしたらいいと思いますか?」

  • イラスト:井内愛

そんな寂聴センセイが法話で「大きな椿の花を咲かせるには、どうしたらいいと思いますか?」と聴衆に尋ねます。その答えは「まだつぼみが小さいうちに、ひとつだけ残してみな摘んでしまうこと」。寂聴センセイは一人前の小説家になるために、いい妻、母、といった“つぼみ”を捨て、すべてを犠牲にして小説に賭けてきたと話していました。

寂聴センセイはすべてを「捨てた」と思っているようですが、どちらかというと、センセイの生命力が強すぎるため、周囲、特に男性が勝手にしおれてしまったのではないでしょうか。

戦後まもない時代、女性に浮気されて離婚をするというのは、男性にとって屈辱だったと思います。また、センセイの小説の師でもあり、恋人だったのは、天才の呼び声高い妻子ある男性作家(早い話が不倫です)でしたが、この人はなぜか賞に無縁の悲運の人でもありました。この男性の導きでセンセイはデビューを果たしますが、その結果、センセイのほうが売れてしまうという結末を迎えています。流行作家となった頃、かつての不倫相手と再会し、再び関係が始まってしまいます。高収入だったセンセイのお金で事業を始めた男性でしたが若い女性と結婚するという理由で去っていきます。しかし、センセイと別れた後、事業は失敗し、この男性は自殺してしまいます。仏門に入ったのは、作家の井上光晴氏(直木賞作家・井上荒野の父親)との不倫関係を清算するためだったと後に説明しています。

寂聴センセイは「婦人公論」(中央公論社)などで、「おカネを持ってる人とつきあったことがない」とおっしゃっていたことがありましたが、作家にとっては、カネよりも小説の技法やネタをくれる人のほうがよっぽどありがたい存在なのではないでしょうか。はからずも男性たちは、作家・寂聴センセイが咲くための養分になってくれた気がするのです。

才能というのは、プラスに働けば日本中の人に希望の光を与えることができるでしょう。しかし、近しい人にとってはまばゆすぎて、目をつぶす脅威になりかねないものなのかもしれません。

寂聴センセイは人生の唯一の後悔は、幼いお嬢さんを置いて、家を出たことだと話しています。着の身着のままで、仕事を持たない専業主婦が家を出るのですから、ある意味仕方がなかったことでしょう。昭和の時代、センセイへのバッシングは常に「母親のくせに子どもを捨てた」でした。

人生にたらればを持ち込んでも仕方ありませんが、センセイの周囲のオトコたちの法則から考えると、センセイとお嬢さんがずっと一緒にいたのなら、結構しんどかったのではないかとも思うのです。一時は距離のあったセンセイとお嬢さんですが、センセイが国民的作家となった今、関係は復活しており、お嬢さんはもちろん、センセイのひ孫に当たる方も含めて、おつきあいが再開しているそうです。

この和解にセンセイの成功が強く関係していると私は思います。もしセンセイが駆け落ちした後もオトコにうつつを抜かしている、名前を聞いたことがある程度の作家だったら、お嬢さんは許してくれなかったのではないでしょうか。破天荒で常識破りと言われても、センセイは結局すべての出来事を文学に昇華させ、文化勲章まで受賞しています。血のつながりを重視する日本では、親子の愛は「自然にわきあがるもの」であり、仮に関係がこじれても「親子なんだから、わかりあえる」とされていますが、私はそうは思いません。社会的な成功が「私はその人の娘である」という誇りを呼び起こさせ、関係回復のカギとなりえるのです。

親子の仲を復活させるものが、もう一つ。おカネです。「人生が変わる1分間の深イイ話」(日本テレビ系)で、遺言を書けと言われても拒むことを秘書に指摘されたセンセイは「だって何も書かなかったら、全部娘に行くじゃない」と話していました。おカネは時に言葉よりも能弁な誠意です。椿の花言葉は「控えめな優しさ」ですが、センセイの母親としての面を一瞬見たような気がしました。

※この記事は2018年に「オトナノ」に掲載されたものを再掲載しています。