2007年、埼玉県さいたま市に鉄道博物館が開館した。同館は大宮総合車両センターに隣接し、鉄道の聖地と呼べるミュージアムになっている。鉄道博物館が立地する大宮は、国内の鉄道を牽引してきた都市でもあり、逆に鉄道が大宮の繁栄を築いてきた側面もある。大宮にとって、鉄道は欠かすことができない大きな存在といえる。

大宮駅から徒歩20分ほどの距離にある鉄道博物館は、大宮駅から発着する埼玉新都市交通伊奈線(ニューシャトル)を利用するのが一般的だろう。大宮駅の北側にのりばがあるニューシャトルは、東北・上越新幹線を建設する補償的な意味合いで開業した。

  • いまや大宮駅は首都圏の北の玄関口として機能している

    いまや大宮駅は首都圏の北の玄関口として機能している

東北・上越新幹線は1969年に建設計画が決まり、順次、着工されていった。しかし、当時の埼玉県浦和市・大宮市・与野市・戸田市などは、東北・上越新幹線が開業しても享受できる利便性は小さいと試算。得られる恩恵が少ないのに対して、新幹線の開業による振動や騒音といったマイナス面で生活が脅かされる可能性は高かった。そうしたことから、埼玉県内、特に大宮以南では東北・上越新幹線への建設反対は根強かった。

東北・上越新幹線の計画が浮上した背景には、東海道新幹線開業に伴って東京をはじめとする横浜・名古屋・京都・大阪といった沿線の大都市が飛躍的に経済発展を遂げたことが挙げられる。東海道新幹線の開業は沿線の地域活性化に大きく寄与し、それが日本全体の経済成長につながった。しかし、その恩恵は地方都市には及ばず、政府は地方都市の地域開発を促進するべく、地方にも新幹線を建設する計画を練り始める。

  • 鉄道博物館入口の床面には、新幹線ダイヤの変遷が描かれている

東北・上越新幹線は、そうした地域開発の端緒だった。新幹線の恩恵を少しでも早く地方都市に波及させるために、そして地方の人たちに実感してもらうためにも、東北・上越新幹線の早期実現は至上命題だった。埼玉県内の自治体から猛烈な反対が出たことから、東北・上越新幹線の建設は遅れた。

また、東北・上越新幹線が開業しても恩恵を享受しにくい沿線自治体への見返りとして、大宮駅−内宿駅間を結ぶ約12.7キロメートルのニューシャトルを開業させてもいる。そうした苦労は実り、1982年に東北・上越新幹線は大宮駅まで開業。大宮駅以南の区間でも同様の問題が発生し、しばらくは大宮駅が暫定的に東北・上越新幹線の起点駅として機能した。

  • 大宮駅の北側からはニューシャトルが発着

1985年に大宮駅と上野駅間が開通し、大宮駅は途中駅に切り替わった。途中駅へと切り替わったことで、大宮駅の求心力は弱まるとの懸念も生じた。しかし、大宮駅の重要性は歳月を経るごとに増し、2015年には東北・上越、その後に開業した北陸新幹線を含む全列車が大宮駅に停車するようダイヤが改正されている。全列車が停車するほど、大宮駅は交通の要衝地になったのだ。

  • 大宮駅西口は巨大なペデストリアンデッキが設けられている

こうして名実ともに大宮駅は鉄道の要衝地になったが、鉄道の歴史を紐解くと、大宮駅が鉄道の要衝地になったのは、白井助七の力によるところが大きい、白井は鉄道の街・大宮を実現した人物であり、その後に大宮町長も務めた。1883年に日本鉄道(現・JR高崎線)が上野駅−熊谷駅間を開業させた。日本鉄道はその後に高崎方面へと線路を延伸させていくが、その一方で宇都宮方面へも線路を延ばすことを計画していた。宇都宮への延伸計画では、どこから線路を分岐させるかといったことが問題となった。当時、まだ大宮に駅は開設されていなかった。

  • 大宮駅西口の鐘塚公園内に建立されている白井助七の胸像

白井が熱心な誘致運動に取り組んだ成果もあって、大宮駅が開設されることになった。これで大宮の要衝地としての重要性は高まり、高崎と宇都宮方面への分岐点も大宮駅に決定する。こうして、大宮駅は鉄道の要衝地となり、同時に街も発展していった。鉄道の街へと導いた白井は、大宮を発展させた立役者として称えられた。現在、大宮駅西口の鐘塚公園内に胸像が建立されている。また、駅東口から徒歩10分の場所にある山丸児童公園にも白井の功績を称える頌徳碑が建立され、その横には鉄道の街らしくSLのC12も保存展示されている。

  • 大宮駅東口から徒歩10分の場所にある山丸児童公園にも、C12が保存展示されている

C12は大宮駅の北側に広がる大宮工場(現・大宮総合車両センター)の入れ替え作業で活躍した。その大宮工場は、明治期から東京圏で走る鉄道のメンテナンスを受け持った。我が国の鉄道を支えてきた、歴史ある鉄道工場だ。大宮工場の敷地内は立ち入ることはできないが、道路に面して「レイルウェイプロムナード」と呼ばれるスポットが整備されている。レイルウェイプロムナードの壁は一部が透明なアクリル板になっており、工場内の作業の様子を眺めることができるように工夫されている。

  • レイルウェイプロムナードからは大宮総合車両センターの様子を垣間見ることができる

  • レイルウェイプロムナードに展示されている特急つばめの機関車

  • レイルウェイプロムナードに展示されているD51

そのほか、往時に活躍した列車の紹介パネルや特急つばめの機関車のカットボディ、SLのD51なども展示されている。レイルウェイプロムナードは、大宮駅西口から鉄道博物館へと向かう道の途中にある。ニューシャトルに乗車して鉄道博物館に足を運ぶのもいいが、時間が許すならレイルウェイプロムナードに並ぶ展示物を見ながら気分を高揚させて、それから鉄道博物館へ向かうのもいいだろう。大宮駅西口から歩いても、鉄道博物館までの所要時間は30分。ゆっくり見学しても1時間あれば十分に到着する。

  • 鉄道博物館館内・中央のSLのC57は、貴婦人の愛称で親しまれた

鉄道博物館は、言うまでもなく鉄道ファンにとって夢のような場所でもある。館内は言うまでもなく、館外にも鉄道ファンを喜ばせる仕掛けは満載。入り口の地面には時代ごとの新幹線ダイヤが記され、上を見上げればダイヤグラムを模した装飾が施されている。大人でも童心に帰って、心をときめかせてしまうだろう。鉄道に満ちている鉄道博物館なので、じっくり見学していたら一日では足りない。鉄道で発展した大宮は、現在も街に鉄道が溢れている。