今回のテーマは「収納」だ。
もう、整理整頓関係の話は私のイメージダウンにしかならないし、何かの病(ビョウ)である、という結論にしかならないのでやめないか、と思う。片付けができない人間の「掃除」とは、取りあえず物を自分の視界の入らないどこかへ移動し、スペースをつくることである。庭にブラジル直行の巨大な穴があいていれば良かったのだが、あいてないし、あいていたとしてもその内、私の部屋のゴミでブラジルがキャパオーバーして国際問題になるだろう。
よって、日伯友好のためにも庭に穴は掘らず、手当たりしだい、押し入れに物を積み重ねていった。その結果、ブラジルの平和は守られたが、押し入れは壊滅した。我が収納は犠牲となったのだ。
しかし、事件現場にだって、ただの現場と凄惨な現場がある。そう言った意味で言うと、当現場は「新人が吐く」現場である。ひとつほめられることは、食品をむき身で置いていないという点であろうか、もっと凄腕になると、何もなかった場所から生命を生み出すという、神みたいなことをしている。ただ、生み出されるのはキリストとかではなく、虫や菌なのだが、命に貴賎なしである。
物を溜め込む人間には2種類いる。そいつらのご家族からすると、どっちも死んでほしいという感想だろうが、その死体すら片付けなければいけなくなるので、落ち着いてほしい。人をバラバラにするという作業は結構骨が折れるはずだ。こっちが骨を折る側にも関わらず(うまいことを言った)。
物を溜め込む人間には2種類いる。一生使う予定のないものを「いつか使う」と溜めむタイプと、「使えなくなったもの」を捨てずに貯めるタイプだ。もちろん、その両方という3種類目もいるが、そういうタイプは、早い内に関係者により処分されるので、あまり生きてる個体が観測されない。私はもちろん、その貴重な3種類目だ。早く保護してくれ。
使えるものを貯めるのはまだいい。大量のハンドクリームも、これから追加で手が2~3本生えてくる可能性は十分あるので、いるものだ。しかし、我が物置には、古いノートパソコンと古いペンタブレットがそのまま置いてある。ふたつそろうと結構なサイズである。
ノーパソの方には昔、ダウソした女性むけAVのデータが残っているだろうから、それをどうしても見たくなった時に再起動の可能性はあるが、ペンタブについては再使用ということはまずないだろう。いつか使うで貯めている物が使えるゴミなら、こっちは使えないゴミである。つまり、ゴミの中のゴミ、ゴミオブゴミである。
ではなぜそんな一点の曇りもないゴミに貴重なスペースを与えているかと言うと、捨てるという作業が死ぬほど面倒だからだ。片付けられない人間にとって、ゴミを然るべき方法で捨てるというのは、老母を山に捨てるぐらい気の進まない行為なのである。ゴミを適当な場所に捨てると罪に問われる。
人間だったら、関係的に捨てても罪に問われることはないというのに、現代社会ではある意味、我々はゴミ以下である。まず、そのゴミを捨てていい場所、捨てていい日を調べ、必要な梱包などをする。そして、捨てていい日に捨てていい場所にそれを持っていくのである。
どうだ? 答えなくいい。そもそも、片付けられない人間はこの話を聞いただけで、面倒くささのあまり死んでいるだろうから、返事はできないはずだ。
もちろん、使えなくなったものは捨てた方がいい。だがそれは、このように命がけの行為だ。遺書を書いたり、遺族に見られてはまずいものを処分したりしてからでないとできない。しかし、見られてはまずいものを捨てること自体が、また命がけの行為だ。それも、遺書を書いてからでないと捨てられない。
つまり、まず遺書を書かないことには永遠に物を捨てられないのだ。しかし、遺書だってもうちょっとリアルに死を意識する段階にならないと書くのは難しい。つまり、「今はまだゴミを捨てる時期ではない」のだ。面倒くさくて捨てないという言うよりは、「時を待っている」状態である。
たまに、ゴミ部屋に業を煮やした家族の手により、知らない間に私物が強制廃棄されるという、発言小町などでお馴染みの事件が投稿され物議を醸し出すが、捨てる家族の気持ちも分かるが、捨てられて激怒する人間の気持ちも分かる。おそらく彼らだって、片付ける気がないわけではなく、片付けるべき日を待っているだけなのだ。せっかく、とても人が住めない部屋で、家族の罵声に耐え、運命とも言えるベストコンディションデイを待っているというのに、その志半ばで、家族にブツを捨てられたとあれば、今までの苦労が水の泡である。
つまり、片付けない人間の多くは自分では「運命の日」がやってこないと片付けないし、かと言って勝手に片付けると烈火のごとく怒り出すタイプが多いのだ。やはり、多少骨を折ってでも何とかすべきかもしれない、両方の意味で。
筆者プロフィール: カレー沢薫
漫画家・コラムニスト。1982年生まれ。会社員として働きながら二足のわらじで執筆活動を行う。
デビュー作「クレムリン」(2009年)以降、「国家の猫ムラヤマ」、「バイトのコーメイくん」、「アンモラル・カスタマイズZ」(いずれも2012年)、「ニコニコはんしょくアクマ」(2013年)、「負ける技術」(2014年、文庫版2015年)、Web連載漫画「ヤリへん」(2015年)など切れ味鋭い作品を次々と生み出す。「やわらかい。課長起田総司」単行本は全3巻発売中。