映画「キューティー・ブロンド」をご覧になったことあるでしょうか。主人公のエルは、ブロンドヘアの持ち主。大学でファッション・マーチャンダイジングを学び、社交クラブの会長を務めるキラキラ女子。彼からのプロポーズを待ちわびていますが、上院議員になりたいという夢を持つ彼に「議員の妻にふさわしいのは、マリリン・モンローじゃなくて、ジャクリーンだ」と言われてフラれてしまいます。彼の心を取り戻すために、エルは一念発起し、ハーバード大学のロー・スクールを目指す……というストーリーです。
この映画では、「ブロンドのオンナは頭が弱い」という固定観念が繰り返し語られており、その代名詞としてマリリン・モンローの名前が挙げられています。
マリリン・モンローと言えば、一番有名なのが映画「七年目の浮気」のワンシーンではないでしょうか。白いドレスを着たモンローが、地下鉄の通気口の上に立ったところ、下から風に吹き上げられ、スカートがめくれて、パンツが見えそうになるというアレです。
プラチナブロンドの髪、透き通るような肌、豊かなバスト、腰を大きく振って歩くかのようなモンロー・ウォーク、豊かな胸、半開きの唇は、確かにセクシーと言えるでしょう。 しかし、これらのものが天性のものではなく、モンローの努力によって作られていたということは、案外知られていないのではないでしょうか。
超簡単に振り返る、マリリン・モンローの人生
モンローのモデルデビューのきっかけは、第二次大戦中です。戦意高揚のため、モンローが働く飛行機の工場に陸軍報道部のカメラマンが来て、美少女モンローを撮影するのです。それをきっかけに、モデル・エージェントと契約したモンローですが、エージェントの勧めで茶色に近いブロンドを明るいブロンドに染めています。
おしりを振って歩くかのようなモンローウォークについては「私は生まれて6ヵ月の時から、こんなふうに歩き続けているわ」と自然なものであると話していましたが、実際には映画「ナイアガラ」で「セクシーなブロンド」という端役を与えられた時、研究の結果、片方のヒールの高さを1センチ低くすることで、おしりのゆれを強調することを思いついたそうです。
モンローのぽってりとした肉感的な唇は、メイクアップアーティスト直伝で、完璧なカーブとシェードを実現するため、5~6種類の口紅を使用していたそうです。また、モンローは鼻と上唇の距離が短かったそうで、それを目立たせないために、カメラの前では上唇を下にさげるために少し歯を見せてほほ笑んでいたなど、緻密な計算をほどこしています。柔らかそうに見えるカラダのモンローですが、人体や筋肉、骨格についても学び、ヨガ、ウェイトリフティング、ジョギングも欠かさなかったそうです。
まとめると、モンローはブロンドでもなければ、頭の弱い女性でもなかったのです。 そもそも、芸能界のような厳しい世界で、頭の弱い女性が生き残れるとは思えません。
マリリンの名言「同じことを何度繰り返しても、チャレンジにはならないわ。」
モンローの聡明さは、「同じことを何度繰り返しても、チャレンジにはならないわ」という言葉にも表れています。まじめな女性は努力が好きですが、時に「努力していること」に満足してしまい、なんのための努力か、その目的を忘れてしまいます。モンローは、結果を出さない努力は意味がないと言っているのです。
行動力があって、知的だと思わせる一方で、モンローはひどい遅刻癖や精神不安定で、撮影に支障をきたすなど、問題児でもあったそうです。ひどい不眠症で、アルコールや処方薬に頼ったことが原因とされています。
モンローの祖母と母は精神疾患を患って、入院していたそうです。モンローが不安定だったのは、その影響があったのかもしれないし、孤独な子ども時代の影響があるのかもしれません。スターとしての重圧もスゴかっただろうと思います。しかし、私がモンローからもう一つ感じるのは、「誰にでも優しく」とか“平等”という考え方は、自分を苦しめかねないということ。
モンローの魅力について、映画監督のビリー・ワイルダーは「マリリンの魅力の秘密はきっと、すべての男たちに俺にもチャンスがあると思わせることだろう」と述べています。 実際には、スターが一般人の男を拒まないワケはないのですが、俺にもイケる、つまりモンローが“平等”に接してくれると思い込んだということでしょう。
加えて、ある記者会見で「『カラマーゾフの兄弟』が映画化されたら、出演してみたい」と発言して、記者の失笑を買います。「頭の弱いブロンド」に、芸術作品なんか出られるわけがないという笑いです。グルーシェンカの役をやりたいというモンローに、記者は「いま言った名前のつづりは?」と質問します。ここにも、おまえにわかるわけがないだろうという気持ちが隠されています。失礼な質問にも、モンローは「そうね、ハニー。つづりはGから始まるわ」と他の記者と同じように、“平等”に答えを返します。人種差別や共産主義者へのパージにもNOをつきつけるなど、平等という概念を強く持っていた。
すべての人が平等であり、人権を持っていることは言うまでもありません。 しかし、その一方で、現実的には人は平等を嫌っているのではないかと思わされることもあるのです。
「#Me too」運動をきっかけに、セクハラにNOをつきつける機運は高まっています。しかし、その一方で、女性週刊誌に未だに「結婚できなそうな女性芸能人ランキング」が掲載されるなど、女性発信でセクハラが起きているのも事実です。これは、自分が差別されるのは絶対に嫌だけれど、差別するのは面白いという人間の性なのかもしれません。
人を差別する気持ちはブーメランとなって自分に帰ってきます。たとえば、誰かを下に見たり、軽んじるほど、その人が幸運に見舞われた時、大きな精神的痛手を受けることになります。しかし、その一方で、たとえ根拠がなくても「あの人より上」と思い込むことは、自分のメンタルを守るために有効で、手軽に幸福になれる方法ともいえるのです。あまりにも平等を掲げすぎると、この世は不条理なことばかりですから、傷つくことが多くなって、メンタルが持たないのではないでしょうか。
モンローは36歳で、睡眠薬の飲みすぎで亡くなった、つまり自殺とされています。モンローがケネディー大統領や、その弟と不倫関係にあったことから、CIAやFBI、マフィアに殺されたという説もあります。
モンローがなぜこんなにも早くこの世をさらなければならなかったかは、誰にもわかりません。しかし、無垢なモンローにとって、この世もハリウッドもつらすぎる場所だったのかもしれないと思うのでした。
※この記事は2018年に「オトナノ」に掲載されたものを再掲載しています。