世界の王室のリーダーと言えば、何といっても英国王室。昭和生まれでしたら、故・ダイアナ妃の結婚式や来日を覚えているかもしれませんし、女性誌ではダイアナさんの息子、ウィリアム王子の妻、キャサリン妃のファッションがよく特集されています。世界で愛される英国王室のトップ、エリザベス2世が亡くなったのは、今年の9月のこと。多くの追悼本が出されましたが、そのうちの一冊、マシュー・デニソン著「THE QUEEN」(KANZEN)を読んで、そうか、そういうことだったのかと膝を打ったのでした。

  • イラスト:井内愛

英国王室を揺るがした、チャールズとダイアナの騒動

90年代、英国王室は激しく揺れ動きました。エリザベス2世の息子で現在の国王チャールズ3世とダイアナ妃(当時)は、世界中に祝福されて結婚し、2人のお子さんに恵まれたものの、不仲説が絶えなかったのです。おとぎ話では“美しい娘は、王子さまに見初められて幸せに暮らしましたとさ”で終わりますが、結婚式にあんなにも美しかったお姫さまの結婚はなぜうまくいかなかったのか。当時、子どもだった私には全く意味がわかりませんでした。

ダイアナ妃は95年にBBCのインタビューに応じ、チャールズ3世の不倫を明言しました。番組内ではさすがに相手の実名は出しませんでしたが、カミラ・パーカーと報じられていました。彼女には夫と子どもがいましたので、W不倫だったわけです。カミラの曾祖母は、チャールズ3世の高祖母エドワード7世の愛人だったそうですから、ある意味、運命なのかもしれません。

ダイアナさんはチャールズ3世の12歳年下で、説明するまでもなく美人です。そんな彼女の夫を奪った人はどんな人なのかー。カミラの写真が出回ると驚いた人も多かったことでしょう。カミラはチャールズ3世の1歳年上。2人のお子さんがいる、ふつうのお母さんという感じでした。どうしてチャールズ3世はあんな美人を妻にしながら、カミラと不倫をするのかというような内容の記事はたくさん出回ったものでした。

チャールズとダイアナ、カミラの三角関係

さらに驚くべきことに、アンドリュー・モートン「完全版ダイアナ妃の真実 彼女自身の言葉による」(早川書房)によると、チャールズ3世とカミラの関係は、ダイアナさんとチャールズが交際を始める前から始まっていたとのこと。カミラはチャールズ3世と不倫関係にありながら、チャールズにダイアナとの結婚を進めていたそうです。同書によると、ダイアナさんは婚約中にチャールズとカミラの関係に気付いてしまった。ダイアナは結婚をやめたいと思っていたそうですが、もう結婚式のお知らせは世界中に出されてしまった。ダイアナさんには2人の姉がいますが、彼女たちから「運が悪かった」「たいしたことではない」と変な励まし方をされています。貴族階級の結婚というのは家の存続が大事であって、跡取りさえもうければ、後のことはご自由にであり、エドワード7世とカミラのひいおばあさんもそのパターンだったのかもしれません。

同書によると、カミラはチャールズ3世との関係を匂わせ、チャールズ3世も新婚旅行先からカミラに電話をするなど、若いダイアナさんのメンタルがごりごり削られる出来事が連発されます。しかし、庶民はそんなことを知る由もないので、心労から摂食障害を発症して痩せてしまったダイアナさんの美しさに熱狂し、ダイアナさんは他のロイヤルファミリーから嫉妬されて浮いてしまったというのが「完全版ダイアナ妃の真実 彼女自身の言葉による」の主張です。当然のことながら、チャールズ3世は血も涙もないような冷酷な男性として描かれています。

エリザベスが王位後継者になったのは「王冠を賭けた恋」のせい

物事はどこから見るかで、印象は全く変わります。前出・「THE QUEEN」を読むと、チャールズ3世もかわいそうな星の下に生まれたのだと言わざるをえないでしょう。チャールズ3世の母親は、エリザベス2世。言わずとしれた英国の女王ですが、「あの出来事」がきっかけで、エリザベス2世は図らずも世継ぎとなってしまうのです。

「王冠を賭けた恋」をご存じでしょうか。エリザベス2世の伯父にあたるエドワード8世は、離婚歴のあるアメリカ人女性・ウォリス・シンプソンと恋に落ち、彼女と結婚するために退位したのです。エドワード8世が退いたことで、エリザベス2世の父であるエドワード6世が即位。自然とエリザベス2世が、王位後継者になってしまったのでした。長子相続が基本の英国でも、女性が王位につくことは珍しく、エリザベス2世は「女性だから」こその悩みにさらされるのです。

まず、「女王の夫」の苦悩です。ダイアナさん、グレース・ケリーなど、王さまのもとにお嫁にいく女性は結婚後に苦労しますが、「女王の夫」のほうが、苦労の割に実入りが少ないのかもしれません。王室というところは庶民の世界となり、子孫繁栄が基本です。プリンセスは跡取りを生むことで「お勤めを果たした」と国民から賞賛され、意地悪な言い方をすれば「格を上げる」ことが出来るでしょう。

しかし、女王夫妻の場合、出産するのは女王ですので、「女王の夫」が直接褒められることはないのです。女性が王になると、子育ても過酷になります。英国王は子連れでの外遊が許されていないそうで、たとえば女王がカナダ、オーストラリアなどの世界に広がる英連邦を外遊する際は、200日近く、子どもと離れて生活しなくてはなりません。これは女王側に相当なストレスがかかってしまいます。

「女王の夫」は職業選択も制限があり、「女王の邪魔にならない」ことが優先されます。エリザベス2世の夫も、実際に苦しんだようです。エリザベス2世が恋をしたのは、ギリシア王室の血を引くイケメンのフィリップ殿下。聞こえは立派でしたが、当時すでにギリシア王室はないも同然で、資産もなければ、王になる可能性もほぼゼロでした。フィリップ殿下は英国に帰化し海軍に所属しますが、エリザベス2世が即位する頃、海軍をやめています。かなり優秀な軍人だったそうですが、女王の夫が海軍にいては、有事の時に狙われるからでしょう。

きちんと跡取りをもうけ、仕事だってやめたのに、フィリップ殿下は女王の配偶者を意味する“王配”をもらうことができなかったそうです。自分は王室のために貢献しているのに、王室は自分を“仲間”と認めようとしない。噂の域を出ないものの、フィリップ殿下に不倫の噂が絶えずあったのは、自分は認められていないというフィリップ殿下のストレスを、周囲が深読みしたからではないでしょうか。

“感情を表さない”という女王スタイル

エリザベス2世は女王になるにあたって、感情をあらわにすることがよろしくないという教育を受けてきました。そんな彼女も母親になりましたが、替えのきかない女王という立場であるため、子どもといつも一緒にいることはできません。チャールズ3世は母に抱きしめてほしかったのに、母親は忙しい。エリザベス2世は、子育てをフィリップにまかせていましたが、フィリップはチャールズ3世のさみしい気持ちを汲み取らず、「オトコはスパルタ式で、たくましく育てろ」の一点張り。さみしい少年時代を送ったチャールズ3世は、同書によると「内省的で思慮深いけれども、時代遅れな育ち方をしており、しかも短気で感情のコントロールができない」性格になったとされています。

対するダイアナは、親の離婚のトラウマから、家庭に対する思い入れが強く、「愛らしい容貌の影には、わがままで自己中心的な性格が隠れていた」と書かれています。つまり、チャールズ3世もダイアナもさみしい子ども時代をおくった結果、2人ともそれぞれ面倒くさい性格になってしまったということでしょう。こりゃ、うまくいきっこない。ダイアナさんはチャールズ3世の不倫や、王室でのストレスをエリザベス2世に相談しものの、冷たくされたと感じていたようですが、これもエリザベス2世の感情を表さないという女王スタイルであって、他意はなかったとされています。

チャールズ3世の不倫相手だったカミラは年も近い上に、価値観も王室に近いと言われています。チャールズ3世の生育環境などの事情もよくわかっていたことでしょう。カミラはチャールズ3世と同じく狩猟が趣味と言われていましたが、チャールズ3世にとって、カミラはいつも一緒にいて、甘やかし、優しくしてくれる女性なのかもしれません。

エリザベス2世の名言「女王は孤独なものです」

「女王は孤独なものです」とエリザベス2世が言ったとされていますが、これは相当リラックスしていた時の発言ではないでしょうか。第二次大戦前の繁栄を失ったイギリスでは、王室に対しても厳しい目を向けるようになってきています。不用意な一言をもらせば、「そりゃ、アンタも大変かもしれないけど、こっちはもっと大変なんだよ!」と庶民の反発を食らう可能性だってあるわけです。こうやって考えてみると、王さまたちは言いたいことも言えず、家族と一緒に過ごすこともできず、なんだか不自由なものですね。さらに女性が王さまになると、上述したような厄介ごとが増えるのです。

ウィリアム・シェイクスピアは「ヘンリー四世」において、「王冠を抱く頭は、ついに安らかに眠るということがない」というセリフを書いていますが、おい、シェイクスピア、女王はもっと大変なんだぞ! 甘えんな! と言いたい気持ちになるのでした。