企業の経営層は、過去にどんな苦労を重ね、失敗を繰り返してきたのだろうか。また、過去の経験は、現在の仕事にどのように活かされているのだろう。そこで本シリーズでは、様々な企業の経営層に直接インタビューを敢行。経営の哲学や考え方についても迫っていく。
第24回は、株式会社ガイアリンク 代表取締役社長の石井秀樹氏に話を聞いた。
経歴、現職に至った経緯
石井氏は1964年、愛知県で生まれた。学生時代はドラムを通じてプロを目指すが、収入等の厳しさから断念。大学卒業後は大手住宅メーカーに入社し、人事企画部に配属された。
「ペンション経営を夢見て、29歳で脱サラしました。長野市の石坂学園※で調理技術を学び、三井ガーデンホテル長野を皮切りに、各地のオーベルジュで修行。株式会社ユーハイムが経営するリゾートホテルでは支配人と料理長を務めました。1999年、35歳の時に蓼科高原で宿泊滞在型レストラン『オーベルジュドゥシェマリー』を開業しました」と思い起こす。 ※現在は長野調理技術専門学校
現在のITや新卒で入社した会社とは全く異なる分野での起業だが、石井氏はこう言う。
「住宅メーカー在籍時に培ったマーケティング理論をベースに、ITツールを積極的に活用し、開業から4年目の8月には宿泊稼働率100%を達成したこともあります。その一方で、初代日本オーベルジュ協会理事を務めていたこともあり、ITリテラシーが著しく低い日本の宿泊飲食業を憂いていました」
そうした問題に一石を投じるため、2015年、株式会社グローバルリーディングを開業。宿泊・飲食業向けにITツールの活用方法を教える「WEB日導塾」を開塾した。その過程で、イスラエル発のホームページ制作ツール「WIX(ウィックス)」と出会う。
「一般社団法人日本ワークパフォーマンス協会の理事として、日本でのWIXの振興に携わりました。WIXでホームページを作る方法を解説するハウツー本を出したこともあります。協会でのテレワーク環境に疑問を抱いていた2017年頃、3Dアバターコミュニケーションプラットフォーム『Virbela(ヴァーべラ)』と出会いました。アバターを動かして人とコミュニケーションをとれるというところに、ZOOM等のウェブ会議ツールを超越する圧倒的な自由度を感じました。 」
Virbelaとの出会いが、その後のガイアリンク創業のきっかけとなった。持病もあり、2018年に、19年続けたオーベルジュ経営から離れてITコンサルに専念することを決断。
「2019年、55歳の時に株式会社ガイアリンクを設立し、Virbelaの販売準備に入りました。2021年7月にVirbelaと正規代理店契約を締結し、現在に至るまで、Virbelaを通じメタバースの普及にまい進してきました」
2020年3月には自身の集大成とも言える著作「元フランス料理人が中小企業経営者に贈る『自走』経営論」を出版。2022年6月には、一般社団法人「デジタル田園都市国家構想応援団」理事に就任するなど精力的に活動している。
ガイアリンクについて
続いて、会社概要について伺った。
「ガイアリンクは、メタバースを中心としたコミュニケーションプラットフォームの総合商社です。日本における正規販売代理店としてVirbelaを取り扱っております。そして、Virbelaのデモタウンとして日本向けに開設した『GAIA TOWN(ガイアタウン)』を運営しています」
Virbelaは現在、大手製薬会社・銀行・大学等で利用されており、ガイアリンクでも活用している。
「現実の本社は長野県蓼科高原の標高1,500メートルに位置する別荘地内にありますが、全ての社員はGAIA TOWN内のヘッドオフィスに毎日出社しています。国内に限らず、遠方ではメキシコから出社している社員もおり、通常リアルではめったに会うことはありません」
そうした環境下でもチーム内で臨場感のあるコミュニケーションや連携が図れるのがVirbelaの特徴だ。Virbelaに対する期待やガイアリンク設立に込めた願いを石井氏はこう語る。
「私は幼少期にいじめを経験しました。幸いにも高校以降はいじめから抜け出すことができ、社会でも活躍できるようになりました。しかし、自分の生まれた環境・才能に大きく左右される現代社会には常に疑問を持っていました」
石井氏は環境や能力、IQなど、生まれた段階で決まってしまっている不公平さに疑問を抱いてきた。
「イーロンマスクが開発中の脳内チップの埋め込み技術や、内閣府のソサイエティー5.0の取り組みなど、IT技術により今まで不可能だったことが可能になろうとしています。Virbelaに出会った私は、映画『竜とそばかすの姫』の世界のように、アバターを身にまとえば、今まで不可能だった事を可能にする事ができるのではないかと思いました」
IT技術により長年抱いてきた社会の不公平さを変えられると感じた石井氏。
「例えば足に障害があって通勤が難しい方でも、Virbela内のバーチャルオフィスであれば無理なく出勤ができます。アバターを使ってバーチャルオフィス内を歩き回り、同僚と自由にコミュニケーションをとって自分らしく働くことができる。Virbelaの技術は、今まで環境や能力によって光が当たらなかった人々にも、光が当たるチャンスを作り出せると確信したのです。その想いをもとに、『誰もが主役になれる社会をつくる』をスローガンとし、ガイアリンクを設立しました」
「おごり」が招いた失敗談
失敗談について伺うと、オーベルジュの経営を始めた当時の失敗について語ってくれた。 「一言でいうならば『おごり』による苦い思い出があります。人は収入や地位など、今まで持っていなかったものを手にした時『おごり』がでてしまうものです。私もオーベルジュ経営を始めた当時、それを経験しました」と振り返る。
時流に乗った業態が功を奏し、売り上げはうなぎ上り。オーベルジュの経営は順調かに見えた。石井氏はこう言う。
「自分の会社は、自分だけではなく、スタッフによって支えられているという気持ちが大きかったため、スタッフに対して福利厚生的に費用を使いまくっていました。従業員全員を連れて、スイートルームをフロアごと貸切り、パーティーを開くなど、今思えばバランスを欠いていました」
先の見通しが不十分であった当時をこう振り返る。
「スタッフからすれば、良い社長だったかもしれません。しかし、順調な売り上げにも関わらず、経営状況は悪くなってしまっていました。開業2年目にして銀行の預金残高は20万円にまで減ってしまい、倒産しかけました。気を改めなんとか持ちこたえたものの、おごりが招いた結果だと反省しました」と苦笑する。
冷静に現状を見つめ“集合知”を生かす経営
この経験から、順調な時でも先を見据えた経営の必要性に気づいた石井氏。
「現在、当社は大手企業と次々と業務提携をさせていただいたり、テレビなどの取材依頼も多くいただいたりしている活況状態です。どんな業界でもそうですが、事業の順調な時期と、そうでない時期は必ずあります。それが読めないと、私のような過ちを犯してしまいます」と苦笑する。
さまざまな業界や仕事の経験が、現在の経営にも生かされている。
「現在の私は、以前のように浮き足立つ事はなくなりました。開業後の取材ラッシュや、取引先が増えて順調な時期にもおごらず、冷静に現状を見つめた経営ができています」と石井氏。
「私の場合、29歳で料理の道へ、50代でIT社長へのチャレンジと、世間的に見れば無謀なチャレンジをしています。それぞれのスタートラインにおいて、業界における経験値は相当少なかったと思います。ただ、自分の経験に限らずとも『集合知』を生かせば良いのです。集合知によって自分の経験や知識に頼りすぎず、『皆と共に』知識や経験を持ち寄って行動に生かせます」と語る。
ガイアリンクの経営にも集合知が生かされているのだという。
「私に不足している部分は、他の役員やスタッフが支えてくれる組織を作ることができるようになりました。もちろん自分自身の経験も大切な財産です。私の場合、56年の生き様そのものが経験であり、原資となっています。それらと他者の集合知が混じり合い、さまざまなカラーをつくりだす。そのような境地を今は楽しんでいます」
就活生・若手ビジネスパーソンにメッセージを
最後に、就活生・若手ビジネスパーソンに向けたメッセージをもらった。
「私は29歳から、料理の道に進みました。周りからは遅すぎると言われましたが、当時の私は怖いもの知らず。私にできないことはこの世にはない、とさえ思っていました。幸運にも、自分の思い描いたオーベルジュを経営し、日本オーベルジュ協会の初代理事も務めることもできました。固定概念にとらわれ、29歳からシェフ修行なんて…と及び腰になっていたら、今の私はなかったでしょう」
周囲の反対を受けても自分のやりたいこと、信念に正直だった石井氏。54歳にして、順調だったオーベルジュを手放し、IT業界で起業するなど、誰も想像していなかっただろう。 「当時誰もが見向きもしていなかったVirbelaに目をつけ、約2年半の交渉を経て販売権を買いました。私自身も、Virbelaの将来性は分かっていても、成功の確約などありませんでした。そういう状態でも、一歩を踏み出すことが重要だと思います。そして、その決断を支えてくれる仲間がいたことも大きなポイントです」
今となっては、「メタバースの風雲児」ともいわれるガイアリンクだが、その当時はメタバースという言葉すら知られていなかった。石井氏はこう語る。
「リスクをとらずして、大きな成功は掴めません。一人だけでは進めない道も、仲間となら進む事ができます。私は、チャレンジ精神が世の中を切り開き、新しいイノベーションにつながると信じています」
型にはまらず、年齢を言い訳にせず、新しいことに挑んできた石井氏。若手ビジネスパーソンにも、リスクを恐れず積極的にチャレンジするよう、力強いエールを送ってくれた。