問題をおさらい!
正解はこちら!
【答え】有栖川宮威仁親王が運転する仏ダラックなど計10台が参加
今から117年前の明治41年(1908年)8月1日、有栖川宮威仁親王がドライブするフランスの「ダラック」をはじめ、イギリスの「ハンバー」、イタリアの「フィアット」、ドイツの「メルセデス」、アメリカの「フォード」、さらには国産の「吉田式自動車」3台の合計10台が参加して行われた「遠乗り会」。目的地は東京・国立市の「谷保天満宮」でした。
当時、有栖川宮は「自動車の宮様」と呼ばれるほどのクルマ好きで、ダラック社の自動車を購入して自らハンドルを握り、ドライブを楽しんでいたようです。そんな宮様が、当時20台ほどしか日本になかった自動車の所有者らに声をかけ、ドライブツアーを行ったのです。各車が集合したのは日比谷公園で、ただでさえ珍しい自動車が何台も集まるとあって、多くの人々が見学に集まったそうです。
一行は日比谷公園霞門を9時すぎに出発し、甲州街道を2時間ドライブして8里(約32km)先の立川市にある多摩川の渡し場に到着(当時、まだ日野橋はなく、自動車ではそこまでしかいけなかった)。しばらく休憩した後、Uターンして1里(約4km)先の国立市にある「谷保天満宮」に向かい、帰路の安全を祈願したり、出発以来の汗とほこりを付近の清水で洗い流したりしました。境内の梅林では殿下が昼食会を開催し、お弁当やビール、サイダーなどが振る舞われたそうです。
この昼食会の席上、有栖川宮をはじめ同行した長岡陸軍少将、第一生命の創業者・矢野恒太氏らが日本の自動車の将来を語り合うとともに、日本初の自動車倶楽部の設立を決定しました。現在も存続する「オートモビル・クラブ・ジャパン」(ACJ、会長:是枝正美氏)です。
ちなみに、有栖川宮がドライブしたダラック号は35馬力を発生するガソリンエンジンを搭載していて、当時の価格が1.5万円。また、東京自動車製作所の吉田真太郎氏らが開発した国産自動車第1号の「吉田式自動車」は、ダラックのボディをベースに輸入品のフォード製ガソリンエンジン(12PSを発生する水平対向2気筒)やタイヤ、バッテリーなどを載せたもので、最高速度は16km/hだったそうです。「ガタクリ、ガタクリ」と大きな音を立てて走ることから「タクリー号」と呼ばれました。
2012年にはACJが、クラシックカーの「オースチン・セブン・ルビー」をベースに実働可能な「タクリー号」のレプリカを制作。以降、毎年12月に開催される谷保天満宮旧車祭でその勇姿を披露しています。2024年も150台以上が集まったクラシックカーやスーパーカーのオーナーが注目する中、是枝会長のドライブで谷保天満宮の本殿前に登場しました。
116年前の壮挙にあたっては自動車のメカニックや記録のための写真技師、さらには東京朝日新聞や読売新聞などの記者らが同行しており、詳細な記事や記録、写真が数多く残されています。せっかくなので、その遠乗り会をドラマ化してテレビやwebで披露して欲しいものです。
それでは、次回をお楽しみに!