"せともの"の街、愛知県瀬戸市。この街は火の街・土の街と呼ばれ、昔から真っ白な陶土や自然の釉薬が採れるため、やきものの産地として栄えてきました。「ものをつくって、生きる」そのことに疑いがない。それゆえ、陶芸に限らず、さまざまな"ツクリテ"が山ほど活動する、ちょっと特殊なまちです。瀬戸在住のライターの上浦未来が、Iターン、Uターン、関係人口、地元の方……さまざまなスタイルで関わり、地域で仕事をつくる若者たちをご紹介します。

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vol.18 「松千代館再生の会」代表・鈴木 芳枝

  • 「松千代館再生の会」代表、鈴木芳枝(すずき・よしえ)。1979年愛知県瀬戸市生まれ。愛知県立芸術大学工芸科デザイン専攻卒業。グラフィックデザイナー。東京在住

瀬戸市の中心市街地にある、アーケード商店街「せと末広町商店街」。その一角に、ひときわ目をひく、大正4年創業の元旅館「松千代館」が、ひっそりと佇んでいる。

商店街および、末広町の原型ともいえる建物なのだが、老朽化が進み、解体の危機に瀕している。そんななか、2021年6月、再生に向けた「松千代館再生の会」が発足した。

特筆すべきは、会のメンバー4人が全員が東京や愛知県内の瀬戸市外に拠点があること。そんななか、この建物を守りたい! と立ち上がっている。一体、どんな想いで再生していくのか? 代表であり、オーナーの娘でもある鈴木芳枝さんを中心に、みなさんにお話をお伺いした。

「松千代館」とは?

  • 大正時代から続く「松千代館」

「松千代館」が誕生したのは、大正4(1915)年まで遡る。「松千代館再生の会」代表の鈴木芳枝さんの曽祖父が、当時、“せともの”を運んでいた荷馬車を引く、馬のひづめを直す「蹄鉄屋」としてスタートした。

大正後期には陶磁器の運搬業に関わる人々が利用する旅館へと転換。「せともの」の需要が減っていくとともに旅館としての役割が減少し、昭和初期頃は、芳枝さんの祖父母が事務所として利用したり、企業に場所を貸すなどしてきた。

祖父母が高齢になってからは、ギャラリーとして貸し出すなど、さまざまな使い方がされてきたが、1998年以降は空き家へ。その後も、商店街の方のご好意で、イベントで使いたいという要望があった時には、古民家ギャラリーとして地域の人に開いてきた。

  • 2021年6月に開催された「Artwalkホウボウ2021」での展示の様子

現在では、芳枝さんの母親が所有しているものの、建物の老朽化が進み、このままでは危ないということで、売るのか、あるいは、守っていくために改修して、再生するのか、選択が迫られたという。

  • 1階のギャラリースペースにて

そのことに胸を痛ませ、動き始めたのが娘である芳枝さんだった。

芳枝さん:松千代館をどうにかしようと動き始めたのは、6年ほど前です。母が、「自分が生まれた場所がなくなるのは苦しい。なんとかしたいな……」という想いを聞き、自分自身も小さい頃によく遊びに行ったおばあちゃんの家なので、愛着があったのももちろんですが、デザイナーとして、家族の役に立てるのではないか、とも考えるようになりました。

とはいえ、芳枝さんは東京在住。大学卒業後、ずっと東京に暮らしていて、デザイナーとして会社で働いていた。

芳枝さん:当時、この先長くデザインをやっていくためには、どうしたらいいのだろう。と模索し、働き方を見直すタイミングでした。

大学卒業後に入った会社では、グラフィックの表現だけでなく、コンセプターやマーケッターの方と一緒にブランディングや商品開発など、幅広くクリエイティブの経験ができましたが、リーマンショック時に倒産してしまい、その後、少人数の会社に環境が変わり、一人で黙々と考える時間が多く、自分の視野の狭さに不安や焦りがすごくありました。

「松千代館再生の会」メンバーとの出会い

そこで、自分でできることからと、東京で「地域とデザイン」について考えるワークショップに参加する。そこでメンバーのひとりで、現在、公共空間の道路や駅前の広場、公園など、街づくりの空間計画・設計をされている「オットー・デザイン」代表取締役の大木 一さんと出会う。

大木さんは、当時、仕事で古い町並みのまちづくりにも携わっていたこともあり、「松千代館」のに興味を持ち、わざわざ瀬戸まで訪れてくれた。

  • キャプション:大木 一(おおき・はじめ)さん。1976年生まれ。「オットーデザイン」代表取締役。「早稲田大学」都市・地域研究所招聘研究員。街づくりのお手伝いや外部空間の計画・設計をしている、ランドスケープアーキテクト・都市デザイナー。東京在住

大木さん:松千代館を見て、最初に思ったのはアーケードの街路を活用してみんなで楽しめることができると良いな。そういう感じがイメージとして浮かびました。商店街のど真ん中にあるし、建物も立派だし、ほっておくのはもったいなかった。

その後、東京に拠点を置く大木さんは早稲田大学で同じ研究室の後輩であり、愛知県の岡崎を拠点に活動している「studio36」の一級建築士・深澤創一さんをつなげていく。

  • 深澤創一(ふかざわ・そういち)さん。1981年生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。小林清文建築設計室 副所長、まちづくりやリノベーション案件の企画から設計、施工まで携わる「studio36」パートナー。愛知工業大学非常勤講師。愛知県岡崎市在住

深澤さん:現地を見て、アーケード商店街の一画に、ポツンとタイムスリップしたかのような佇まいに一気に好きになりました。なんとかしたいな、というのは漠然と思いました。

僕の拠点は岡崎で、車で1時間程度と近いけど、遠い。大きくは動き出せずにいましたが、当初は何も情報がなかったので「現状を把握しよう」と思い、まずは実測。できることから再生に向けて活動を始めました。