今年4月30日で平成が終わり、5月1日から新しい元号の時代を迎えます。平成が始まった30年前、日本経済はバブルの絶頂期にありましたが、1年後にはバブルが崩壊し、その後は長年にわたって低迷が続きました。平成という時代は、昭和時代に築き上げた日本経済の構造が根本から崩れて苦闘の連続だったと言えます。
しかし平成最後の数年に至ってようやく景気が回復し、新しい日本経済への模索が始まっています。新しい元号の時代にこの流れを引き継いで、日本経済は復活を遂げることができるのでしょうか。
筆者は昭和から平成の時代に日本経済新聞とテレビ東京で、さらに大学で教鞭をとりながら日本経済を取材・報道してきました。本連載では、その経験をもとに平成30年間の日本経済を振り返り、新しい元号の時代を展望します。
バブルの絶頂とともに始まった平成 - 株価は史上最高値38,915円
今から30年前、日本経済はバブルの真っ只中にありました。株価は昭和60年代に入って上昇傾向が続いていましたが、特に実質的に昭和最後の年となった昭和63年(1988年)から上昇に拍車がかかりました。
年初に21,500円台だった日経平均株価は年末には史上初の3万円を超えていました。この勢いは平成になると一段と加速して、連日のように最高値を更新。平成元年(1989年)の年末には38,915円の史上最高値を記録しました。つまり2年間で株価は1.8倍にもなったのです。
まさに「株価が上がるから買う、買うからまた上がる」と言った雰囲気で、投資家の誰もが「株価はまだまだ上がり続ける」と思っていました。個人投資家や機関投資家だけでなく、一般企業も資金運用のため積極的に株式投資を行うようになり、「財テク」という言葉が流行しました。
株価と同様に、地価も昭和60年代に入って上昇傾向が目立っていましたが、昭和63年(1988年)の公示地価(全用途平均)は東京圏で65.3%に達しました。全国平均でも21.7%でした。最近は東京五輪需要などで都心部や湾岸部の地価上昇がよく話題になりますが、それでも2018年の東京圏全体の上昇率は1.5%です。当時の値上がりがいかに異常な上昇だったかがわかります。
当時、都市部では古い木造住宅や小規模ビルが建っている一帯を買い取って大規模ビルを建設する再開発が盛んに行われ、そうした土地を強引に買収して立ち退かせる「地上げ」という言葉も生まれました。
中には、値上がり利益をねらって土地を次々と購入しては転売する「土地ころがし」と呼ばれる行為も増えました。都市部やリゾート地では投資用マンションの建設ラッシュとなり、一般の個人も投資目的で購入することが珍しくありませんでした。
しかもこうした投資の多くは、銀行からお金を借りて行われました。当然のことながら利子の支払いが必要になるわけですが、土地の値上がりの方が大幅に見込めるので、「土地を買えば必ず儲かる」というムードが蔓延していました。銀行も不動産向けに積極的に融資していました。
まさに「バブル」だったわけです。バブルは一部の消費行動などにも及んでいきます。ベンツやBMWなどの高級輸入車、1本何万円もする高級ワインや有名な輸入ブランド品が飛ぶように売れるようになりました。海外旅行に出かけることが普通になり、クリスマスには都心の一流ホテルがカップルで満室になるといったことが話題となりました。
バブルの背景には「カネ余り」がありました。景気が良くなる一方で低金利が続いていたため、あふれたお金が株や不動産投資に流れ込んだのです。
株価は9カ月で半値に、地価急落で不動産業界と金融機関苦境に
しかしこのようなことが長続きするはずがありません。日経平均株価が平成元年(1989年)の年末に史上最高値をつけた後、平成2年(1990年)の大発会・1月4日から株価が急落し始め、年明けからのわずか8営業日で下落幅は3,000円余りに達しました。
3月には3万円を割り込み、10月初めには一時2万円割れとなりました。わずか約9カ月でほぼ半値に落ち込んだのです。その後、一時は2万円台を回復してやや持ち直す場面もありましたが、二度と3万円台に戻ることはなく、平成4年(1992年)には14,000円台まで下げました。
これがバブル崩壊の始まりであり、その後の長年にわたる経済低迷の始まりだったわけです。しかしほとんどの人は「株価下落は一時的。いずれ回復する」と考えていました。
当時、私はテレビ東京の「ワールドビジネスサテライト(WBS)」のマーケットキャスターを務めていたのですが、番組で何度か市場関係者アンケートを実施したところ、毎回「今が底」との答えが一番多かったのをよく覚えています。しかし現実には、「今が底」とはならず、さらに下落が続いたのでした。
一方、地価は株価下落が始まった後もしばらくは上昇が続いていましたが、これも平成4年(1992年)ごろから下落に転じました。東京圏の地価下落率(全用途平均)は同年に8.9%、翌5年(1993年)には14.9%、6年(1994年)は9.4%と大幅下落が続きました。東京23区の住宅地の平均価格(1平方メートル当たり)は平成3年の129万円から、平成6年には67万円となっていました。わずか3年間で半値近くに落ち込んだのです。
土地の値上がりを前提にして不動産投資を展開していた不動産業者や投資家は一気に行き詰まり、不動産会社の経営破たんや倒産が広がりました。地価の急落の影響は金融機関にも波及しました。銀行から借りた借金を返済できなくなる不動産業者が急増したため、銀行にとってはそれらが不良債権となって経営を圧迫するようになったのです。
これは数年後の平成9年(1997年)~10年(1998年)に金融危機に発展することになります。この点については後の回に詳しく振り返りますが、ある意味では株価下落以上に地価の下落が事態をより深刻にしたと言えます。