2011年2月8日、中央区京橋の東京国立近代美術館フィルムセンター(NFC)の常設展がリニューアルされました。展示されている貴重な資料から、日本映画の歴史に触れることができます。あまり映画を観ない人でも興味深い内容であり、その価値がわかる映画ファンなら感涙ものの世界。丸1日いても飽きないくらいです。

あっという間に広まった映画という娯楽

フィルムセンターの外観。大ホールと小ホールがあり、国内外の貴重な映画作品が上映されている

常設展「NFCコレクションでみる 日本映画の歴史」は、映画伝来からアニメーション映画まで、7つのパートにわかれています。同センターが所蔵している映画資料は、ポスター4万6000枚、スチル写真63万点、映画関連図書3万点!! 映画監督や映画スターの遺品も少なくありません。とにかく、ここを訪ねれば、日本映画史を俯瞰することができ、さらにその奥行きの深さを知ることができるのです。

外国人による明治時代の日本の映像に始まり、まずは映画産業の展開についての展示が続きます。もちろん、無声の時代ですが、すぐに映画スターが誕生し、映画という娯楽が日本の地方まで急速に広まっていったことがよくわかります。

当時は弁士が活躍していました。弁士の番付などもあり、かなりの数の弁士がいたことが一目瞭然。さらに、当時は弁士が目当てで映画上映に出かけていたらしく、「○○弁士がやって来る!!」といったポスターも。

ある程度上の年齢層なら徳川夢声の名前をご存知かと思いますが、番付の中での彼の肩書きは大関や横綱とは別に「天才」となっていました。

1897年から99年にかけて撮影された『明治の日本』

弁士来演のポスター。映画作品よりも弁士が人気だったことがわかる

本格的な映画全盛時代へ

映画産業や映画機材の発展を眺めてくると、現代のインターネットの広がりにも似ているような気がします。その人気ぶりとスピード感、時代を変えていく躍動感はどちらにも共通しているのではないでしょうか。

日本映画の父と呼ばれているのは、牧野省三。その息子、マキノ雅弘も映画監督としてよく知られています。ちなみに、マキノ雅弘の息子がマキノ正幸。沖縄アクターズスクールを開設した人です。さらにマキノ雅弘の甥が、長門裕之・津川雅彦兄弟。

1920年代、30年代には、六大時代劇スターも現れます。大河内傳次郎、阪東妻三郎、嵐寛寿郎、市川右太衛門、片岡千恵蔵、林長二郎(のちの長谷川一夫)らは、絶大な人気を誇っていました。この顔ぶれ、今で言うと……、う~ん浮かばないほどすごいと思います。

女優・栗島すみ子のポートレイトや絵葉書。今も昔も、やっぱりスターは雰囲気がある

右上の写真が牧野省三。左写真の左側がマキノ雅弘。日本映画にとっては欠くことのできない人物だ

六大時代劇スターたちの映画ポスター。縦長の形が当時の大きな特徴となっている

8ミリの前に活躍していた9.5ミリ撮影機。こういう機器が見られるのも、フィルムセンターならではのこと

映画ファン卒倒ものの写真も

1930年代からはトーキー革命へ。無声映画から発声映画の時代を迎えるわけです。日本における本格的なトーキー映画は田中絹代主演『マダムと女房』(1931年、五所平之助監督)ですが、その1年前に『藤原義江のふるさと』というトーキー映画がありました。藤原義江(よしえ)は当時活躍していたテナー歌手。なお、この作品の監督は溝口健二です。

小津安二郎をはじめとする錚々(そうそう)たる監督も本格的に活躍し始めます。その様子は当時のポスターの展示などから想像できますが、フィルムセンターならではといえるのが、「日本映画監督協会創立の集い」の記念写真。その顔ぶれを見れば、映画ファンなら、鳥肌を立てて息をのみ、絶叫して卒倒してしまうはず。ま、それは大げさですが、いかに貴重な写真であるか、しばらく見入ってしまうことでしょう。

筆者個人的には、山中貞雄監督のポートレイトと追悼碑拓本に震えました。現在、3作品しか残っていない山中貞雄。『丹下左膳余話 百萬両の壺』は傑作中の傑作です。しかし、将来有望な山中監督は『人情紙風船』封切の日に軍に招集され、1938年、中国河南省の病院で病死しました。満28歳のことです。

追悼碑そのものは、山中監督の墓がある京都の大雄寺にたてられています。碑文は小津安二郎によって記されました。

伊丹万作、成瀬巳喜男、内田吐夢、衣笠貞之助、小津安二郎、溝口健二、山中貞雄らがずらりそろった奇跡の一枚。誰がどれ、なのかは、同センターでご確認を

山中貞雄の追悼碑拓本。早世していなければ、日本の映画界は大きく変わっていたに違いない

戦時下やアニメ黎明期の時代

戦時下の日本映画についても取り上げられていて、映画統制などの様子を知ることができます。戦争と映画の関係をわかりやすく展示しているのは、なかなか貴重。当時のポスターなども多く、目で見て理解できます。

戦後は、黒澤明、溝口健二、成瀬巳喜男、そして最初のカラー映画『カルメン故郷に帰る』の木下惠介らの足跡が辿れます。そして、『ゴジラ』。特殊撮影の時代へと移っていきます。

最後には、日本のアニメーションの黎明期についての展示があり、現存する日本最古のアニメーション映画『なまくら刀』も観ることができます。これは1917(大正6)年の作品。古さをあまり感じさせない洒落た軽やかなおもしろさ。そのほかの初期のアニメ作品も、ポップな感じがする作品ばかりで、その新しさに驚かされます。

常設展を眺めてくると、映画というジャンルが、誕生したときからつねに時代の先端を進み続けてきたことがよくわかります。昔の映像やポスターなのに、どこか突き抜けた魅力に満ちているのが映画の世界。じっくりとその空気を満喫しましょう。

初期の国産映写機。このような珍しい機器もいろいろと展示されている

日本の特撮といえば、やはり『ゴジラ』。その影響力はいまだに衰えていない

『なまくら刀(塙凹内名刀之巻)』(幸内純一監督)のワンシーン。原版所蔵:松本夏樹