――“創作あーちすと”の肩書きは、おそらく世界中でのんさんお一人のものだと思います。“創作あーちすと”と名乗り始めてから3年。ご自身にとって、転機となる出来事は何ですか?
『この世界の片隅に』に参加できたのは、すごく大きな出来事でした。自分にとって、「変化」というよりは、この作品と出会って「深めることができた」というか。
これから役者をやっていく上で、すごく重要な作品になると思って、「絶対に自分がやりたい」と思っていました。その願いが叶ってすずさんを演じることができて、たくさんの人に広がって。劇場に足を運んでくださった方々が制作チームの一員のようにSNSでも口コミを拡散してくださいました。送り出す側と受け取ってくださる側とで共鳴し合って大きく膨れ上がっていく感覚、一体感。こんなに観る人に支えてもらえる映画に参加できて……自分が役者をやっていて本当に良かったと思えた出来事でした。これからも愛し、愛される映画を送り出す側にずっといたいです。
――数々の映画賞を受賞したことは、それだけ多くの人に届き、心を動かした証しとも言えると思います。
劇場に来てくださった方の声と作品を評価する賞を頂けたことは、「これでいいんだ」という思いに繋がりました。
――『この世界の片隅に』で「深めることができた」こともそうだと思いますが、のんさんが働く上での喜びとは?
どのように解釈して演じると、観る人の心をつかむことができるんだろう。そうやって擦り合わせて組み立てていくので、「伝わった」という手応えは働く上で原動力になります。ファンになってくださったり、応援してくださったりそういう方々がいてくれることで、「がんばろう」「やめられない」という励みにもなります。役者は、観てくれる人がいてこそ成立するものだと思います。
――幅広い分野での活動も、根本は同じということですか?
そうですね。歌手の場合は主体性が問われます。どのようなメッセージを届けたいのか、とか。自分で考えて組み立てていくので、根本は同じでもそれぞれの活動によって違ったアプローチができます。役者の場合と違って、自分自身のメッセージを込めないといけないので大変というか、恥ずかしい作業でもありますけど(笑)。でも、何よりもそうやって新しいことに挑戦できるのは楽しいです。
――『星屑の町』で演じた愛にも、のんさんのそういう部分が映し出されていると思います。
今回の『星屑の町』は歌もあって、演技もあって、笑いもあって。今まで積み重ねてきたことが集結しているような作品なので気合いも入りました。本当に素敵で心が温まる良い映画です。歌が全体を包んで、人と人を繋げてくれる。それから、家族は時にすごく面倒くさい存在でも、家族がいるからこそ踏ん張れることもある。そこも描かれているので、老若男女どの世代の人も、生きているすべての人に観て欲しい作品です。
――そろそろお時間です。貴重なお話ありがとうございました。今回の作品は多くの人の“夢”が描かれています。最後に、のんさんの“夢”をうかがってインタビューを終えたいと思います。
これからもっといろいろな表現を高めていって、たくさんの人に作品や思いを伝えていけたらと思います。ずっと一生、自由にまっすぐ。子ども心を忘れずに。そして、近々の“夢”は『星屑の町』が一人でも多くの人に届くことです。
■プロフィール
のん
1993年7月13日生まれ。兵庫県出身。2016年公開の『この世界の片隅に』でアニメーション映画初主演。第38回ヨコハマ映画祭審査員特別賞をはじめ、多数の映画賞を受賞した。また、自ら代表を務める新レーベル『KAIWA(RE)CORD』を発足し、「創作あーちすと」としてアートを展開するなど活動は多岐にわたる。YouTube Originals『のんたれ(I AM NON)』では映画監督デビューも果たした。
■映画『星屑の町』
大手レコード会社の社員だった山田修(小宮孝泰)をリーダーに、歌好きの飲み仲間、市村敏樹(ラサール石井)と込山晃(渡辺哲)、青木五郎(有薗芳記)をコーラスに、大阪ミナミでくすぶっていた歌手の天野真吾(大平サブロー)をボーカルに迎えて結成されたハローナイツ。途中から参加した西一夫(でんでん)は、ハローナイツの借金を肩代わりするのを条件に、博多の焼き鳥屋と4人の子どもを女房にまかせてメンバーになった。これといったヒット曲もなく、ベテラン女性歌手・キティ岩城(戸田恵子)と地方を回りながら細々と活動を続けていたある日、東北の田舎町で、東京から出戻り、再び歌手になる日を夢見る愛(のん)と出会う。 愛が突然、ハローナイツに入りたいと直訴して、大騒動に発展、すったもんだの末に、愛はハローナイツに加入することとなり、状況が一変する。たちまち人気者となり、思いがけず夢を叶えたかに見えたメンバーだったが─―。