漫画家・コラムニストとして活躍するカレー沢薫氏が、家庭生活をはじめとする身のまわりのさまざまなテーマについて語ります。

→これまでのお話はこちら


今回のテーマは「宿題」だ

これを書いているのは9月3日だが、この日が実質「8月34日」であることはあまりにも有名である。

学生の皆さまの中には8月31日の夜、ハリウッド映画に出てくるいち早く世界滅亡の危機に気づいた近所の変わり者ジジイみたいな顔になった人も多いと思うが、社会人になるとこれが週一になり、サザエが地獄の使者から、黙示録のラッパ吹きに見えるようになるので安心してほしい。

ちなみに第一のラッパだけでも「血の混じった雹と火が地上に降り注ぎ、地上の三分の一と木々の三分の一と、すべての青草が焼けてしまう」そうだ、さすがサザエ、やることがでかい。

ならばフリーランスになればこのような終末(週末だけに)から解放されるかというと、確かにフリーランスは土日休んで月曜出勤というような決まりはなく、休もうと思えばいつでも休める。

これは「永遠に休めない可能性がある」という意味でもあり、逆に仕事が全くないという理由で休みしかない時もあり、これが続くと「永眠」という意味でのエターナル夏休みが訪れる。

このようにフリーランスのフリーというのは「3億種類の死に方が君を待っている! 君だけの最強の死因デッキを作ろう!」というフリーシナリオ的な意味であり、間違っても「自由に生きられる」というわけではない。

私はありがたいことに1日平均3回何らかの催促が来ており、1日に8月31日が3回来るという、ぼくのなつやすみでも見たことがないバグを体験している。

ただ自らの名誉のために言うが「原稿はまだか」という催促よりも「請求書を出せ」「まずは返事をよこせ」という、作家よりも人としての神経を疑われる催促の方が圧倒的に多い。

未だに漫画業界は、請求書というものがなく、連載時に契約書を交わすということも滅多にない場合が多い。

この因習のせいで虎舞竜になりがちなのは否めないが、漫画家に毎回「捺印後返送」を求めていたら9割の作家が原稿料を手にするところまで行けず餓死する。

「事務仕事をするぐらいなら死を選ぶ」という殉教者が割と多い業界なのだ。

私はそこまでストイックになれないので「3回催促されたら出す」という三顧の礼を採用している。

ならば当然学生時の宿題も「9月から本気出す派」だったかというと実は少数民族「7月中に終わらす派」であった。

それが何故こんなことに、とホームアローンの子役を見るような目で見られているような気がするが、昔は真面目だったというわけではない。

ただ「他にやることがなかった」のだ。もちろん当時はネットなどというものはなく、昔の小学生は香川よりも30年早く「ゲームは1日1時間まで」というような規制を設けられていた。

それで最後の切り札である「友達」がいなければもはや宿題をやるぐらいしかなかったのである。

もし現在のようにネットで永遠に時間が潰せるという世界観だったら8月31日に訪れるラッパ吹きは13人ぐらいに増えていたと思う。小学生の時にネットがなくて本当に良かった。

さらに小2ぐらいの時点で「他とは違うことがしたい」と自意識だけは中二、もしくは大学2年生まで飛び級するという神童ぶりを見せつけていたため、7月で終わらせる勢の中でもさらに差をつけようと7月22日ぐらいで終わらせていた。

だが、この時はまだ自己PRの仕方が「勉強」だったのでマシだった。

この良い成績をとることで一目置かれようとしていたパワーは、高校生でネットに出会った瞬間「ゲームや漫画のイケメンを描いてアップする」ことに全ツッパされることとなる。

当然成績はウナギが腰椎を痛めるレベルで下がったし、社会性社交性も著しく低下した。

しかし私が現在、ありとあらゆる社会制度からフリーという真の意味でのフリーランスではなく、漫画や文章を描いている偽フリーランスをやっているのは、その時インターネット全振りになったおかげとも言える。

それは良いことなのか、と思うかもしれないが、もしあのまま勉強ばかりしていたら、どこの企業にもいる「良い大学を出ている癖に使えない奴」もしくは「大した学校も出ていない上に使えない奴」という純正の使えない奴になっていた可能性の方が高い。

アニメや漫画好きが全員凶悪事件を起こすとは限らないように、学生時勉学やスポーツに打ち込んでいた子どもが大成するとも限らない。

最近は仕事の仕方も自己表現の場も多様化しているので、学生時代ひきこもってネットばかりやっていた人間がネットの中に活路を見つけ、下手なサラリーマンの何倍も稼いでいるなどよくある話である。

よって、子どもが所謂、模範的な学生生活を送っていなくてもそこまで悲観することはない。

だがサッカー少年がそのままサッカー選手になることもあるし、ひきこもってネットばかりやっていた学生が、ネットばかりやっている50才の無職になるということも普通にある。

つまり、子育てや人生は、何をやっても無駄な時は無駄なのであまり思いつめないことが大事である。