黒柳徹子が、脚本家の向田邦子を“親友”と言った時、なんだか意外な気がしたのでした。天真爛漫なお嬢さまであるテツコと、青山に1人で住み、焼き物と猫を愛し、黒い服と赤い口紅を愛した、ちょっと影のある独身のカリスマという二人の相性がいいとは思えなかったからです。

ある意味、正反対とも言える二人の組み合わせで、思い出したのが“補色”という言葉なのでした。カラーサークルの反対側に位置する色、つまり反対の色を合わせることで、お互いがお互いを引き立てあうというアレです。そう考えると、テツコ&クニコの友情に納得がいきます。性格がまるっきり違ったからこそ、しっくりいったのかもしれません。

さて、ここでいつものように向田センセイの人生を振り返ってみましょう。

超簡単に振り返る、向田邦子の人生

センセイは昭和4年に生命保険会社勤務の父と、専業主婦の母の間に四人兄弟の長女として生まれています。お父さまの転勤で日本各地を渡り歩き、大学を卒業した後は会社員として就職。この世代の人であれば、数年勤めたら結婚しそうなものですが、向田センセイは「手ごたえのある仕事がしたい」と転職をし、映画雑誌編集者、ライターを経て脚本家となります。「寺内貫太郎一家」や「あ・うん」「阿修羅のごとく」など、ヒットを連発。小説を書いて直木賞も受賞しますが、そのパーティーで大病をして、死を意識したことを明かしています。ドラマは相変わらずの高視聴率でしたが、飛行機事故で帰らぬ人となってしまいます。まだ51歳の若さでした。

向田邦子の名言「禍福は糾える縄の如し(かふくはあざなえるなわのごとし)」

  • イラスト:井内愛

テツコは向田センセイとのエピソードの一つとして、「禍福は糾える縄の如し(かふくはあざなえるなわのごとし)」を挙げています。向田センセイはテツコに「幸せと災いは縄をより合わせたように、交互にやってくる」と説明したそうです。テツコが「幸せだけの縄はないの?」と聞くと、「ない」と断言したそうです。

一般論で考えるなら、昭和という時代に、女性の身で脚本家のトップとしてのぼりつめた分、人に言えない苦しみがあった、それだけの犠牲を払ったと解釈されるのでしょう。が、向田小説を読んだ後に「禍福は糾える縄の如し」発言を考えてみると、ちょっと感想は変わってくるのではないでしょうか。

向田センセイの小説は不倫を扱ったものが多いのですが、ちょっと変わっています。不倫イコール悪、不倫をしている人に石を投げろということもなく、かといって妻たちの味方というわけでもない。不倫は家庭を崩壊させかねない正反対なもののはずですが、まるで補色のように引き立てあっているのです。

独特のスタンスから考えるに、向田センセイ、ワケありの恋愛をしていたんだろうなぁと思っていましたが、やはりそうでした。センセイは20代の頃から、10歳以上年上の妻子あるカメラマンと交際していました。妻子は不倫を気に病んで、ガス栓をひねって自殺を図ります。異変に気付いた向田センセイは、ガスがモレないように窓にはられたガムテープを必死の思いではがし、一命はとりとめたそうですが、マニキュアがほどこされた爪はぼろぼろになったそうです。今の時代だったら、奥さんが週刊文春あたりにタレこんで、向田センセイ、再起不能になっていたのではないでしょうか。

その後、この男性は病に倒れ、働けなくなってしまいます。この男性の看病と生活の面倒を見ていたのは、向田センセイだったのでした。脚本を書き、男性のアパートに行って、食事を作ってあげて食べさせ、そしてまた家に戻る。向田センセイにおんぶに抱っこの生活が心苦しかったのでしょうが、男性は自殺してしまいます。事実は小説より奇なりと言いたいところですが、同じ頃、向田センセイのお父さんも不倫をしていたのでした。作家の実体験と小説を一緒にするのはナンセンスですが、不倫をして先方の妻子を傷つけたという意味では加害者であり、父親の不倫では被害者側であるという、このあたりのアンビバレントが向田作品に影響しなかったとは言い切れないと思います。ちなみに向田センセイは女性誌の取材に「男のことは語りたくない」とはっきり答えるほど、恋愛に関しては秘密主義を貫いており、親しい友人にも不倫のことは本当に部分的にしか語っていなかったようです。

さて、みなさんは向田センセイのように、人に言えない秘密はありますか? 我々は法律に触れない限り何をしてもいいわけですが、それでも恋愛の部分で人に言えないことを持っているアラフォーは多いのではないでしょうか。拙著「間違いだらけの婚活にサヨナラ!」(主婦と生活社)で、私は男性と安易に肉体関係になるなとしつこく書いていますが、これは婚活用の理屈です。自分に甲斐性があるのなら、不倫だってセフレだってありだと思っています。その甲斐性とは何かと言うと、仕事をクビにならないこと、体調を崩さないことなどいろいろありますが、一番大事なことは「秘密にしておけるか」ではないでしょうか。

ワケありの関係は、正直なところ、女性がいいように使われていると見てもいいでしょう。おそらく、それを周囲に愚痴れば「だって、不倫(やセフレ)だもん、しょうがないよね」と正論斬りされてしまう。しかし、その関係が自分にとって価値があるものだと信じられるなら、誰にも言わずに持ちこたえられるのが甲斐性だと思うのです。

日本は女性の加齢に厳しい国であり、かつアラフォー世代は特に「女性は愛されるべき」という刷り込みの中で青春を過ごしています。そのためか「40代になったら、恋はできなくなる」と信じている人が多いのでしょう、「こんな40代は恋愛対象にならない」といった具合に「イタい40代になりたくない」記事をよく見かけます。しかし、私は思うのです。40代だろうと、人に言えない関係だろうと、恋もセックスもしている人はしているぞと。ただ、それを人に話すと「いいトシしてみっともない」と言われたり、社会的評判を落とすことにもなりかねないから、言わないのではないかと思うのです。

幸せと不幸が表裏一体なのと同じように、日常と秘密も一つのセットではないでしょうか。補色効果と同じように、秘密があるから日常ががんばれるし、日常があるから秘密が持てるのです。

黙っている人ほど、実は秘密裡に楽しいことをしている。秘密とはオトナだけが知る官能なのかもしれません。

※この記事は2019年に「オトナノ」に掲載されたものを再掲載しています。