知床のもうひとつの町
知床半島は、背骨のような知床連山によって中央を南西から北東方向へ貫かれ、2つの地域に分かれている。前々回、前回と紹介したウトロは連山の北西側、オホーツク海に面したところ。一方、連山を越えて半島の南東側には、根室海峡に面した羅臼(ラウス)の町がある。
羅臼は知床連山の最高峰・羅臼岳(1661m)の南東側山麓に開けた港。羅臼岳が海へ落ち込むところの海岸線に張り付くように町が生まれた。北西のウトロ側と南東の羅臼側とでは、同じ知床の隣町とはいえ趣がいくらか異なり、行政的にも北西側は網走支庁の斜里町、南東側は根室支庁の羅臼町に属している。
ウトロと羅臼の間は、標高738mの知床峠を越えて全長23.8kmの知床横断道路(国道334号)が結んでいる。これを使えば1時間もかからずにお互いの町を訪れることができる。しかし気象条件が過酷なこの地のこと、冬季は通行止め。冬といっても数カ月のスパンではなく、だいたい11月上旬から4月末あるいは5月上旬までのほぼ半年だ(春の開通時期は雪の状況により異なる)。この期間にウトロと羅臼を行き来するには、半島の付け根を回り込んで斜里、標津と経由する壮大な遠回りをしなければならない。時間も3倍はかかる。 ウトロを訪れたのは知床横断道路が使えない季節だから、羅臼は遠かった。今回、日を改めて5月上旬、ゴールデンウィークの終了直後に、羅臼側を訪れることにした。ちなみに、ウトロに入るなら女満別空港が近いが、羅臼の最寄りは日本最東端の空港・中標津空港(根室中標津空港)である。
水平線に横たわる島影
知床半島は"大地の果て"(シリエトク)であり、現代日本に置き換えても実質的な国境の地である。このように言うことには、歴史的にも政治的にも、また旧島民の感情的にも問題のあるところだろうけれど、現実に一般の日本人が気軽に訪れることはできないわけで、その意味でもやはり知床は"日本の端"である。
そして羅臼といえば、北方領土・国後(クナシリ)島が目の前に浮かんでいる。森繁久弥作詞「知床旅情」に"♪はるかクナシリに 白夜は明ける"と歌われ、ウトロの港にも碑が立っているが、ウトロからは国後島は見えない。見えるのは羅臼側からで、あの歌の舞台もやはり羅臼だ(元のタイトルは「サラバ羅臼」。しおかぜ公園というところに碑も立っている)。
では実際にどのくらいの距離に見えるのかというと……上に書いたように、まさに目の前である。
羅臼国後展望塔の屋上から撮影した国後島。手前は根室海峡だ。ワイドレンズで撮影しても左右が入りきらないほど長く延びたクナシリの雄大な姿を望むことができる |
市街地背後の標高167mの高台に建つ羅臼国後展望塔。ここからの国後島の眺望は実にすばらしい。館内には北方領土の資料なども展示されている(入館無料) |
日本の島を面積順に挙げるのは、実はなかなか難しい。四大島(本州、北海道、九州、四国)を除くと、1位沖縄本島、2位佐渡島、3位奄美大島……といわれるが、北方領土も数えるならば、1位択捉島、2位国後島、3位沖縄本島となる(余談だけれど、択捉島と沖縄本島はカタチがけっこう似ていると思う)。
国後島は沖縄本島よりも大きな島であるから、実はわざわざ羅臼へ行かなくても、根室海峡や根室湾に面した町々村々から眺めることができる。ただ、国後島は大きいだけでなく、南西から北東にかけて全長120kmを超える長い島。羅臼辺りでは他の場所と異なり、その長い国後島を斜め横の位置から長いままに望むことができる。 羅臼国後展望塔の屋上に上れば、視界の右手前から左奥にかけて、方角でいえば南東から北東へとクナシリの島影が延々続いている印象だ。あまりに長すぎて、左奥はその端の存在をつかめないまま、水平線の彼方へと消えてゆく。
展望塔の屋上からは羅臼の港を見下ろせる。羅臼といえば魚の宝庫。町のキャッチコピーも「魚の城下町 らうす」である。日本一の漁獲を誇るサケをはじめ、タラ、メンメ(キンキ)、ホッケ、タラバガニなどなど、何を食ってもうまい町だ |
羅臼では、まさにどこからでも国後島を望むことができる。そして、間近に浮かぶその姿を見れば見るほど「あそこには行けないのか……」とため息が出てしまう。しかしながら、領土という人為的な問題で苦悩しているのはあくまで人間世界の話。これだけ近い場所で、その間の海は冬に流氷で覆われるとあれば、人間はともかく動物たちは平気で渡っていく。
そのため、知床と国後島は同じような生態系を持っているという。最近では領土問題とは切り離し、知床と国後をひとつのエリアとしてその貴重な自然を共同管理しようという「世界遺産平和公園」構想も提言されている。どのような形であれ平和的に解決し、あの国後島が羅臼へもっと近づく日を、一地球人として心待ちにしていたい。
ヒカリゴケと知床横断道路
羅臼というと、国後島とうまい魚、そしてもうひとつ思い浮かぶのがヒカリゴケだ。 武田泰淳の小説『ひかりごけ』をご存じの方は多いだろう。あれは戦時中の羅臼で起きた食人事件「ひかりごけ事件」をモチーフとしたものだが、タイトルに使われているヒカリゴケとは、漢字で書けば"光苔"。その名のとおり光るコケである。ここ羅臼のマッカウス洞窟には、ヒカリゴケが自生している。光るといっても自らの力で発光しているわけではなく、光を反射することで明るい緑に染まる。洞窟には「ひかりごけの見方」なる案内板が立っていたが、そこには「ひかりごけが輝いて見えるのは六月から十月までで、十二月から四月までは厚い氷の下に閉ざされています」とある。ん、5月はどっちだ? 見えてくれ見えてくれと念じながら近づくと、無事に光を放つ姿を見ることができた。
国後島の眺望とヒカリゴケ観賞を楽しんだあとは、開通したばかりの知床横断道路へ。4月末の開通から2週間ほど過ぎていたにもかかわらず、前日は天候が悪くて通行止めに逆戻りしていた。この日は一転、すばらしい晴れ。窓を開けながらでも寒くないさわやかな気候の中、知床峠へ向けクルマを上らせていった。
下界はともかく、しばらく上れば道の脇にはまだまだ積雪が。知床横断道路は例年、ゴールデンウィーク前後に開通するといっても、要は除雪して通れるようにしているわけで、5月上旬はまだ雪も降る。羅臼岳直下の知床峠まで上ると、身を切る風が冷たかった。
次回は、国後島に向けて延びる砂嘴・野付半島、をお届けします。