"茶の湯"の所作や心得、教養を学び、また癒しを得ることで、仕事の質の向上を目指すビジネス茶道の第一人者である水上繭子。本連載では、水上が各界のキーパーソンを茶室に招き、仕事に対する姿勢・考え方について聞いていく。

第1回は、株式会社プロシードワンを立ち上げ、経営層や管理職へのコーチングを行う新堀進氏のインタビューを収録。2012年まで国際コーチ連盟の日本代表を務め、数々の大企業で人と人とを繋げる役割を担ってきた人物だ。同氏がコーチングに出会ったきっかけ、そしてコーチングで何を目指すか聞いて聞いてきた。

聞き手の水上繭子(左)と株式会社プロシードワン 代表取締役 株式会社アークコミュニケーションズ 社外取締役 新堀進氏

ソニーに勤めた17年間で得たもの

新堀氏はもともと1974年から17年間にわたりソニーに勤務していた。同氏はソニー時代の印象深いエピソードとして、入社面談の話を語る。70年代といえばまだまだ終身雇用制が根強かった時代だが、面接官に「何年この会社に勤めますか? 」と聞かれ、「10年」と答えたそうだ。学生がこのような返答をするのは異例だっただろう。しかし面接官からは逆に「君、10年もいるつもり? 」という返事が返ってきて、逆に驚きを感じたという。

新堀氏は大学で管理工学を専攻していた。始めはエンジニアとして入社したが、その後マーケティングの現場へと舞台を移し、ちょうど技術系と営業系の間の立場で仕事を行うことになる。アメリカでコンピュータやCD-ROMに関する業務を行った後は、日本でマルチメディアのエバンジェリスト的な役割につき、各部門の橋渡しを行った。また「業界のスタンダードを作る」というのが当時のソニーのミッションだったため、社外の企業や組織との折衝を行う場面も多かったという。

水彩画を嗜む新堀氏のおもてなしとして、日本画で描かれた帯を身に着けた水上

新堀氏が入社したころは、まさにソニーが大きく成長した時期だ。しかし当時から中途で入社する人も多く、また一度退職してから取締役として戻ってきた方もおり、非常に自由な社風を持った会社だったと感想を述べる。ソニーを退職するときも、当時の社長を務めていた大賀氏に「おつかれさま。また一緒にやろうよ」とメッセージをもらったそうだ。

なお、ソニーを退職した人たちのために作られたのが「SOBAの会」だ。といってもお蕎麦を食べる会ではなく、"Sony OB's Association"の頭文字をとったものだ。毎年1~2回開催され、スピーカーとしてソニーの社長が呼ばれることもあるという。

新堀氏は、次のように語る。「会社というのは素晴らしいところで、給料をもらいながら学べる環境です。大企業にも中小企業にも良い点や悪い点がありますが、大企業のメリットは配属を意識的に変えるところでしょう。人間、何年も同じようなことを続けると『ゆでガエル現象』(ゆっくりと進行する危機や変化に対応できなくなること)を避けられなくなります。意識的な変化を持たせることは重要だと思います」

退職後の生活、そしてコーチングとの出会い

こうしてソニーを退職した新堀氏。辞めた当時は心配もあったそうだが、それほど将来を悲観的には捉えていなかったという。会社を辞めてからは、なるべく人と会うようにし、新しい趣味としてトレッキングをはじめ、一人になって考える時間を持つようにしたという。

「なんとかなるな、という気持ちはありましたね。友人たちからの誘いもありましたし、私自身の幸せの基準は『毎日三食食べられて、屋根のある所で眠れる』ですから、それほど悲観的に捉えていませんでした」

充電期間を終え、再び仕事に邁進する新堀氏。ソニー時代の海外勤務の経験を生かし、活躍の場を外資企業に移す。以降、順調にビジネスを進めていく中で、新堀氏に困難が訪れた。

当時の新堀氏はサンフランシスコに本社を置くインターネット関連会社の代表を務めていたが、その会社を清算せねばならなくなったのだ。

「日本支社にいる28名、そして自分自身をクビにしなければならないという、非常につらい時期でした。相談する相手もろくにおらず、相談できる相手と言えば清算を担当する弁護士さんぐらいのものでした」

そんな状況で目にしたのが、とある雑誌記事だ。それは、「タイガー・ウッズにコーチがいるように、ビジネスエグゼクティブにもコーチがいる」という内容だった。この記事を読んだ新堀氏は、さっそく日本でコーチを探し、実際にコーチングを受ける。

「人間とは不思議なもので、1人で考えていると堂々巡りに陥ってしまいます。ですがコーチングで人から『新堀さん。今あなたの会社の状況はどうですか? どんな問題がありますか? どうやってそれを解決するつもりですか? 』と聞かれると、自分の考えが整理されていくんです」

この経験で、新堀氏はコーチングそのものに深い興味を持ったという。「コーチングは自分のためだけではなく、部下を持った時のマネジメントにも使える」と感じ、自身もコーチ・トゥエンティワン(現在のコーチ・エィ)で学び始め、約1年半後に国際コーチ連盟の認定コーチ資格を取得する。

「コーチ資格を取ったことを友人に伝えたら、すぐにコーチングの要望をいただいたのです。コーチングが皆の役に立つならコーチングをビジネスにしてみようと思い、株式会社プロシードワンを設立しました」

部下の行動の動機付けにも繋がるコーチング

インタビュー当日、床の間にかけられていた掛け軸は禅語「日々是好日」。日々がかけがえのない一日であることを示している

プロシードワン(ProceedOne)という社名の由来は、「一歩進む」。コーチングによる"前進"と、新堀氏の名前である"進"を掛けたものだ。新堀氏のこれまでの業務経験を活かし、企業の経営層、管理職に向けたコーチングを行っている。現在同氏は多言語翻訳サービスを行うアークコミュニケーションズという会社の監査役を務めているが、これもアークコミュニケーションズの社長へのコーチングがきっかけだったという。

「若い人には、自分が何をしたらいいのかわからない、何に興味があるのかわからないという方も少なくありません。何をしたいのかを聞いてあげる、知ってあげるというのは非常に大切なことです」

コーチングは、部下の行動の動機付けにも繋がるという。みなさんも子どものころに、「親に勉強をしなさいと言われると逆にやる気がなくなる」という経験をしたことはないだろうか。やる気になったのにやれと言われると意欲が失われるのは大人も同じ、と新堀氏は説明する。部下がどういうことをやりたいのかを聞き出す、気づきを与える。コーチングを学べば、こういったアプローチに役立つそうだ。「応援というのは非常に重要です。『だれかがあなたを応援していますよ』というメッセージ1つで、やる気は大きく変わるのです」と新堀氏は語る。

"本質を知る"という共通点

茶の湯を通して、各界のキーパーソンに話を伺う本連載。茶道を本格的に学ぼうとすると、細かなルールやマナーがあり、ゴールに達するには長い道のりがある。一方で、自分でどこを切り取ってもかまわないのが茶道の良いところだ。コーチングと茶道は、『心を開く人たちと時をともにする』という点で同じであるのかもしれない。新堀氏は、長い海外勤務を経て、海外の人から日本の文化や心の在り方がどのように見られているかというエピソードも語ってくれた。

「以前アメリカの方と仕事をした時、『そのやり方がどうしても理解できない』と言われたことがありました。説明しても納得いただけないので、最後に『これは禅なんだ』といったのです。その一言で『そうなのか』と頷いてもらえたんですよ。海外の方々は、言葉では表現できない日本の神秘性や心に興味を持っていますし、尊重してくれています」

これからのグローバルビジネス、観光立国としての日本を考えたとき、こういった日本文化の対外的な印象は心に留めておかなければならないだろう。最後に、新堀氏に茶道を体験した感想を聞いてみたい。

「日本人ですから、お茶、お花、禅といった日本の文化は学んでおかねばと常々感じておりましたので、今回は非常に良い機会になりました。茶道とコーチングには、"本質を知る"という点で、共通したところがあると思いました」

聞き手 : 水上 繭子(みずかみ まゆこ)


大学時代に表千家茶道の師と出会い、入門。京都家元での短期講習会に参加し、茶道の奥深さに惹かれ、政府系金融機関OECF(海外経済協力基金)勤務や結婚、子育ての中で、茶の湯の稽古を継続する。その後、茶道の豊かさ、楽しさ、奥深さを伝えるべく、茶道教室を主宰。近年はコミュニケーション力や新しい発想力を養う人間力道場としての茶道を提案している。