2019年4月30日に幕を下ろす「平成」。マイナビニュースでは、「平成」の中で生み出されたエンタメの軌跡をさまざまなテーマからたどる。この「平成を駆け抜けた番組たち」は、平成の幕開けと同じ時期にスタートし、現在まで30年にわたって続く番組をピックアップ。そのキーマンのインタビューを通して、番組の人気の秘密を探っていく。
第9回は平成2(1990)年にスタートした、フジテレビ系アニメ『ちびまる子ちゃん』(毎週日曜18:00~)。1992年に一旦終了したが、95年から放送を再開し、放送回数は1300回を超え、老若男女に愛される長寿作品として愛されている。
番組立ち上げ当初から演出助手として関わり、2007年からは監督として『ちびまる子ちゃん』の制作に携わってきた高木淳監督にインタビューを実施。約30年の間で『ちびまる子ちゃん』という作品はどう変化していったのか、そして原作者である故・さくらももこ先生についての話も伺った。
当時としては珍しかった作品
――まず、高木監督と『ちびまる子ちゃん』の最初の出会いから教えてください。
放送が開始したのが1990年で、その立ち上げのときから参加しています。原作は少女漫画ということもあって、勉強不足で申し訳ないのですが、知らなかったんです。原作を最初に読んだときの第一印象は「変わった作品だな」と(笑)。さくらももこ先生の幼少期を題材としている漫画なので、そういった切り口の作品は当時としては珍しかったですね。でも、大変おもしろかったです。
――立ち上げ時は演出助手として作品に携わっていたんですよね。
はい。もう30年近く前です。日本アニメーションに入社して4~5年くらいですね。何年かして演出の方も担当させていただきました。僕の演出デビューは『ちびまる子ちゃん』なんですよ。アニメがはじまって最初のうちは原作をふんだんに使っていたんですけど、「このままで(原作のストックが)はなくなるぞ」と。そこでコミックスの巻末にある短編集「ほのぼの劇場」をアレンジしてアニメ化することになったんです。そこで僕がはじめて演出を担当しました。
――そして2007年からは監督を担当することになります。こちらの経緯については。
時系列順にお話をしますと、当初は芝山努監督と須田裕美子監督のふたり体制でやっていまして、1995年からは芝山さんが監修、須田さんが監督という立場になりました。その後2006年で須田さんが退くことになり、そこで白羽の矢……だったかはわからないのですが、僕が担当することになりました。放送が終わるわけでもなかったので、監督不在の時期を作るわけにはいかない。なので、人選を吟味する時間がなかったのかなと思います。
――監督変更の際に、制作的なことでの引き継ぎみたいなものはあったんですか?
特にありませんでした。僕も立ち上げのころから携わっていますし、須田監督からは「淳ちゃんが監督なんだから好きにやればいいんだよ」と言ってもらいましたね。
動かしやすいのは藤木くんや野口さん
――『ちびまる子ちゃん』を制作する上で意識していることを教えてください。
30年近く続いている作品なので、ある程度の形は決まっています。そこを崩さずに、いかに新しくて、面白い作品を作っていくかを大切にしています。まる子は静岡県清水市(現:静岡市清水区)の小学3年生。1974年(昭和49年)をずっと繰り返しているので、やっていることも同じなんですよ。朝起きて学校に行って勉強して、帰ってきたらおやつを食べて遊んでテレビを見て、晩御飯を食べてお風呂に入って寝る。その繰り返しなんです。
なので、クリスマスやひな祭りといった季節のお話はひねり出すのが苦しいんですけどね(笑)。これはずっと続いている状態です。『ちびまる子ちゃん』は、1度放送したお話や原作にあったエピソードをなかったことにはしていないんですよ。クリスマスの話を考えるときは、去年はこういうエピソードがあったということにして作っています。
――これまでのエピソードで印象にのこっているものは?
まる子とたまちゃんがタイムカプセルを埋める約束をする「たまちゃん大好き」の回や、南の島でプサディとお友だちになる「まるちゃん南の島へ行く」という回は印象に残っていますね。
――作品を作る上で動かしやすいキャラクターや、好きなキャラクターは?
好きなキャラクターは、監督になる前は女の子だとたまちゃん、男の子だと山田くんですね。監督になってからは好きなキャラクターというのは封印しています(笑)。動かしやすい、扱いやすいという点では藤木くんや野口さんですね。メインに据えるというキャラクターではないんですけど、登場する機会が多いですね。