漫画のキャラクターには、それぞれの作品背景ごとに役割がある。普通に漫画を読み進めているだけでは気づかないような、有名キャラクターたちの「女子力」について考えてみる連載コラムです。

今回のキャラクター: チャチャ(『赤ずきんチャチャ』)

激しく嫉妬する女性とは

同性に対して激しく嫉妬することがあるのだが、それは美人な女性でも痩せている子でも、若くて肌のキレイな女の子でもない。"可愛げ"のある人だ。

漫画の主人公を見ていると、驚くほど"可愛げ"パラメーターが高いことに気付く。当たり前といえば当たり前なのだが。明るくて元気じゃないと相手役の不良の男の子を更生する役回りなんてできないし、素直な性格じゃないと世界を救うための魔法をめきめき覚えることなどできないだろう。さあ新しい魔法を覚えようという段階で「その魔法、効率悪くない? 覚えるための練習の時間がもったいなくない?」とかネチネチ文句を言い出す主人公なんて嫌だ。四の五の言わず、友情努力勝利に邁進してくれないと、話が進まない。

得てして、たいていの主人公というものは、超絶美人じゃなくても、その屈託の無さで周囲から愛されることを約束されている。

"可愛げ"の前になすすべなし

おしなべて女性は"美人"を目指そうとし、比べて悩み、妬み嫉みを抱き、と世間が設定した美の尺度に振り回され続けるわけだが、じゃあ美を持ち合わせていれば万事解決なのか、ということを考えさせられてしまったのが、『赤ずきんチャチャ』(集英社)――まさかのギャグ漫画であった。

『チャチャ』のストーリー自体は、美人だのブスだの恋だの、というのがメインの話でもなんでもないのだが、主人公のチャチャの言動や、周りを取り巻く人間関係を見ていくと、"可愛げ"の前になすすべなし。

可愛げが服着て歩いているような主人公チャチャは、幼なじみのリーヤと最初から両思い。ベタ付きの師匠セラヴィーは顔良し頭良し全方位高スキルの世界一の魔法使い。あまつさえ、チャチャはいつも行動を共にしている男友達であるしいねちゃんからも思いを寄せられている。

一方で、美人だけど少し底意地の悪い人魚のマリンちゃんは、想い人であるリーヤからは見向きもされず。チャチャの師匠セラヴィーに片思いしているやっこちゃんも、どちらかというとあの漫画の中では美人枠なはずだが、悪賢くヒネているからなのか、いまいちうまくいかない。美人でもなんでもないチャチャのほうが、圧倒的に手に入れているものが多いことが分かる(ブスなわけでもないが……)。

「ヒネくれた美人」よりも「可愛げのあるブス」

極端な話、「自分に自信のない美人」よりも、「自分に自信のあるブス」のほうが、幸せの体感値は高い。周りから見て、どんなにブスだろうが、自分のことを可愛い、と思い込んでいれば、「可愛い私」として日々生きていけるからだ。その人の立ち位置や見せ方によっては、その自信ゆえに本当に周りからは「可愛く見える」可能性すらある。

それと同じように、「ヒネくれた美人」よりも、「可愛げのあるブス」のほうが、きっと幸せなのだろう。無理やり数値化して考えると、美人度72でヒネくれている人と、美人度33で可愛げのある人とでは、後者のほうが獲得できるものも多いのではないだろうか(美人度は0~100とし、0が世界一のブスとする)。だから私は、明るく元気で屈託の無い女の子のことが、強烈に好きで、強烈に嫌いだ。そんな小学生のほとんどが軽々とやってのけることこそが、何よりも難しい。

※写真は本文と関係ありません

<著者プロフィール>
朝井麻由美
Twitter @moyomoyomoyo フリーライター・編集者・コラムニスト。ジャンルは、女子カルチャー/サブカルチャーなど。ROLa、日刊サイゾー、マイナビ、COLOR、ぐるなび、等コラム連載多数。一風変わったスポットに潜入&体験する体当たり取材が得意。近著に『ひとりっ子の頭ん中』(KADOKAWA中経出版)。構成書籍に『女子校ルール』(中経出版)。ゲーム音楽と人狼とコスプレが好き。