連載『経済ニュースの"ここがツボ"』では、日本経済新聞記者、編集委員を経てテレビ東京経済部長、テレビ東京アメリカ社長などを歴任、「ワールドビジネスサテライト(WBS)」など数多くの経済番組のコメンテーターやプロデューサーとして活躍、現在大阪経済大学客員教授の岡田 晃(おかだ あきら)氏が、旬の経済ニュースを解説しながら、「経済ニュースを見る視点」を皆さんとともに考えていきます。


消費税引き上げ時の軽減税率導入をめぐって議論が本格化

2017年に予定されている消費税引き上げ時の軽減税率導入をめぐって議論が本格化してきました。財務省が先月、マイナンバーを使って増税分を後から還付する案を打ち出しましたが、これには反発が強く起こり事実上白紙となっています。こうした中、安倍首相が簡易版インボイス(税額票)方式を軸に軽減税率導入を検討するよう指示し、今後自民党税制調査会での議論と公明党との協議を進め、年末の2016年度税制改正大綱に盛り込む予定となりました。

まず軽減税率とインボイスについて説明しましょう。軽減税率とは、低所得層を中心に増税による負担を軽減するため食料品や生活必需品など一部の品目の税率を低くするもので、自民・公明の連立与党は昨年12月に「2017年度からの導入をめざす」ことで合意しています。

第1の論点は対象品目をどうするか、第2の論点は経理方式

軽減税率をめぐっては論点が3つあります。第1は、軽減税率の対象品目をどうするかです。これまでの与党内の議論では、(1)酒を除く飲食料品全部、(2)生鮮食品、(3)精米だけ――の3つの案が出ています。(1)のケースでは軽減額が約1兆3000億円になると見込まれており、増税による負担を和らげるという点では最も効果的ですが、逆にその分税収の見込みが大幅に減ることから財務省が難色を示しています。公明党は対象をできるだけ広げたい考えですが、税収への影響を最小限にとどめたい財務省との綱引きの様相を呈しています。

軽減税率の対象品目の主な案

第2の問題点は、経理方式です。軽減税率を導入すると、品目によって税率が10%と8%の2種類の違いが生じますので、企業や商店など事業者はその区別をすることが必要になります。軽減税率を導入しているEUでは、商品の売り手の事業者が専用の伝票(インボイス)を発行して、商品ごとに税率や税額を記入する方式をとっています。これは最も正確に税額を計算できるという利点がありますが、この方式を採用すると経理事務が膨大となり、特に中小零細企業ほど負担が大きくなるという難点があります。このため産業界では反対の声が出ています。

先月、財務省がマイナンバーを利用して後から増税分を還付するという案を打ち出したのも、こうした難点をクリアすることがねらいの一つでした。これなら、税率が一律に10%に変更するだけで経理上の負担は従来と変わらないで済むわけです。しかしこれはあまりにも現実を無視した案でした。消費者は購入時にすべて10%分を支払うのですから、増税の負担感を和らげることになりませんし、後から還付されると言っても、マイナンバーはまだこれからなのですから、反発の声が一斉に上がったのは当然と言わざるを得ないでしょう。結局この案はお蔵入りとなりました。

そこで浮上したのが、簡易型インボイスの導入案です。請求書に軽減税率の対象品目は印をつけて税額を計算できるようにする方式で、これなら企業の経理負担はEU型インボイス方式より少なくて済むということです。報道によりますと、この案は公明党が提案しているもので、安倍首相もこれを軸に検討するよう指示したということです。現時点では、まず簡易型インボイスを採用し、のちにEU型インボイスを採用する2段階方式が有力になったようです。

第3の論点は、そもそも2017年4月の増税時に軽減税率を導入するのか

第3の問題は、そもそも2017年4月の増税時に軽減税率を導入するのかどうかという点です。前述の昨年12月の与党合意は「2017年度の導入をめざす」であって、「2017年度の10%引き上げ時に導入する」ではないところがミソなのです。もともと自民党内や財務省内には軽減税率導入自体に消極的な意見が多いのが実態です。安倍首相が先週、自民党税制調査会の宮沢洋一会長を呼んで、2017年4月の消費増税と同時に軽減税率を導入するよう検討を指示したのは、こうした空気にくぎを刺して、首相の強い意思を示す狙いからでした。

このような一連の動きを見ると、安倍首相は公明党の案をかなり受け入れているような印象がありますが、むしろ公明党の主張を利用して官邸主導で事を進めようとしていると言った方がいいかもしれません。実はその背景には首相官邸と財務省の綱引き、それに自民党内の路線対立めいたものがあるのです。

予算編成権をもつ財務省は中央官庁の中でもひときわ大きな影響力を持っていることはよく知られていますが、他省庁に対してだけでなく政治家をも動かして、財務省が事実上政策を決めることもしばしばです。従来の消費増税はその典型例で、自民党税制調査会(党税調)と二人三脚で重要な役割と果たしてきました。

自民党税調は毎年の予算編成時に、予算の前提となる税制改革について党として方針を決めるとともに、中長期的な税制の在り方を議論する組織ですが、長年にわたって税制に詳しいインナーと呼ばれる議員が顔をそろえ、会長には実力者が就任してきました。歴代首相も税制に関しては党税調の決定を追認するのが通例で、党税調の人事にはあの小泉首相でさえも介入できなかったと言われるほどです。

自民党税調の野田氏更迭、財務省を抑えて官邸主導で進めることが狙い

ところが今回、異変が起きました。安倍首相は、軽減税率の"マイナンバー還付案"の反発が高まったのをきっかけに、党税調の野田毅会長を交代させ、新会長に宮沢洋一氏を指名したのです。事実上の野田会長更迭です。これは財務相が提案したマイナンバー案に乗った野田氏に責任を取らせるとともに、今後の軽減税率の議論は財務省を抑えて官邸主導で進めることが狙いです。

もともと安倍首相は大きな影響力を持つ財務省の力を抑え、首相官邸主導で政策を運営するという政治手法をめざしており、第1次安倍内閣(2006~2007年)でもそれを試みていました。しかしそれは成果を出せないまま、退陣を余儀なくされます。その後の2012年の民主党・野田佳彦内閣当時に、民主・自民・公明の3党合意で消費税の2段階引き上げが決まったのでした。ちなみに当時の自民党総裁は現幹事長の谷垣禎一氏で、安倍氏は無役でした。

こうした経緯もあって安倍氏はその頃、消費増税には消極的ないし批判的でした。首相就任後の2013年秋に、2014年4月からの8%への引き上げを最終的に決定する際も、比較的慎重な姿勢を取り、時間をかけて景気への影響を慎重に検討していました。しかし増税実施後は消費の落ち込みがなかなか回復しない状況を見て昨年11月に、2015年10月に予定していた10%への引き上げを2017年4月に延期することを決断したのでした。

消費増税をめぐる経過と今後の予定

この一連の経過の中で、安倍首相は財務省への不信感を一段と強めたと言われています。その決定打になったのが、「マイナンバー還付案」でした。財務省ペースで再増税の準備が進められると、軽減税率が小幅にとどまる可能性が出てきたり、導入そのものが怪しくなりかねないと見て、今回の方針を示したのだと見られます。来年7月には参院選がありますので、選挙対策の面でも軽減税率はしっかりしたものを作りたいところでしょう。

再増税自体を先送りするという選択肢も?

今後、自民党税調の場で前述の3つの論点についての検討が本格化しますが、2017年4月の再増税と同時に軽減税率を導入することについては流れができたと見ていいでしょう。ただ、対象品目についての議論は難航することが予想されます。2017年4月実施から逆算すると、軽減税率の関連法案を来年の通常国会で成立させる必要があり、そのためには今年12月までに政府・与党が軽減税率の内容を合意する必要があります。

しかしもし合意が出来なければどうなるのでしょうか。理屈上は、とりあえず再増税だけ実施して、その後に軽減税率がまとまってから実施するということになるのでしょうが、それは事実上、軽減税率は実施しないことを意味します。再増税と軽減税率をセットに考えている安倍首相がその選択をするとは思いにくく、そうなれば確率は低いでしょうが、再増税自体を先送りするという選択肢も否定できないと私は見ています。あるいは、その可能性を示唆することによって軽減税率の協議にハッパをかけるというねらいもあるかもしれません。そのような観点からも、軽減税率をめぐる動きに注目していきましょう。

執筆者プロフィール : 岡田 晃(おかだ あきら)

1971年慶應義塾大学経済学部卒業、日本経済新聞入社。記者、編集委員を経て、1991年にテレビ東京に異動。経済部長、テレビ東京アメリカ社長、理事・解説委員長などを歴任。「ワールドビジネスサテライト(WBS)」など数多くの経済番組のコメンテーターやプロデューサーをつとめた。2006年テレビ東京を退職、大阪経済大学客員教授に就任。現在は同大学で教鞭をとりながら経済評論家として活動中。