林真理子センセイの小説「anego」(小学館)をお読みになったことがあるでしょうか。女優・篠原涼子主演でドラマ化されたので、ご覧になった方もいるかもしれません。

有名商社勤務のOLは女性にはアネゴと呼ばれ人気があるものの、余計な正義感が邪魔して、結婚のチャンスを逃してばかり。そんな主人公が妻子ある男性を好きになって、あれやこれや起きるというストーリーで、冒頭のセリフは、その中のものです。

ここでいう運命とは、毛深いので脱毛代がかかってかかってしょうがなかった(私のことです)とか、ロスジェネ世代なので受験も就職も大変だった(私のことです)といったように、“生まれつき”を指すものではありません。

ドラマチックかつハッピーが確約されたもの、それが運命です。
で、これって林センセイの人生、そのものではないでしょうか。

超簡単に振り返る、林センセイの人生

林センセイは大学卒業後に就職難を経験し、植毛クリニックでアルバイトをしていたことがあったそうです。同じアパートに住む女性に、コピーライターという仕事を教えてもらい、養成講座に通います。そこで東京コピーライターズクラブ新人賞を受賞。「ルンルンを買っておうちに帰ろう」(角川文庫)で大ベストセラーを記録します。その後、小説を書き始め、直木賞を受賞。サラリーマンと結婚し、高級住宅街に豪邸をもうけ、出産します。センセイの結婚までの軌跡は、「ワンス・ア・イヤー 私はいかに傷つき、いかに戦ったか」(角川文庫)に詳しいので、ご興味ある方はこちらをどうぞ。

誰もが少女時代に、一度くらい、自分にもドラマチックかつハッピーと言う意味の運命が訪れると信じることがあると思います。しかし、オトナになるにつれ、現実にはそうそう起こらないことを知ってしまう。だからこそ、希少価値があり、運命を語れる人に注目が集まるのです。その結果「運命なんてない」とあきらめる人もいれば、逆に意固地になって「運命はある」と固執する人もいる。余談ですが、「運命がある」とあまりにも強く信じる人ほど、婚活でプロフィール詐欺の男性にひっかかる傾向があるので、十分注意していただきたいところです。

運命があるのかないのか、私にはわかりません。 とりあえず言えるのは、オトナになった私たちは、運命を別の視点で見てみてもいいのではないでしょうか。

林センセイの運命の分岐点は、「ルンルンを買っておうちに帰ろう」の大ヒットとされています。私も若いころはそう思っていました。 けれど、今、この年になってそれは違うのではないかと思うのです。

当時、エッセイというのは、文豪のお嬢さんやすでに他のジャンルで成功した女性が書くものとされ、新人だった林センセイにチャンスが回ってくるのは異例のことだったそうです。 大ベストセラーを記録するのは、すごいことです。しかし、本を出さなければ、ベストセラーは生まれないことを考えると、出版のチャンスをゲットしたほうが、もっとすごいと言うこともできる。

それでは、どうしてセンセイが出版のきっかけを作ることができたのか。それは、東京コピーライターズクラブの新人賞を取り、事務所をかまえるほどに成功したからだと思うのです。

林センセイ(の本の主人公)の名言「あんまり若くない女って、どうしてこう運命って言葉に弱いのかしら。」

  • イラスト:井内愛

私は新卒で会社員となり、その後ライターとなりました。会社員だった頃、クリエイティブ業界というのはとても自由なもので、編集者の目に止まった人にチャンスが訪れると信じていました。しかし、実際に自分がそちら方面で仕事をするようになってわかったのは、意外と権威主義で、そうそうチャンスなんて来ないんだなということ。でも、それは当たり前のことで、ビジネスですから信用のできない人に頼みたくないし、ギャラを払う分、審査も厳しくなるのです。

賞というのは、他人を納得させるのに一番簡単な方法です。林センセイは文豪のお嬢さんではありませんでしたが、新人賞受賞者なので信用はあった。またCM批評の連載も持っていたので実績もありますし、編集者が力量を判断しやすかったと思います。また、若い女性であったこと、経済的に体力がある時代だったことなど、その他のプラス要因も重なったとことでしょう。まとめると、センセイの運命は実績という正当なものから生まれていると見ることができるのではないでしょうか。

もっと言うと、林センセイが同じアパートに住む女性に、コピーライターという仕事がある、講座があると教わっていても、そこに通い始めなければ、実績も運命も生まれない。センセイがルンルンで大ヒットを記録したのは28歳ですが、その4年前、コピーライターの学校に通いだした24歳の時から運命は始まっているともいえるのです。

オトナになると、社会のイヤな仕組みを知ってしまう。しかし、だからこそ、見えてくる事実があると思うのです。繰り返しになりますが、運命があるのかないのか、どういうものなのか私にはわかりません。しかし、良くも悪くも思いがけないことが起きるのが人生であることは知っています。

運命を解剖せよ。

運命をひたすら待ち望んでいた少女時代より、それは能動的でロマンチックな作業かもしれないとも思うのです。

※この記事は2018年に「オトナノ」に掲載されたものを再掲載しています。