漫画家・コラムニストとして活躍するカレー沢薫氏が、家庭生活をはじめとする身のまわりのさまざまなテーマについて語ります。

→これまでのお話はこちら


今回のテーマは「ラッキーアイテム」である。

何を言わんとしているかはわかるのだが、ピンとこなさすぎて思わず「ラッキーアイテム」とググってしまった。

もしかしたら、このような意味はわかるが自分には全く縁がないテーマが一番困るのかもしれない。

ラッキーアイテムとは、それを持っていたら運気が上がるというアイテムだと思われる。

そう言うと、お守りや干し首など、霊験あらたかなアイテムを想像してしまうが、朝のニュースの尺稼ぎに入れられている占いなどでは「緑のもの」「くさいもの」「虫」など、身のまわりにありそうなものをラッキーアイテムとして提示してくることが多い。

しかし朝占いを見て、ベランダにひっくり返っているカメムシをカバンに入れて出勤する人というのは相当丁寧な生活をしていると思う。

私はそういった、日々をちょっと豊かにする、みたいな発想に欠けており、たまに興がのってラッキーアイテムを持って外出したとしても、それをなくすか便所に落として運気だけではくテンションまで落とすことになるような気がする。

しかし、ラッキーアイテムというのはただ験を担ぐためだけのものではない。

「これさえあればゴキゲンなの!」と言って、こちらが芳しい反応をしないと途端に不機嫌になる女が持っているキモカワグッズのような「お気に入りのもの」もラッキーアイテムになるのだと思う。

そういう意味では、オタクが推しのグッズを揃えるのもラッキーアイテム集めであり、それらを祀った祭壇は、実家の熊手や宝船が置いてある縁起ゾーンと意味は同じである。

私は元々物を大切できない方なので、縁起物を部屋に置いてもそれを破壊してしまい凶兆に変える可能性が高い。

だが、世の中には「お守りだ」と言って短刀や拳銃を渡す文化もある。

ゲン担ぎではなく「いざとなったら役に立つもの」もラッキーアイテムに入るのではないかと思う。

そういう意味では私のようなタイプのカバンはラッキーアイテムの宝庫とも言える。

まずそういうタイプは、何でもとりあえずカバンに入れたまま放置するため、それがいざという時役に立つこともあるのだ。

特に、カバンに入れっぱなしだったポケットティッシュに「あの時受け取ってもらったポケットティッシュです」と助けてもらったことは一度や二度ではない。

この場合は下手に美女になって来られるとケツが拭けなくなるのでポケットティッシュのままでいてくれた方が好ましい。

他にも、駐車場に軟禁された時、カバンの底になぜか2~3枚常備されている小銭や、小腹がすいた時に出てくるベタベタの飴など、いくらでもラッキーが出てくる。

ただ同じぐらい、夥しい量のレシートや純粋なゴミなど、アンラッキーアイテムも出てくるが、アンラッキーの中から出てくるからラッキーが際立つというものである。

現在、私のカバンにどんなラッキーアイテムが入っているか一応調べてみると、小銭、飴、ティッシュはもちろん、マスクという現代のマストアイテムもバッチリ入っていた。

加えて、免許証、銀行の通帳、実印など、もはやラッキーアイテムというより「己の全て」が入っており、もしこのカバンをなくしたらかなりアンラッキーなことになると思うので、ラッキーはもっと分散させた方が良いとは思う。

アンラッキー部門で言えば、バブロンを飲んだあとの「黄金の切れ端」が3枚ぐらい入っていたが、たまに切れ端と思ったらまだ飲んでないパブロンというラッキーアイテムが出てくることもあるので、これも必要である。

あと前にも書いたが家族の集合写真が10枚ぐらい入っており、有事の際にはこれが身代わりになるため、10回ぐらい銃撃されても大丈夫ということで、これもラッキーアイテムと言る。

しかし、ラッキーアイテムがたくさん入っているカバンというのは「汚い」という欠点がある。

現に私のカバンの内側は、キャップを外したままのボールペンが縦横無尽に暴れたあとや、蓋の締めが甘いペットボトルによるシミなど、事故物件の壁みたいになっており、この中で2~3人凄惨な死を遂げたと言っても誰も疑わない感じになっている。

よって、このカバンを持ち歩くこと自体が一番運気を下げているような気がする。

しかし、ラッキーとアンラッキーは表裏一体であり、ラッキーアイテムと思って買った黄金の男根像とかが何もしてないのに縦に真っ二つに割れたら不吉を感じずにいられないだろう。

つまりラッキーアイテムを持つことはアンラッキーになる可能性も同時に持つということである。

これはラッキーアイテムのみならず、喪失というのは所持するから起こるのであり、大事な物ほど喪失の悲しみは大きくなる。

その点「ゴミをなくした」と言って嘆いている人はいないだろう。

つまり私は最初からゴミしか持たないことで「なくす」という失敗を防いでいるのである。

ただそういう生き方は、身なりや居住地の景観が著しく悪くなりがちなので「人間関係」はなくしがちになる。

しかし人間関係も煩わしいものであり、失うのは苦痛である。

よって最初からゴミでバリケードを作り、人間関係を発生させないということも重要である。

つまり今私を取り囲んでいるゴミは私を守るラッキーアイテムと言えるのだ。